第148話 仕事の後のひとっ風呂
下水道のマモノ退治を終えた五人と狭山は、その足で銭湯へと向かう。戦いで溜まった疲労と、こびりついた汚れを落とすのだ。
中でも、シャオランと日影が特に楽しみにしているようだ。
「ニホンの銭湯! 一度入ってみたかったんだー!」
「オレも楽しみだ。日向の記憶と、実際に体験するのとでは、随分と印象が違うことも多いからな」
その一方で、日向が車を運転している狭山に話しかける。
「それにしてもさっきの野次馬、一体何だったんですか? 下水道に入る時は、人通りの少ない路地というのもあって、周りには誰もいなかったのに」
「あー、アレかい? 調整池に戦いの場を移すと決めた時、念のために自分が警官隊たちに指示を出したんだ。『危険だから調整池の出入り口一帯に人を近づけさせないようにしてくれ』ってね。……けど、それが裏目に出てしまった」
「と、いうと?」
「警官隊の包囲網に気付いた野次馬たちがあれよあれよと集まってきて、誰が漏らしてしまったのか、調整池でマモノ討伐チームが戦っているという情報まで知られてしまった。野次馬たちは数の勢いで警官隊を突破し、君たちを一目見ようと待ち構えた。ついにはテレビカメラまでやって来て、とうとう収拾が付けられなくなってしまったよ。人間の情報伝達の速さは恐ろしいものだね」
「狭山さんでも、そういうミスはするんですね」
「まぁね。自分だって万能ではない。そうなれれば、と努力はしているけどね。……けど、警官隊を向かわせたことで得したこともあった。君たちが救助した雄太くんを早急に保護できたのがその筆頭だね」
「そうだった。あの雄太って子は、もう大丈夫なんですか?」
「うん。体力の消耗は大きかったけど、それ以外に目立った怪我などは無かった。とはいえ、長時間下水道をほっつき歩いていたんだ、小さな怪我から破傷風につながる恐れもある。警官隊の手で、早急に病院へと送ってもらったよ」
「なるほど。とにかく、無事でよかった」
自分たちが、マモノから子供を救った。
そう考えると、日向は少し誇らしい気持ちになった。
遠い夢が、少し叶ったような気分だった。
続けて狭山は、北園に声をかける。
「それと北園さん。パワーアップした超能力、見事だったね。空中浮遊だけではなく、よく見れば発火能力などの威力も向上している。……自分が思うに、君の超能力が強くなったのは、ロシアから帰ってきてからじゃないかい?」
「あ、正解です! もちろんそれからも精神修行とかはしてるんですけど、間違いなくロシアでの戦いの後に超能力が強くなってます!」
「やっぱりか。もっと言えば、恐らくオリガさんが君に厳しく当たったところが節目だろう。精神力の強さが超能力の強さだ。あの時、君はショッキングな出来事を体験する羽目になったが、それが君の精神を強くした」
「ショッキングな出来事で……」
どこか心当たりがあるような風に、北園は呟いた。
「とはいえ、そういうイベントごとで超能力が強くなるのは一回こっきりが精々だ。反復しても効果は薄い。刺激の新鮮さが落ちるからね。精神に影響を与える出来事なんて、そうそう周りに転がってるものでもない。だから、『超能力を鍛えるためにもっとオリガさんにいびられよう』とか考えているのなら、止めた方が良いよ」
「なるほどー。やっぱり狭山さんって、超能力にも詳しいですよね!」
「まぁ、古い知り合いからの聞きかじりだけどね。……おっと、到着だ」
話をしている間に、六人は銭湯へと到着した。
赤い外壁に黒い縁取りが特徴的な、それなりに大きいスーパー銭湯だ。
狭山は手慣れた運転で車をバックさせ、駐車場に車を停めた。
「……じゃ、自分はここで待ってるから、ゆっくりしてくるといいよ」
「あ、狭山さんは来ないんですね?」
