② 奇跡
場面は、日向と日影が、狭山とエヴァに別れを告げた後の『幻の大地』。
日向と日影がいなくなり、この場には狭山とエヴァだけが残されている。
すると狭山は急に、自分の目の前の、何もない空間を右手で撫で始めた。
エヴァの視点では何もないように見えるが、そこには北園の魂が横になって眠っているらしい。
狭山が、北園の頭を優しく撫でながらつぶやく。
「可哀そうに……。ここまでの戦いで疲れ切って、魂が休眠状態になっている。ともすれば、日向くんに最後のお別れを告げる機会だったろうに、それを逃してしまった」
「良乃の魂が、そこにあるのですか?」
「うん。ちなみに、自分の両隣には本堂くんとシャオランくんもいるよ。現在、それぞれ自分にパンチとキックを入れている」
「は、はぁ。二人とも元気そうで何よりです。ところで狭山誠。そろそろあなたが所有している『星の力』を返してくれませんか? この星を元通りにするのに必要です」
「ああ、すまないけれど、もう少しだけ自分に貸しておいてくれないかな?」
「この期に及んで、何かするつもりなのですか? そういえば……先ほど日向にも言っていましたね。あなたは最後にやりたいことがあると……」
狭山にそう尋ねたエヴァだが、同時にふと、ある考えに思い至った。
まず、この星の『力』のほとんどは、今も狭山が持っている。先ほどは次元のゲートを開き、日向と日影を最終決戦の舞台へ送り出したばかりだ。そしてエヴァが有している『星の力』は、彼と比べたら雀の涙ほどの量だ。
アーリア遊星の人格が表出していた時は、彼は『星の力』を使えなかった。しかし今の狭山は『星の力』を使いこなしている。
もしも、彼が今、再び地球抹殺を開始しようとしたら、もう誰も彼を止めることはできない。
「まさか……狭山誠、あなたのやりたいことというのは、”最後の災害”の再開なのでは……」
「そう疑われてしまうのは至極ごもっともだけど、それは絶対にしないから安心してほしい」
やや食い気味にそう言って、狭山はエヴァの考えを否定。
嘘は言っていないような様子なので、彼女も少し安心した。
「なら良いのですが……」
「あまり心配してもらわなくても、もうじき自分は絶命するよ。『太陽の牙』の炎は、自分の肉体だけでなく魂をも直接焼いた。塵になって消える寸前さ。もう自分の魂は宇宙へ飛び立つことなく、まもなくここで消滅する」
「それなら結局、あなたは今から何をするつもりなのですか? その、残りわずかな命で……」
「うん。いい大人がこれだけ好き放題に暴れてしまったのだから、当然ながら、その後片付けをしなければと思ってね」
「後片付け?」
「エヴァちゃん、一つ質問させてほしい。仮に今、君がこの星の全ての『力』を持っていたとして、北園さんを生き返らせることはできるかい?」
「それは……無理です。完全なる”生命”の権能を使えば、良乃の肉体をそっくりそのまま構築することはできます。ですが、その肉体には良乃の魂がありません。人格は魂によって形成されるもの。元の良乃の魂が新しい肉体に入ってくれなければ……良乃の魂が……あれ……?」
言いながら、エヴァは気づいた。
その北園の魂は今、狭山のもとで眠っているはずだ。
つまり、あとは”生命”の権能で新たな肉体を構築すれば、北園を生き返らせることが可能ということである。
エヴァが事情を察したのに気づいて、狭山が説明する。
「そう。今なら北園さんは生き返る。北園さんだけじゃない。本堂くんも、シャオランくんも。そして、今回の”最後の災害”で犠牲になった全ての人たち、全ての生き物たちが蘇る」
「ど、どういうことですか!? だって、肉体が死んだら、魂は天に昇り、宇宙へ出て、やがて消滅する……そう聞いていたのですが!?」
珍しく、エヴァも驚きの感情を隠せないでいるようだ。
