第1635話 命を懸ける価値
こっそり拾っていた日向の『太陽の牙』を引き渡す。
その言葉に反して、シャオランは狭山から逃げ出した。
逃げ出したシャオランは、再び”空の気質”を発していた。
人間を超えた脚力で、あっという間に狭山の前から遠ざかる。
この行動はあまりにも予想外で、思わず日影がシャオランに呼び掛ける。
「お、おいシャオラン!?」
「ヒカゲ! エヴァを連れて逃げて! ボクがサヤマを引き付けるから!」
そして狭山も、黙ってシャオランを逃がしはしない。
このシャオランの行動を予想していたかのように素早く”怨気”の腕を一本生成し、目にも留まらぬ速度でシャオランへ伸ばす。
一瞬のうちに追いついてきた”怨気”の腕が、シャオランを引き裂くために爪を振るう。
するとシャオランは身体ごと振り返り、回し蹴りで”怨気”の腕を打ち払う。
「やぁッ!!」
普通の人間に命中させていたら上半身が丸ごと吹き飛んでいたかもしれない強烈な回し蹴りだったが、この”怨気”の腕は霧散させることができず、少し動きを止めただけだった。
とはいえ、このままだと手こずりそうだと感じたのか、狭山は背中に”怨気”の翼を生成。異常としか言いようがない速度で飛行し、二秒もかからずシャオランの真横まで移動してみせた。
「速ぁっ!? 戦闘機どころの速さじゃない……宇宙ロケット……!?」
シャオランに接近すると、狭山は複数の”怨気”の腕を生成。そして間髪入れずシャオランに攻撃を仕掛ける。生成したばかりの”怨気”の腕の群れが、視認できないほどの速度でシャオランに襲い掛かった。
シャオランは、この”怨気”の腕の動きをまったく捉えることができなかった。
しかし、狭山の攻撃の予兆はわずかに感じることができたので、”怨気”の腕から逃れるため、己の勘を信じて思いっきり後方へ飛び退く。
”怨気”の腕が数本、シャオランに命中。彼のわき腹から大きく出血。右太ももの一部が削り取られ、左の前腕も半分近く抉られた。
「うっぐぅぅ!?」
激痛で顔を歪ませるシャオラン。
傷口を焼く”怨気”が、その激痛をさらに引き上げる。
とはいえ、これはまだダメージが軽く済んだ方だ。いや、むしろ最小限と言えるかもしれない。あれ以上タイミングがずれていれば、今ごろシャオランの五体はバラバラになって大地の上に散乱していただろう。シャオランがどれだけ素早く動いて回避しても、今の狭山ならば、後出しの攻撃でもシャオランに追いついてしまう。
血しぶきが上がりながらも地面に着地するシャオラン。
再び狭山から距離を取るために、後ろへ飛び退こうとした。
だが、足に力を入れた瞬間、シャオランは背中から転倒してしまった。いま受けたダメージが大きすぎて、着地に耐えられなかったのだ。
「ううっ……」
すぐに立ち上がろうとしたシャオランだったが、そのわずかな間に、狭山はシャオランに追いついてしまった。”怨気”の翼を広げた狭山がシャオランの目の前に着地する。
まだ立ち上がれないシャオラン。
そんなシャオランを、少し呆れた風な視線で見下ろしながら、狭山が声をかけてきた。
「どうして逃げるんだいシャオランくん。もうその『太陽の牙』は機能を停止している。言い方は悪いけど、もう使い道のないゴミだ。それを渡してくれたら君はしばらく生きられたのに、どうして命をかけてそれを拒む?」
その問いかけに対して、シャオランは答える。
まだ勝利を諦めていない、力強い瞳で。
「だったら……どうしてサヤマは、その使い道のないゴミを、そんなに必死になって奪おうとするの? 何か……回収しないと都合の悪いことでもあるの?」
「なるほど、これは一本取られたね。認めるよ。自分はその『太陽の牙』にまだ危険性を感じている。日向くんはまだ再起不能になっていないのではないか。復活するのではないかという危険性を。その危険性を完全に消し去るために、君から『太陽の牙』を奪わなくてはならない。君も自分と同じことを感じたから、『太陽の牙』を自分から遠ざけようとしたんだね?」
「……さっきヒューガが死んで、ボクが『太陽の牙』を拾った時、ぬくもりを感じたんだ。そのぬくもりは、放っておけば冷めていくかなと思ったけれど、いつまで経っても冷めなかった。むしろ、ほんの少しずつだけど、どんどん温かくなっていくような気がした。だから、まだヒューガは生きてるんじゃないかって……この『太陽の牙』は生きているんじゃないかって、そう思ったんだ」
そう言って、シャオランは『太陽の牙』をしまっているのであろう道着の胸のあたりに手を当てる。
シャオランの答えを聞いた狭山は、納得がいったようにうなずいた。
「先ほど君が自分に助命を願ったのは、君自身と一緒に『太陽の牙』の無事を確保し、日向くんの復活の時間を稼ぐためか。あの土壇場で、よく考えたものだね。けれど、日向くんが復活するのは、あくまで『かもしれない』という話だ。君がこれだけ命を懸けても、日向くんが復活するとは限らないんだよ?」
「そうかもしれない……。それでもボクは、その可能性に命を懸けたかった! ボクたちがここまで来れたのは、たくさんの人たちに助けられたからだ! マモノ対策室や自衛隊の人たち。ロシアのオリガやズィーク。アメリカのマモノ討伐チーム。アラムくんたちや、ブラジルのエドゥたち。あちこちで出会ったマモノたち。師匠やスピカ、ヒューガたち、リンファだって! 『最後で諦める』なんて終わり方じゃ、みんなに顔向けできないもん!」
決意を叫び、シャオランは狭山に殴りかかった。
傷口から噴き出す出血に歯を食いしばり、残っている力を振り絞って。
「立派だ、シャオランくん。あの怖がりな少年が、よくぞここまで成長した」
狭山もまた、拳を構える。
そして、シャオランが拳を突き出すより早く懐に飛び込み、シャオランの腹部にボディーブローを突き刺した。
シャオランが殴られたのは腹部。
しかし、彼の背中から大量の血と肉片が飛び散った。
狭山の強打で、シャオランの腹部に大きな風穴を開けられてしまったのだ。
「ごっ……は……」
口から大量の血を吐き、吹っ飛ばされるシャオラン。
背中から地面に落下するまでの時間が、妙に長く感じる。
痛かった。
涙が出そうなくらいの、死ぬほど痛い一撃だった。
「本当に……昔のボクじゃ、絶対にありえない行動だったと思う……。こうなることを分かってて、こんなことをするなんて……。でも、今はこの痛みが……なぜかとても……誇らしいや……」
そしてシャオランは地面に落下し、仰向けに倒れた。
同時に、彼の命は、そこで終わった。
石暁然、死亡。