第144話 下水道の主
『二人とも。日影くんたちが予定のルートを逸れた。次の合流ルートを表示したから、目的のポイントへと移動してほしい』
「わかりました」
「りょーかいです!」
当初の合流ポイントで待機していた二人は、狭山からの連絡を受け、再び移動を開始する。
日向が斥候を務め、北園が後からついて来る。
……と、ここで角の向こうからラージラットが飛び出してきた。
「チューッ!」
「うおっと!」
一瞬焦りを覚えるも、日向はすぐさま飛び出してきたラージラットを斬り伏せた。
……と、角の先からもう一匹やってくる。
姑息にも下水に身体を沈め、水中に身を隠しながら忍び寄ってきた。
「バレてるっつーの!」
「ギャッ」
体を屈めながら近づいて来る二匹目のラージラットに、日向は剣を垂直に突き刺した。
曲がり角の先に神経を集中させるが、もう何かが潜んでいる気配は無い。日向は引き続き、『太陽の牙』を松明代わりにしながら先に進む。
「いやぁ、日向くんが強いから、私の出番が無いなー。楽ちん楽ちん」
「別に俺が強いワケじゃないよ。ただ、下水道の探索っていうのは、少し慣れてる」
「『慣れてる』って? 以前も下水道の冒険してたの?」
「冒険したというか、ゲームで遊んだんだよ。下水道のステージって、アクションやRPGでも割とお馴染みだからさ。どういう怪物が出るか、とか、どんなふうに怪物が潜んでいるか、とか、少し予習できているんだよ。マモノにしてもネズミやコウモリ、あのあれは定番として、あとは蜘蛛のマモノあたりが出てきても不思議じゃないな」
「なるほどー。どうりでいつもよりマモノの不意打ちに対して冷静だと思った。日向くんは下水道の達人なんだね!」
「……なんか、絶妙に嬉しくないな、その称号」
二人が話をしながら歩いていると、やがて十字路に差し掛かった。ここが次の合流地点である。
「まだ日影たちは来てないな。……北園さん、分かってると思うけど、奴らの群れが来てもどうか焦らず、落ち着いてね」
「う、うん。こういう時は深呼吸だよね。吸ってぇー……げほっげほっ!? 下水の悪臭が~……」
「大丈夫か北園さん…………おや? この音は……」
日向が耳を澄ませると、何者かがバシャバシャと水を踏みつけながら走ってくる音が聞こえる。ラージラットの足音ではない。まず間違いなく人間のものだ。
「どうやら、三人とも無事にここまで来たみたいだ! 北園さん、迎撃準備!」
「りょーかいだよ!」
北園は小さく息を吐き出すと、発火能力の準備に入った。
◆ ◆ ◆
その少し前。ビッグローチから逃げる日影たち三人。
「はっ……はっ……! クソ、マジでしんどくなってきた!」
「だがここで足を止めてみろ。一瞬でハムナプトラれるだろう」
「ほ、ホンドー! 『ハムナプトラれる』ってなに……!?」
「名作映画だ。考古学者のラブロマンスが描かれている。帰ったらレンタルして観るといい」
「な、なるほど! 教えてくれてありがとう!」
「騙されんなシャオラン! ラブロマンスにあんなキモい蟲はいねぇ!」
大量のビッグローチに追われているというのに、三人は気の抜けた会話を交わす。しかしそのおかげで、幾分か疲労と恐怖を忘れることができた。
……と、前方に何かを発見した。
ラージラットだ。ラージラットが行く手を塞いでいる。
「ちぃ! 邪魔しやがって!」
日影は走りながら『太陽の牙』を構え、ラージラット目掛けて振り下ろした。
「おるぁッ!」
「ギャッ」
飛びかかる間もなく斬り捨てられたラージラット。
その亡骸をよそに、三人は逃走を続ける。
「足を止めている暇は無ぇ! この先マモノが道を塞いでいても、速攻で突破するぞ!」
「承った」
「わかった!」
そこから先のルートは、まるで先回りされているかのようにラージラットが集中していた。ずんぐりむっくりしたラージラットの身体は、狭い下水道を走り抜けるのになかなか邪魔である。
道を塞いでいた二匹を、日影が切り払う。
「だるぁッ!!」
「ギャッ」