喜ばしい知らせだが、今は喜びよりも驚愕の方が勝っている様子である。
そんなエヴァに、狭山は変わらず、落ち着いた様子で説明を続ける。
「”最後の災害”で死亡した皆は、魂の状態になりながら、全員この星に留まっている。宇宙へ飛び立つことなく、ね」
「あなたが、何かやったのですか?」
「うん。”霊魂保存”の超能力だよ」
「”霊魂保存”……。ある意味で、今回の災害のきっかけとなった能力ですね。あなたの精神内に一つの世界を作り出し、そこに外部から魂を取り込み、保存しておける能力。まさか、あなたの中には今も、犠牲になった皆の魂が?」
「それは半分正解で、半分不正解だ。先ほどまでの自分の精神世界は、怨嗟による地獄の釜のようになっていた。そこへ皆の魂を取り込めば、ほとんどの人たちは無事では済まない。けれど……自分は今、この星の『力』を全て所有している。よって今の自分は、この星そのものでもあるということ」
「それはつまり、『星の力』を取り込んだことで、あなたは”霊魂保存”の能力の範囲を『自分の内部』から『この星全土』に拡大している……?」
「そういうこと。自分の能力と、この星の『力』、この二つを合わせて、神でも為し得なかった奇跡をここに引き起こす」
本当に、奇跡的な話だ。
エヴァはただ、絶句することしかできなかった。
そんな彼女をよそに、狭山はさらに説明する。
「ちなみに『星の意思』も、この自分の考えにいち早く気づき、賛同してくれた。遊星の意思が表出していた時は『星の力』を使えなかったけど、今の自分は使用できている……その理由は、この星が自分のやろうとしていることに協力して、力の行使をサポートしてくれているからだよ」
「何と……言うべきか……あれだけの怨嗟をまき散らしておきながら、よくもまぁ、そんなことをする精神的余裕がありましたね? 憎むべきこの星の生命を生き返らせる用意をしておくなんて……」
「うん……実際のところ、当初の目的は『魂になってもなお捕らえて、この星に生きた生命たちを苦しめ続ける』ためだった。それが自分の悪意としての本音であり、このアフターケアもまた、自分の善意としての本音だ」
「今この時ほど、皆と一緒にあなたを慕いたいと思ったことはないですね」
「お褒めに与り光栄だよ。ようやく、君からまっすぐな好意を受け取れたんじゃないかな」
「……ところで、いま思い至ったのですが、あなたが皆の魂を保管しておいてくれたから、死者である彼らの祈りまで日向に届いて、彼は最後に覚醒した。つまり、この魂の保管は、あなたの敗因でもあるのでは?」
「ははは。そこはまぁご愛敬ということで」
そう答えて、狭山はその場に座ったまま、両手を地面についた。
「さて……。ようやくだ。ようやく、この能力を本来の用途で使える」
すると、この星全体が、心臓が跳ね上がるようにドクン、と振動した。
周囲の地面から、金色にも黄緑色にも見える、蛍火のような粒子が発生し始める。これはあらゆる生物、あらゆる肉体を創り上げる、”生命”の礎のようなもの。
狭山が、口を開く。
「自分は、努力した者は報われるべきだと考えている。君たちは数々の苦難を乗り越え、数々の戦いを生き抜いて、遂には自分を倒し、この星を守るという大偉業を成し遂げた。それなのに、その報酬が『夢も希望も、友達さえ存在しないボロボロの地球』なんて、そんなのはあまりにもあんまりだろう?」
彼がそうつぶやいた、次の瞬間。
蛍火のような粒子が急速に集まっていき、人間の肉体の形を作っていく。
作られた人間の身体は三人分。
それぞれ北園、本堂、シャオランになった。
北園たち三人だけではない。
現在、表の世界では、同じように蛍火のような粒子が世界全土から湧き上がり、同じように死した人たちの肉体を形成している。
狭山は今、自身が犠牲にした何十億人という人間を、彼一人で一気に生き返らせている最中だ。
