第1658話 運命
日向と日影の殴り合いが続く。
両者、本気で相手を殺すための攻撃を、互いにぶつけてきた。
二人とも、もはや立っているのがおかしいと思えるほどに消耗している。
そんな状態になりながらも、目の前の相手に向けて振るう拳も、間合いを詰める足も、止まらない。
しかし、極限まで消耗したことで、もう両者ともに精密な動きはできない。
技も、テクニックもない。
ただひたすらに、力と勢いに任せた殴り合いだ。
日向が日影に駆け寄り、殴り飛ばす。
まだ鬼心孔の効果が続いているので、その動きは日影の倍以上速い。
「らぁぁっ!!」
「ぐぅッ……!」
強烈な一撃に押し流されるように、日影がよろける。
日向の拳に対して踏ん張る余力も、残ってはいない。
だが、殴り返すだけの気力は残っている。
今度は日影が日向との間合いを詰め、お返しとばかりに殴り飛ばす。
「るぁぁッ!!」
「うぐ……!」
日向もまた大きくよろけて、転倒しかける。
鬼心孔の効果もあって、彼の体力の消耗は日影以上だ。
いつ倒れてもおかしくない状態の日向だが、意地と気力を支えにして立ち続けている。今日こそ、目の前の憧れを超えるために。
日向が日影に接近し、両方の拳でラッシュを仕掛ける。
その動きは単調で、左右の拳で力任せにフックを繰り出すだけ。
だが、いったいどこに、まだそのような気力が残っているのかと問いたくなるほどに、その連撃は激しい。
「あああああっ!!」
対する日影は、このラッシュ全てをまともにガードできるほどの力も余ってはいない。なので、どうにか日向の拳を逸らしたり、その隙を突いて左ジャブや右ローキックで反撃を差し込んだりしている。
「このッ……! おるぁッ!」
「くぅぅ、ああああっ!!」
しかし、日向は止まらない。
日影の反撃を受けながらも、拳を振り回し続けている。
日向は現在、普段以上の速度で拳を振るっている。
日影ほど鍛えられておらず、あまり固くない日向の拳は、限界以上の速度で日影に叩きつけていることで自傷が発生。攻撃を仕掛けているのは日向なのに、攻撃するたびに日向の拳も壊れていく。
それでも、日向は止まらない。
ここで止まったら、もう二度と動けなくなる。
自分自身の最も深いところに、そう刻み込んでいるかのようだ。
「クソッ……! いい加減にしやがれッ!」
日向が繰り出した右フックを屈んで回避して、日影が大きく反撃に出た。日向の腰を捕まえてフロントスープレックス。自分ごと飛び込むように、彼を背中から地面に叩きつける。
「おるぁぁッ!!」
「がふっ……!」
日向を叩きつけた日影は、そのまま彼の上半身に登ってマウントポジションを決めようとする。
その日影を登らせないために、日向も両脚で日影の下半身を挟み込み、両手で日影の進路を妨害し、彼の動きを封じる。
「させ……るかぁっ……!」
「ちぃッ……!」
日向を振りほどけないと判断した日影は、その体勢のまま左手で日向を押さえつつ、右腕を振るって日向を殴り始める。振り下ろした拳が次々と日向の顔や胸部に叩きつけられた。
「うるぁッ! だるぁッ! らぁッ!!」
「ぐっ、うぐっ……!」
日向は両手で日影を押さえているので、ガードができない。そして、ここで日影から手を放してガードの構えを取れば、その隙に日影がマウントポジションを決めてくるだろう。そうなれば、もう日向に勝ちの目はない。
すると日向は、攻撃に夢中になって前のめりになっていた日影の髪の毛を左手で掴み、自分の方へ思い切り引っ張る。
「ぐぁッ!?」
そして、射程距離内に捉えた日影の左目に、躊躇なく右親指を突き刺した。
「喰らえっ!!」
「がぁぁッ!?」
ひっくり返るように、日影は日向から離れた。
今のは直撃した。日影の左目は完全に潰れてしまっている。