「うん。何しろ今から事後処理の指示に、下水道の補修費用の試算、残存するマモノの討伐に赴く警官隊のオペレーションと、まだまだ仕事が山積みだ。自分が下水道に入ったワケでもないから、温泉に入る必要性も無い。自分のことは気にせず、身体を癒してきてね」
「分かりました。でもまぁ、コーヒー牛乳くらいは買ってきますよ」
「お、それは嬉しいね。楽しみに待っておくよ」
狭山との会話を終えると、五人は車を下りて、銭湯へと入っていった。
◆ ◆ ◆
「はい上がったー」
温泉に入った日向は、すでに着替えを終えて更衣室から出てきたところだ。入浴時間はかなり短く、せいぜい一分ほどしか湯船に浸かっていない。
「野郎の入浴シーンなんざ映しても、誰も楽しくないだろうしなー。そして俺は水面に姿が写らない。誰かに気付かれて不気味がられるのも嫌だし、身体が温まったらさっさと上がるに限る」
ちなみにシャオランと日影はまだ湯舟を堪能している。宣言通り、とことん楽しむつもりらしい。
一方で、本堂は日向よりさらに早く上がっている。身体を洗ってから湯船に浸かり、数十秒という短時間で上がってしまった。
まだ湿っている髪の毛をわしゃわしゃとかき分けながら、エントランスの待合室に向かう。そこには本堂と、一人で女風呂に行っていた北園がベンチに座っていた。
北園も湯船から上がったばかりなのだろう。艶やかなボブヘアーからほかほかと湯気が立っており、ふんわりとした頬は赤みを帯びている。湯あがりたまご肌である。
(かわいい)
などと思いつつ、日向は二人が座るベンチへと向かった。
「む、日影……じゃない、日向か。もう上がったのか」
「あ、日向くん。良いお湯だったねー」
「うん、良いお湯だった。それと、本堂さんも随分と早く上がってましたけど、ちゃんと温まりました? 二十秒くらいしかお湯に浸かっていなかったような気がするのですが」
「ああ。良い湯だった。またいつか入りたいものだ」
「それならもっと入っていれば良かったのに、なんで早く上がったんです? 何か事情が?」
「あれほど気持ち良いと、身体の力が抜けてしまいそうでな。そうなると身体に溜まった電気が思わず抜け出て、せっかくの湯舟を電気風呂に変えてしまいそうだった」
「早く上がってくれてありがとうございます」
「どういたしまして、だ。……最も、もし此処が混浴だったら、多少気を張り詰めてでも長く入っていたが」
「またそういうこと言う……。おかげで最近、本堂さんが医者になることに危機感を覚えてきましたよ。一応聞きますが、女性の身体目当てで医者になるとかじゃないですよね? 本当に親の背中を見た結果なんですよね? 万が一女性目当てだったら、ここで斬りかかってでも止めますよ?」
「安心しろ。仕事とプライベートを分けるくらいの甲斐性はある。施術の時は、巨乳の女性を前にしても一切動揺しないと断言しよう」
「それならまぁ、良いんですけど……」
「……と言っておけば、とりあえず日向は誤魔化せるだろう」
「オイ今なんつった!?」
ボケる本堂にツッコむ日向。
そんな二人を見て、北園はクスクスと笑う。
「ふふふ、漫才見てるみたい」
「好きで漫才してるワケじゃないんだけどね……」
「日向くんってさ、なんか変わったよねー」
「変わった? 性格とかが?」
「うん。特に、高校に入ったばかりの頃の日向くんは、なんだかすごく暗かったもん。わざとみんなから距離を取ってる……みたいな?」
「それは……うん、確かにそうだったかもしれない。」
「分かるぞ。俺も最近は、日向から妙に強く当たられることが多くなった」
「それはアンタがボケ倒すからでしょーが!」
「というか、ツッコミ役が板についてきたな」
「誰のせいだと思ってるんですか!」
「…………。(そっと北園の方を見る)」
「こっちを見ろぉ!!」
