第1568話 羽化
時間は少し戻って、日向と北園の戦闘が終わったころ。
その時、日影はレオネ祭司長を背後から『太陽の牙』で刺し貫いていた。
「ぐ……」
自分の腹部から突き出ている厚みある刀身を見つめるレオネ祭司長。その表情は、何とも表現しがたいものだった。パッと見は驚いているように見えるが、どこか落ち着いているようにも見える。
レオネ祭司長を背後から突き刺した日影は、彼女の表情は見えない。
ゆえに、お構いなしに彼女から『太陽の牙』を引き抜いた。
突き刺されていた『太陽の牙』を引き抜かれ、よろめくレオネ祭司長。
倒れそうになったが踏ん張って、背後にいる日影の方を振り向いた。
「ごほっ……。そんな予感は、していました……。スピグストゥリカが私の注意を引き、背後から誰かが不意打ちしてくるのだろうと……」
「わざと背中を刺させたってのか、アンタは?」
「少し、話に夢中になっていた……それだけのことです……」
絞り出すようにそう答えて、レオネ祭司長はゆっくりと片膝をつき、このビルの屋上の床の上に横たわった。
一方、ロストエデンはというと。
日影がレオネ祭司長を貫いたのと同じタイミングで、ピタリと動きを止めていた。
そしてレオネ祭司長が倒れたのと同じタイミングで、ロストエデンも四つん這いの体勢のまま、その場にうずくまるように倒れ込んだ。
ロストエデンだけではない。
この場にいたヴェルデュたちもまた動きを止め、同じく倒れていた。
見た限り、巨大な個体から小さな個体まで、その全てが活動を停止していた。
「……終わったのか」
ポツリと、日影はつぶやいた。
ここまで何度も復活して、そのたびに討伐したロストエデン。
幾度となく戦闘を繰り広げることになった強敵。
「そんな怪物も、復活の仕組みが判明して、そして弱点を突かれたら、こんなにもあっけなく終わるモンか……」
そう口にした日影の表情は、どこか哀愁が漂っていた。
それから、地上でロストエデンの注意を引いてくれていた本堂、シャオラン、ミオンの三人もこの場に合流した。この三人は超人なので、ビルの外壁を伝ってここまで飛び乗ってきた。
「ロストエデン及びヴェルデュの動きが停止したが、作戦は成功したのか日影?」
「あ、人が倒れてる! この人……レオネ祭司長だ!」
「レオネちゃん……。そう。二人とも、上手くやったのね」
ミオンが、日影とスピカの二人にそう声をかけた。
その言葉に、二人はうなずく。
日影も、そしてスピカも、どこかこの勝利に思うところがあるような、複雑な表情をしていた。
「うん、やっちゃった……。やっぱりこうするしかなかったよ。レオネ祭司長もまた、他の民と同じく怨嗟に心を支配されちゃってた……」
「本当に、ただの人間を殺したくらいに、あっけなく終わっちまった。これで良かったんだよな? ロストエデンを倒すため、この女を殺すのは必要なことだったんだよな?」
「そのはずよ。これでもうロストエデンは終わった……」
ミオンの言葉と共に、皆がロストエデンに目を向ける。
先ほどまで暴れ回っていた緑の巨人は、顔を地面にこすりつけるように突っ伏している。もう動く気配は無い。
「……そのようだ。ロストエデンは終わった。俺達の勝利だ」
「…………待って」
シャオランが、短くそう声を発した。
その声色は、これ以上ないほどに、緊張感が圧縮されていた。
今一度、動かなくなったロストエデンを見る日影たち。
その時。
ロストエデンから、異様な音が聞こえた。
乾いた樹木が内側から破裂するような、グロテスクにも感じる音。
再び同じ音が聞こえた。
しかも今度はバキャバキャバキャ、と連続して。
その音が鳴り響くたびに、地に伏しているロストエデンの背中が盛り上がる。まるで蛹の羽化のように、あのロストエデンを突き破って中から何かが飛び出てこようとしているような気配を感じる。
「何だ……何が起こっている……!?」
「い、イヤな予感がするよ!? ヒカゲ、本当にレオネ祭司長をやっつけたの!?」
「あ、ああ! 手ごたえはあった! 間違いなくやったはずだ! だから、ロストエデンはもう終わるはず……」
「いい、え……まだ、終わらないのです……」
この場に倒れていたレオネ祭司長が、そう声を発した。
もう彼女は死んでいたと思っていた日影たちは、驚愕の表情で一斉にレオネ祭司長の方を見る。
「そりゃどういう意味だ……? お前はロストエデンの本体じゃなかったっつうのか!?」
「さて……。ただ、一つ言えるのは……私がロストエデンの本体ならば……その本体が殺されたのですから、今度こそ本体が倒されないように、外殻がさらに進化しようとするのは自然なことでしょう……?」
「進化だと……!?」
日影たちにそう告げると、今度こそレオネ祭司長は息を引き取った。
そうこうしているうちに、ロストエデンの背中は膨張を続け、とうとう本当に破裂した。
大きく裂けたロストエデンの背中の中から、濃い緑色の汚泥が一気にあふれ出る。
緑の汚泥は、ロストエデンの身体を包み込むほどの膨大な量が発生。そのままロストエデンの足元まで流れて、あっという間に道路の上に広がっていく。
「な、なにあの気持ち悪いドロドロはー!? それに、どう見てもロストエデンの身体には入りきらない量が出てるんだけどー!?」
やがて、洪水でも発生したかのように、緑の汚泥は恐ろしいほどの広範囲を埋め尽くした。日影たちがいるこのビルの一階にも汚泥は到達している。
その時。
この汚泥がいきなり、大きく膨らみ始める。
まるで、汚泥の下から巨大な人間が立ち上がろうとしているかのように、縦長に、そしてあまりにも大きく。
「おいおい、ウソだろ……!?」
「と、兎に角、攻撃を試みるぞ! 奴を復活させるな!」
「わ、わかった! 火の練気法”炎龍”ッ!!」
「”如来神掌”っ!!」
「”轟雷砲”……!」
本堂の雷光と、シャオランの蒼い気の奔流、そしてミオンの巨大な衝撃波が、まとめて汚泥の膨らみに叩きつけられた。
だが、汚泥の表面は飛び散ったものの、この膨らみは破壊できなかった。
三人はさらに攻撃を続けるが、それらの攻撃は意にも介さず、汚泥は天を目指すかのように立ち昇り続ける。
そして、汚泥の中から、長くて巨大な何かが飛び出してきた。
人間の上半身と、龍のように長い下半身を持つ、蛇人のような怪物が。
蛇人の全身はツタ植物が絡みついていて、緑色。
左右に三本ずつ、合計六本の腕を持っている。
蛇人の頭の上には、月桂冠のようなものが浮かんでいる。天使の輪のように、ひとりでに巨人の頭上にて浮遊しているのである。そして、この月桂冠の円周に沿って、六つの白い百合のような花が等間隔で咲いている。
とぐろを巻き、その場に佇む蛇人。
その大きさはあまりにも巨大であり、とぐろを巻いている現在の状態でも、周囲の高層ビルと同等の背丈を誇っている。全長は恐らくキロ単位に達するだろう。
深緑の汚泥の中から現れたこの巨大な蛇人を見上げながら、日影たちは愕然としていた。
「野郎……復活しやがった……。ロストエデンの第七形態だ……!」