それは非常に気力が必要な作業なのだろう。
能力を行使している最中の狭山は、普段以上に真剣な表情。
消耗も激しいのか、額からは汗が止まらず、時おり咳き込んでは吐血してしまう。
「く……ごふっ……!」
「狭山、しっかり!」
エヴァが狭山を支える。
できれば彼から『星の力』をもらい受け、作業を代行してやりたいところだったが、それはできない。今の狭山から『星の力』が離れたら、彼は地球そのものではなくなり、彼が留めている魂たちも地球から離れてしまう。この仕事は、彼にしかできないのだ。
狭山も再び身体を起こし、作業を続行。
自分を支えてくれたエヴァにも声をかけた。
「大丈夫だよ、エヴァちゃん……。なにせ、自分は魔王だからね。思い通りの結末にならないと、我慢できないのさ……!」
……そして、数分後。
狭山は背中から、草原の中に倒れ込んだ。
「あぁ……疲れた。まさしく、燃え尽きたという気分だよ……」
心身ともに疲労困憊という様子の狭山だが、もうエヴァは彼を支えたりはしない。なぜなら、もう狭山の作業は完了したからだ。
狭山の前には、蘇った本堂とシャオランの姿が。
そして彼の隣には、北園が寝息を立てながら横たわっている。
本堂とシャオランは、信じられないものを見るような目で、自分たちの身体を見回していた。
「この戦いの日々で、驚くべき物事は数多く見てきたが、生き返りとは……これはまた格別だな……」
「ホントに生き返ってる……。身体の調子も変わらないよ……」
「二人とも、新しい身体に問題は無いみたいだね。遺伝子情報まで完全に再現した、百パーセント元通りの身体だよ」
「俺の超帯電体質まで元通りなのですね」
「君には良くない思い出もある能力だけど、捨てるほどのものでもないかなと思って残しておいた。嫌なら、その能力を搭載していない新しい肉体を作り直すよ?」
「……いえ、このままで。確かにこの能力は最早、此処までの旅路の思い出の一つだ」
「あ、ボクはもうちょっと身長高めに作り直してほしいなって」
「それは駄目」
「なんでぇ!?」
「なんとなく」
「なんとなくぅ!?」
こんな調子で男三人がやり取りを交わす一方で、エヴァはまだ意識を取り戻さない北園の身体をさすり、呼び掛けていた。
「良乃。良乃。起きてください」
「う……ん……? あれ、エヴァちゃん……?」
「良乃……! 起きたのですね、よかった……」
北園が目を覚ますと、エヴァは彼女の胸に抱きついた。
密着しているエヴァの全身がふるふると震えているのを感じて、北園はエヴァの頭を優しく撫でた。
「ごめんねエヴァちゃん。心配かけちゃったね。もうだいじょうぶだよ」
「し、心配では、ないです。ホッとしたというか……とにかく、心配では、ないのですっ……」
声まで震わせながら、エヴァはそう答えた。
彼女が落ち着くまで、北園はエヴァを抱きしめ返した。
ようやくエヴァも落ち着いて、北園から離れる。
すると北園は、狭山に向き直った。
先ほどまで仰向けに倒れていた狭山だが、今は再び座り込む体勢になって、北園と向き合う。
「狭山さん……」
「何かな、北園さん」
「その……狭山さんと私って、すごく遠い親戚、なんでしょうか?」
北園にそう問われた狭山は、優しげに目を細めた。
とうとうそれを聞かれる日が来たか、と感慨に耽っているようだった。
「そうだね。きっとそういうことになる。君の予知夢の能力は、自分たちアーリア王家の者にのみ発現するものだ」
「ふふ、うれしい。お父さんとお母さん以外に、こんなに優しい人が私の家族にいたなんて。うれしい……けど……うっ、うう……」
話をしている途中で、北園の瞳から涙がこぼれた。
止めようとして強く瞼を閉じても、涙は余計にこぼれるだけだった。
「もっと……もっと早く教えてほしかったよ……。私はまた、大切な家族がいなくなって……!」