日向と本堂のやり取りを見て、再び北園が柔らかく笑う。
「何となくだけど、最近の日向くんって、日影くんに似てきたような気がする。あまり他人に物怖じしなくなったところとか、特に」
「……それって誉めてる?」
「誉めてる誉めてる。なんというか、今の日向くんの方が自然体に感じるよ。たぶん、前の暗い日向くんより、今くらいの日向くんの方が素なんじゃないかなぁ? 前より少し明るくなって、他人ともしっかり向き合って、けれどちょっと抜けてるところがまた親しみやすくて……素敵な性格になったと思うよ!」
「す、素敵な……」
その一言を受けて、日向はひどく気恥ずかしそうに頬を掻いた。
(……しかし、日影に似てきている、か。言い得て妙というか、なんというか。俺にとって、アイツは『俺の憧れの姿』だ。悔しいけど、あの強さ、度胸、粘り強さは見習いたくなる。アレが俺の憧れである以上、その憧れに近づこうとするのは当然だもんな)
◆ ◆ ◆
その後、日向たちは乗ってきた通信車で十字市へ帰還。
北園、本堂、シャオランと順に送ってもらい、残っているのは日向と狭山と日影だけ。
狭山と日影はそのままマモノ対策室十字市支部に車で戻るため、送迎してもらうのは日向だけである。
とはいえ、家の前まで車で送ってもらったら、母親から怪しまれるかもしれない。母には「友達と遊びに行っている」と伝えているのだから。そのため、日向は自宅から少し離れたところで下ろしてもらった。
「じゃあ、今日はお疲れ様。コーヒー牛乳、ありがとうね」
「ええ、お疲れ様です」
狭山に別れの挨拶する日影。
その後、日影も声をかけてきた。
「こんな家から離れた場所に車をわざわざ停めさせて、ご苦労なこったな。そろそろ母親にマモノ退治してるってバラしたらどうなんだ? いつまでも隠してるのは色々と不都合だろ?」
「無茶言うな。『今日はデカいワニと殺し合ってきたよ』なんてウチの母さんに言ってみろ。ショックでお亡くなりになるぞ、たぶん」
「違ぇねぇ。難儀だな、まったく」
「本当にな」
狭山と日影に別れを告げると、日向は自宅へと向かう。
自宅にはすぐに到着し、ドアを開けて玄関へと入った。
「ただいまー」
マモノと戦ったことを悟られないよう、普段通りの声色で帰りを知らせる。
リビングから日向の母がやってきて、出迎えてくれた。
何やら神妙な面持ちをしているように見える。
「おかえり、日向。……今日は、どこ行ってたの?」
「んー、まぁ色々。友達の家に行って、その辺を遊びまわって、あと銭湯にも行ったな」
「せ、戦闘!? 一体何の戦闘に行ったの!?」
「何のって……普通の銭湯だよ? スーパー銭湯」
「スーパー戦闘!?」
「うん。良いお湯だったよ?」
「……あ、ああ、銭湯ね。そっちね。そうよね、普通そうよね」
「他にどっちがあるというのだ……。まぁそういうワケで、連絡した通り晩飯も済ませてきたし、風呂も大丈夫だから。あとはのんびりゲームで遊んで、寝ます」
「え、ええ。分かったわ。ゆっくり休みなさいな」
「うん。分かった。……母さん?」
「な、なにかしら?」
「なんか元気が無さそうに見えるけど、大丈夫?」
「……ええ。大丈夫よ。元気いっぱいよ! ルンルン!」
「そ、そう。そうみたいだね。心配して損した。あとルンルンってどうなの」
「可愛いからいいでしょー?」
「もう40歳のオバンなのに」
「あ、ちょっと! 今のは聞き捨てならないわよ!?」
「ひぇぇ、お許しをー!」
日向は逃げるように、自分の部屋がある二階へと駆け上がっていった。
そんな息子の後ろ姿を見送りながら、日向の母は不安げな表情で、か細く呟いた。
「日向……あなたは、本当は……」
こうして、今日という戦いの一日も無事に終了した。
最後に余談だが、動物園から脱走したワニは、二度と戻ってこなかったという。