第1619話 完全な怪物
時間は少し遡る。
日向たちが『幻の大地』に向かう前日。
本堂はエヴァに声をかけ、例の「自分が理性を捨てて『星の力』を最大限まで吸収する作戦」を提案した。
当然ながら、エヴァは難色を示す。
「それは駄目です。身体も心もあなたでなくなるのですよ? それはもう、あなたという人間の死も同然です」
「承知の上だ」
「承知しているなら取り下げてください! なぜそんな自殺同然の作戦を考えるのですか!」
「これまでの俺達の『星殺し』に対しての勝利は、多くの犠牲の上に築かれたものだ。しかし、狭山さんとの戦闘には俺達五人しかいない。あの『星殺し』の大本たる狭山さんを相手にして、何の犠牲も無しに勝利を掴めるなどという甘い考えは最初から持っていない。恐らくお前も……きっと他の皆も、薄々そう感じていただろう。ただ普通に狭山さんと戦うだけで、本当に勝てるのかと」
「それは……確かに私も思ってはいましたが……」
「誰かを犠牲にしなければならない場面が出てきた時、その犠牲は俺が担当する。犠牲になる瞬間というのがいったいどのような形でやって来るかは分からないがな。予定通り、俺が怪物になって力を得るパターンもあれば、狭山さんの攻撃を受けそうになった誰かを俺が庇うというパターンもあるだろう」
「そ、それでも、私は嫌です。『あめりか』のニコ・ブライアントの時だって、今でも後悔しているのです。たとえ、あれが彼女たちの勝利につながって、彼女は私に感謝しているとしても」
「ふむ……。俺とて、そこまで無理強いしてお前に頼むのは気が引ける。どうしても断るというなら諦めるが……他にもう二つ、理由がある。最終的な結論は、それを聞いて熟考してからにしてくれないか?」
変わらず、真剣な表情でそう尋ねる本堂。
エヴァも相変わらず嫌そうな顔をしていたが、ため息交じりにうなずいた。
「……分かりました。それで、その二つの理由とは何なんですか」
「ブラジルで北園がヴェルデュ化した時、俺は日向に『なぜ北園にトドメを刺さなかったのか』と言った。あの場面において、北園は多くの生存者を虐殺した、もはや救いようのない怪物になっていた。日向が北園を殺す予知夢のこともあった。あの場で排除するべき障害だった。日向には悪いことを言ったと思っているが、あの場面においては、あの判断は完全な間違いではなかったと今でも思っている」
「それで、日向に悪いことを言ったから、自分の死で償おうとしているのですか?」
「そういうわけではない。多少は含まれているかもしれないが。ただ、俺はあの場面で、日向と北園に対して冷徹な判断を下した。他人に対してそういう判断を下す以上、必要であれば、自分に対しても容赦なくそういう判断を下すべきだ。そう考えたのだ」
「……もう一つの理由は?」
「俺のマモノ化が、もうかなりの部分まで進行している。たとえ狭山さんとの戦闘で完全なマモノ化をせずとも、いずれ俺は心身ともに人間でいられなくなるだろう。どうせ怪物になり果てるなら、せめてその力を十全に活かせるタイミングで成るべきだ。違うか?」
本堂が挙げた理由は、どれも合理的で、正しいものだった。
合理的で正しいからと言って、それをエヴァが納得できるかは別問題なのだが。
とはいえ、このままで本当に狭山に勝てるのかどうかについては、エヴァも強く感じていたことだった。
理想ばかり追求して、できることを全てやらずに敗北した時、自分も本堂も、悔いの方が大きく残ってしまうのではないか。
そう考えて、エヴァは本堂に『星の力』の結晶を渡すことにした。
「……本当に、本当に必要な場面になってから使ってください。そんなもの、使わずに済むなら、それが一番なのですから」
「承知した。それと……エヴァ」
「なんですか?」
「有難う。こんなふざけた頼みを聞いてくれて」
「……まったくです。不服を申し立てます」
「俺をマモノ化してから、俺の身体や心の具合をそれとなく気遣ってくれていた事にも、助けられた」
「き、気のせいです。私は知りません」
「ふっ。何となく、小さい頃の妹を思い出すな」
「まるで私が小さい子供みたいな言い方じゃないですか。不服です。重ねて不服を申し立てます」
本堂にふくれっ面を向けるエヴァ。
彼はそれを見て、やはりと言うべきか、また微笑んだ。
◆ ◆ ◆
そして現在。
本堂のマモノ化が終わった。
体格はヒグマよりもさらに巨大になり、岩石のように筋骨隆々に。着ていた衣服は派手に破れ、ぼろ布となって彼の身体に纏わりついている。
両手からは、一本一本がナイフのように鋭く大振りな爪が生えている。さらにここで、マモノ化した本堂を象徴していた、骨格を変形させた大振りな刃も両腕から生えてきた。
裂けたように顎は大きく開くようになり、口の中には恐竜かと思うような鋭い牙が並ぶ。
そして、これまで日向たちの中で最も知性を湛えていた瞳は、今はもう瞳孔が無くなったように真っ白になり、魔獣のように鋭い眼光を放っている。そこにもう知性は感じられず、あるのはただ獰猛のみ。
完全な怪物と化した本堂は、口から涎を垂らしつつ、狭山に向かって吠え声を上げた。
「グオオオオオオッ!!」
「……見事な覚悟だ、本堂くん。君のその決意に敬意を表し、そして、嘲笑うかのように踏みにじってみせよう」
狭山がそう宣言し終えた、その瞬間に本堂が動く。
膨れ上がった体格からは想像もつかないほどに、そのスピードは速かった。
「グオオッ!!」
「速い……!」
瞬間的な速度は、確実に音速を超えていた。
そして、右腕の刃から雷のエネルギーを噴出。
十メートル以上は伸びた、ビームのようなエネルギー刃を狭山めがけて叩きつける。
狭山はそれを防御せず、大人しく横へ跳んで回避。
エネルギー刃は大地に叩きつけられ、二十メートル以上もの電磁の切れ込みが地面に刻まれた。
横へ跳んだ狭山を狙って、本堂は左腕の刃で同じようにエネルギー刃を作り出し、それを左から右へ思いっきり振るう。前方、左右、合わせて二百五十度をカバーする超広範囲の横斬りだ。
狭山は、この横斬りをジャンプして避けて、地上の本堂めがけて”魔弾”を発射。六本の”怨気”の腕の指先で放つ、計三十発の赤黒い砲弾だ。
本堂は、最初の十発をギリギリまで引き付けて、右へ跳んで回避。その回避先を狙って飛んできた次弾の十発もジャンプして回避し、後詰で飛んできた残りの十発は両腕の刃を振るって弾き飛ばした。
「ゴアアアアアッ!!」
「あの巨体で、動きも細やかときた。ただでさえ超人的だった反応速度もさらに向上している。なるほど、これは油断しない方が良さそうだ……!」
楽しそうだが、どこか緊迫感を帯びた声で、狭山はそうつぶやいた。
その一方で日向たちは、怪物となって狭山を追い立てる本堂を、呆然と眺めていた。
「本堂さん……」
「……なっちまったモンは仕方ねぇ。本堂に続くぞ! アイツの決意を無駄にすんな!」
「ホンドーがあそこまでやったんだ。この勝負、勝たないと申し訳が立たない! ホンドーにも、ここまでボクたちを助けてくれたみんなにも!」
「……行きましょう日向。きっと、仁もそれを望んでいます」
「…………ああ、分かった。行こう……!」
絞り出すように、日向はエヴァの言葉に返事をして、駆けだした。