第1586話 人の罪
レオネ祭司長の心臓を探しに、ブラジリアまでやって来た日向たち。
そのレオネ祭司長の心臓があると思われるブラジリア国立公園にて、日向たちの前に立ちはだかったのは、リオデジャネイロで死んだはずのレオネ祭司長その人だった。
しかし日向たちも、今さらレオネ祭司長が蘇っていたところで驚きはしない。ロストエデンの外殻と同じく、ロストエデンの本体であるレオネ祭司長もまた、彼女の心臓を破壊しない限り復活し続けるのだろう。
日向たちの前に立っているレオネ祭司長は、表情は今までと変わらぬ無表情だ。まるで日向たちに最初から興味を持っていないかのような。
だが今回は、日向たちに対して明確に敵意を向けているように感じる。
彼女から放たれる重圧が、今までの比ではない。
高次元の存在が、日向たちという生物を見定めているかのようだ。
レオネ祭司長が、日向たちに向けて口を開く。
「随分と迷いなく、ここまで来ましたね。あなたたちはいったい、この地に何を求めて来たのですか?」
その言葉に対して、日向が代表して返答する。
「もうとっくに分かっているんじゃないですか? それともあくまで、自分の弱点は最後まで暴露しないつもりですか? ここに、あなたの心臓が隠されているんでしょ?」
「……お見事です。とうとう、その答えにたどり着かれてしまいましたか」
そう言うとレオネ祭司長は、地面に手を突いた。
彼女の足元が蒼く輝き、土の中から何かが現れる。
今の蒼い輝きと同じ光を放つ、人間の心臓だ。
「ロストエデンは、外殻と本体が独立した『星殺し』。そしてロストエデンの本体である私自身も、この肉体と心臓を分離し、疑似的な不死性を獲得していた。肉体が死んでも、心臓がここで動いている限り、私は……ロストエデンは永遠に生き続ける」
「やっぱりそういうことでしたか。俺が思うに、ロストエデン外殻の能力は『復活と進化、そしてヴェルデュの発生』。一方、このブラジルの大地を作り替えた『緑化現象』は、あなたの心臓が持つ『星の力』が発生させていた。ロストエデンは、外殻と本体でそれぞれ別の能力を持つ『星殺し』だった。違いますか?」
「確かに、ロストエデンの外殻は『感染』という手段でしか『端子』を……ヴェルデュを作り出せない。故に、私の心臓が持つ『星の力』を利用し、ロストエデン外殻が感染を広げやすい……生命に溢れた環境を作り上げたのです。それが、この国で発生した緑化現象の正体。そしてこれは同時に、『緑化現象は外殻の能力』と思い込ませ、この私の心臓を存在ごと隠すカモフラージュの役割もありました」
「まんまとしてやられましたよ。俺たちはとっくの昔にゴールにたどり着いていたはずなのに、見事に騙され続けて、こんなに遠回りしてしまった。ところで今、ヴェルデュを『端子』と呼んでいたのは……?」
「ロストエデンは自分の細胞を散布し、他の生物を、あなたたちが言うヴェルデュに変異させます。そしてロストエデンとヴェルデュは意識がつながっている。ヴェルデュが受けたダメージ、死因がロストエデンの外殻にフィードバックされて、次代の進化の方向性を決定づけるのです」
「ヴェルデュとロストエデンには、そんな関係もあったのか……」
「心臓が生きている限り、ロストエデンは何度でも蘇り、そして際限なく強くなる。すでに七度、ロストエデンはあなたたちに滅ぼされた。次はさらに強力な能力を手に入れることでしょう。あるいは、あなたたちの『太陽の牙』も完全に克服できるかもしれませんね」
「そうさせないために、ここに来ました。ロストエデンの外殻の姿は、まだここにはいない。復活が間に合わなかったんじゃないですか?」
日向がそう問いかけると、レオネ祭司長は返答する。
表情も声色もまったく変えず、ただ淡々と。
「お恥ずかしい話ですが、その通りです。復活するたびに強くなるロストエデンですが、その復活の際にかかるエネルギーも大きくなる。次の外殻は鋭意製造中でしたが、とうとう間に合いませんでした」
それを聞いて、日向たちの心に安堵が生まれた。レオネ祭司長も決して侮れない戦闘能力を持ってはいるが、それでもあの第七形態のロストエデンと比べればはるかに弱い。ここで日向たちが全員で相手をすれば、負けることはまず有り得ない。
「貴方たちも、そろそろ私の心臓の存在に気づく頃だとは予想していました。故に、外殻をこの地に呼び寄せ、私の心臓を取り込ませ、守らせようと思っていました。しかし、それも阻まれてしまいましたね」