「北園さん……すまない。本当に……」
家族としての時間をまったく過ごせなかっただけではない。家族を喪うという北園のトラウマを抉ってしまった。狭山はただ、頭を下げることしかできなかった。
すると北園は、涙目になりながらも、狭山に抱きついた。
狭山は一瞬、驚きで目を丸くしてたが、やがて北園を優しく抱きしめ返した。
「私、一生自慢します。私の家族には、こんなに強くて、優しくて、頭もいい、すごい人がいたんだって。私の子供ができたら、たくさんお話を聞かせてあげるんです」
「この星を滅ぼそうとした魔王の話なんて、子供の教育に悪影響かもだよ?」
狭山がそう尋ねると、北園は顔を上げて答えた。
「いいもーん。狭山さんは宇宙一優しい魔王だもーん!」
「はは……まいったね」
満開に花開いた桜の木のように、眩しい笑顔。
狭山は申し訳なさそうに微笑んだ。
するとここで、北園が周囲を見回す。
日向と日影の姿を探しているようだ。
「そういえば、日向くんと日影くんはどこ?」
「あの二人は……最後の勝負に向かったよ」
「あ……そっか……全部終わったから……」
「この『幻の大地』と表の世界の時間のズレから逆算したら、そろそろ決着がついている頃合いだろう。どちらが勝ったかは自分にも分からないが……勝者を迎えてあげるといい」
北園の質問に答えると、狭山は右の手のひらを上に向けて、その手のひらの上に蒼いオーラの玉を生成した。バレーボールくらいの大きさで、どこまでも吸い込まれそうな蒼色の玉。
この玉は、狭山が所有していた『星の力』を全て集め、凝縮したもの。
彼はこれをエヴァに渡した。
「それじゃあ、『星の力』を返すよエヴァちゃん。自分がやるべきことは終わった」
「はい……確かに受け取りました」
エヴァは狭山から蒼色の玉を受け取ると、その玉から蒼いオーラを全身で吸収し始め、あっという間に玉のエネルギーは吸収し尽くされて消滅した。
これで、エヴァは『星の力』を完全に取り戻した。
さっそく、日向と日影がいる場所へ通じる次元のゲートを開く。
「行きましょう。日向と日影、どちらが勝ったにせよ、私たちは受け止めなければなりません」
「そう……だね。行かなきゃね」
エヴァの言葉にそう答えた北園。
ゲートの先へ進む前に後ろを振り返って、もう一度狭山に声をかけた。
「それじゃあ……さようなら、狭山さん。お世話になりましたっ!」
「さようなら、北園さん。この遠い未来で君に会えた奇跡、本当に嬉しかったよ」
狭山の返事を受けて北園は微笑み、次元のゲートの向こうへと駆けていった。
本堂とシャオランの二人は、北園を追うためすぐに次元のゲートをくぐろうとしたが、やはり狭山に何か挨拶しておきたかったのか、足を止めて口を開いた。
「……お世話になりました、狭山さん。貴方と過ごした日々、受けた教えの数々を、俺は忘れません」
「どういたしまして、本堂くん。君の聡明な頭脳と眼差しが、この星の未来を明るい方向へ導いていくことを祈るよ」
「そ、それじゃあサヤマ! えっと、ま、またね!」
「はは、またねシャオランくん。すまないけど、師匠にはよろしく言っておいてくれ」
言葉を交わし終えると、二人も次元のゲートの向こうへと姿を消した。
最後にエヴァも振り返り、小さく会釈をした。
「それでは……」
「うん。後のことは、悪いけどよろしくお願いするよ。皆の蘇生まではどうにかできたけれど、荒らした星を元に戻すのは、さすがに体力が足りなかった」
「ええ。分かっています」
そう返事をして、エヴァも次元のゲートをくぐった。
エヴァが通ったのを最後に、次元のゲートは消滅。
青々とした草原に、静寂が訪れる。
狭山は、空を見上げた。
『幻の大地』に太陽は無い。
それでも新しい朝は来て、空は見渡す限り明るかった。