潰された左目を左手で押さえ、眼球から流れる血を拭い取りながら、日影が日向を睨みつける。
「んの野郎……!」
そんな日影に悪びれることは一切せず、日向は再び日影との間合いを詰めて、先ほどのような猛攻撃を仕掛け始めた。
「おおおおおおっ!!」
「くッ……!」
左目を失い、視野が狭まった日影。
先ほどよりも日向の攻撃が捉えにくくなり、反撃を差し込むことができない。
それでも、日影も意地を見せた。
狙いを「日向の右ストレート」に絞り、実際に日向が右ストレートを仕掛けてきた瞬間に、素早く屈んで回避。
こうして日向の懐に潜り込んだ日影は、日向の心臓に右拳をまっすぐ突き刺した。
「おるぁッ!!」
「あぐぁ……!?」
鬼心孔によって心臓に負担がかかっている状態の日向に、この一撃は相当に堪えた。大きくよろめいて日影から下がった後、遅れて痛みがやって来たかのようにうずくまり、口から大量の吐血。
「がぼぉっ……!? げほ、ごほっ……!」
咳き込み、血が混じった涎が口から溢れるのが止まらない日向。
それでも日向は、顔を上げ、立ち上がる。
両目からは血涙まで流れているが、日影を見据えるその瞳からは、闘志がまったく消えていない。
日向と日影。
両者が同時に走り出し、間合いに入ると同時に拳を繰り出す。
「死んでも勝つ!!」
「負けられねぇんだよッ!!」
繰り出された両者の拳は、ほぼ同時に相手の左頬を殴り飛ばした。
しかし、二人は下がることなく、そのまま拳を振るい続ける。
ピタリと足を止めて、相手の反撃に怯むことすらなく、自分の攻撃を敢行し続ける。
「うおおおぁぁぁぁっ!!」
「おるぁぁぁぁッ!!」
完全な、ノーガードの殴り合いだ。
日向の左フックが、日影の右頬を捉える。
それを受けながら、日影が右フックで日向の左頬を殴り返す。
今度は日向が日影の左頬を狙って右フック。
これは、日影がちょうど上体を下げたので空振った。
姿勢を低くした日影の左フックが、日向の右わき腹に突き刺さる。
それでも日向は動きを止めず、逆袈裟に振り下ろした拳で日影のこめかみを打ち抜く。
やがて、日影が大きく振り上げた左アッパーが、日向の顎を下から打ち抜いた。
「だるぁぁッ!!」
「あがっ……!?」
これは効いた。
日向は、今まで麻痺していた痛覚と疲労感が、全て戻ってきたかのような感覚に襲われた。
背中から倒れそうになるくらい、大きくのけ反った日向。
その日向の顔面を殴り飛ばすべく、日影が最後の力を振り絞った右ストレートを繰り出す。
「これで終わりだぁぁぁッ!!」
日影の右拳が日向に迫る。
日向は、倒れそうになった寸前で踏ん張り、のけ反った身体を元に戻す。
その勢いを利用して頭突きを繰り出し、顔面を狙ってきた日影の拳に自分の前頭部を叩きつけた。
「がぁぁぁぁっ!!」
バギャッ、と乾いた音が鳴り響いた。
骨が砕けるような、生々しい音だった。
激突した日向の頭部と、日影の拳。
打ち負けたのは……日影だった。
「ぐッ……、拳が……!」
右拳が破壊されて、激痛で表情が歪む日影。
その痛みに日影が気を取られた、その隙に。
日向が、アーチを描いて振り下ろすような右フックを、日影の顔面に突き刺した。
「これで……終わりだぁぁっ!!」
「がぶッ……!?」
日向の拳の勢いは止まらず。
右フックはそのまま振り下ろすように振り抜かれ、日影を後頭部から地面に叩きつけた。
「あああああぁぁあぁああっ!!」
「ぐぁ……」
叩きつけられた衝撃で、わずかに日影の身体が跳ね上がる。
それほどの威力で叩きつけられたのだ。
そこで、止まった。
これまで日向が何度も殴りつけても止まらなかった日影が。
今は地面の上で仰向けに倒れて、止まっている。
彼の両目は閉じられており、意識が完全に飛んでしまっている。
決着が、ついた。