「ロストエデンがどれだけ妨害を受けても北へ向かおうとしていたのは、北アメリカ大陸に感染を広げるためじゃなくて、このブラジリアであなたの心臓を回収するためだったんですか。けれど、ここまでです。外殻がまだ復活していない以上、俺たちとあなたの戦力差は明確です。このまま大人しく心臓を差し出してくれたらありがたいんですが」
「そういうわけにはいきません」
「ですよね。それじゃあすみませんが、俺たち全員で……」
「……貴方は一つ、思い違いをしている。私が何の勝算もなく、ただ自殺行為同然に貴方たちの前に姿を現したとでも?」
「え……?」
「たしかに外殻の製造は間に合いませんでした。ですが、一から外殻を作るのではなく、すでにこの場にある『材料』を使えば、その限りでもないのです」
そう告げると、レオネ祭司長の周囲から濃い緑色の汚泥が発生。ロストエデンの細胞が可視化するほど集まり、練り固まったものだ。
その緑の汚泥が、レオネ祭司長を四方から包み込む。
彼女の手の上にあった、彼女の心臓ごと。
レオネ祭司長を包み込んだ緑の汚泥がブクブクと泡立ちながら、地面へと落ちていく。
やがて汚泥の中から、レオネ祭司長が姿を現した。
その外見は、先ほどとは大きく変わっていた。
アーリアの祭祀服と思われる露出度の高い薄金色の衣服は、新緑の葉に包まれたものに様変わりしていた。服なのか、体皮なのかは、ハッキリとは分からない。
銀色だった彼女のロングヘアーは、身体を包み込む新緑の葉と同色の、明るい緑色になっていた。そして背中には、ロストエデン第七形態の時にも見られた月桂冠が光輪のように浮かんでいる。
レオネ祭司長が手に持っていた彼女の心臓は、その手の上から消えていた。
代わりに、彼女の胸の真ん中が、内側から蒼い光を放っている。
恐らく、あるべき場所に心臓を取り込んだのだ。
この地に隠していたのがバレた以上、もう切り離している意味も無い。
姿が変わったレオネ祭司長は、彼女自身の厳かな雰囲気も相まって、神秘的な月桂冠の擬人化とでも言うべき様相だった。
目を閉じていたレオネ祭司長が、その目を開いて、不意に日向たちに声をかけてきた。
「……貴方たちは、知的生命体たる人間の最大の罪とは何だと思いますか? 貴方たちも、我々アーリアの民も等しく抱える、最も大きな罪業とは?」
「え?」
「貴方たちの聖書に語られる、七つの大罪を犯すことですか? それとも、助け合うべき仲間たちと衝突すること? あるいは、誰かにとっての楽園を、自分たちの都合で破壊すること?」
あまりにも急な質問。
そして、決して軽い題材ではないので、日向たちもすぐには答えられない。それぞれ顔を見合わせてしまう。
そんな日向たちに対して、レオネ祭司長は話を続ける。
「……私は、『無知であること』だと考えています。あらゆる罪、あらゆる業は、事情を知っていれば回避できる。事情を知っていれば許容できる。何も知らなければ、知らぬうちに罪を犯す。目の前の罪人に対して、事情も背景も信念も加味せず、自分自身の価値観で善悪を決める」
「無知であること……」
「『正義の反対は悪ではなく別の正義』という言葉があります。相手の正義の意味を理解しつつ対立することもまた正義ならば、悪とは、相手の事情も信念も知らないまま、あるいは知ろうともせず、その相手の正義をただ破壊して踏みにじること。故に無知は、全ての悪徳の起源に通ずる、最も大きな人間の罪業……私はそう考えています」
そう言われて、日向も思い当たる節はあった。
このブラジルで幾度となく衝突してしまったエドゥ。
ヴェルデュと化し、それぞれの欲望のままに動いてしまった北園やレイカ。
皆それぞれに、何らかの事情や信念はあった。
それが許容できるかどうかはともかく、確かに彼らなりの意志は存在したのだ。
その意志を知らなかった日向は、ただ反りが合わないという理由だけでエドゥを悪く思い、ただヴェルデュになったからレイカや北園を始末しようとした。
レオネ祭司長が再び口を開く。
彼女から発せられる重圧が、よりいっそう強くなった。
「『牙』よ。あの御方と相対する資格があるか……ここまでの戦いでどれだけ研ぎ澄まされたか、この私に示しなさい。それができなければ、ここが貴方の英雄譚の終焉となるでしょう……!」
「……俺たちはもう一度狭山さんに会って、そして絶対にあの人に勝って、この星を守ります。そのために、まずあなたに勝たないといけないと言うのであれば、絶対に勝ちます。……行くぞ、ロストエデンっ!!」
その日向の言葉を皮切りに、日向たちも、レオネ祭司長も、一斉に動き出した。
これが本当に、正真正銘、ロストエデンとの最終決戦となるだろう。
荒れ果てた南米の大地の上で、最後の『星殺し』の討滅戦が始まった。