本堂がすれ違いざまに、ラージラットの首筋をナイフで掻っ切る。
「はっ!」
「ヂュッ!?」
そしてシャオランが跳躍し、その先のラージラットを踏み潰した。
「せやぁッ!」
「ギャッ」
走りながらラージラットを殲滅した三人。
……と、さらに前方からブラットバッドの群れが。
「うげぇ、ここでぇ!? 一匹一匹を叩き落としている余裕なんか無いよ!?」
「任せておけ」
シャオランのそばを本堂が走り抜ける。
そして、水面からブラッドバッドの群れに向かって跳躍し、全身から電撃を放った。
「キーッ!?」
「ヂィッ!?」
まるで紫外線虫取り機に接触した羽虫の如く、ブラッドバッドたちは本堂のまとう電撃にバチバチと焼かれ、下水へと墜落していった。
「そら、全滅だ」
「ホンドー、ナイス!」
「よっしゃ、よくやった!」
これで通路を塞いでいたマモノは全滅した。
合流ポイントも近い。三人は最後の力を振り絞って足を動かす。
「くぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!」
「あっ、前を見て! あれは……!」
シャオランが声を上げる。
前方になにやら明かりが見える。
日向が松明代わりに掲げている『太陽の牙』だ。
「ヒューガだ! キタゾノもいる!」
「シャオラン! みんな! 無事だったか!」
シャオランの声に、道の先にいる日向が応答する。
その日向の後ろには、火炎放射の構えを取る北園の姿が。
「まだだ、北園さん。もうちょっと引き付けて……」
「うん……」
「もうちょっと。もう少し……」
「……ゴメン限界! みんな伏せてーっ!」
これ以上ヤツらに近づかれたら正気を保てなくなる。
そう判断した北園は、猛烈な火炎放射を撃ち出した。
「うおおおッ!?」
「むっ!?」
「うわわわわぁぁ!?」
火炎放射の予想以上の火力に度肝を抜かれる三人。
炎の奔流に巻き込まれないよう、三人は頭から下水に飛び込むハメになってしまった。
だが、その後ろでビッグローチたちがパチパチと焼き払われていく。
火炎放射は十数秒続き、終わったころには群れは全滅していた。
……と、運よく生き残った一匹が、壁をチョロチョロと這い回る。
「終わりだ」
その生き残りに向かって、本堂が”指電”を発射。
ビッグローチは電撃に焼かれ、今度こそ全滅した。
五人は十字路の中央に集まり、ようやく合流を果たした。
「も……もうダメかと思った……走り過ぎて疲れたぁぁ……」
「ああ、ここまで走ったのは久方ぶりだ。バスケ現役の時から体力の衰退が著しいな」
「みんな、無事だったんだね! 良かったぁ! さっきはゴメンね!」
「そっちも無事だったみたいだな。護衛が日向一人じゃ色々と大変だったろ?」
「そんなことないよ! 日向くんはね、下水道の主だったんだよ!」
「待って北園さん。称号がダメな方向にパワーアップしてるから。下水道の主って、もう完全に浮浪者だからソレ」
『おっと、和気あいあいと話し合っているところにすまないが、12時の方向から足音をキャッチした。何か近づいてくる。みんな、警戒してほしい』
狭山からの通信を受け、五人は件の通路の先に注意を向ける。
……と、暗い通路の先から何者かが近づいて来た。小さな人影だ。
「……あれは、男の子か?」
日向が呟く。
その人影は、小学校低学年くらいの少年だった。
「あ……あの……あなたたちは……?」
「な、なんで男の子がこんなところに? ……えっと、俺たちはマモノ対策室の人間だよ。君は一体誰なのかな?」
「ぼ、僕は鈴木雄太! マモノ対策室の皆さん、助けてください!」
鈴木雄太と名乗った少年が、日向たちに詰め寄る。その表情は怯えと必死さが入り混じった、まさに「恐怖に染まり切った表情」という風である。
「お、落ち着いて。何があったんだい? 君は一体、なんでこんなところに?」
「ぼ、僕、水道の水が止まった原因を知りたくて、それで川の排水管からここに入ったんです。そ、そしたら、とんでもないマモノを見つけちゃって、このままじゃ食べられちゃうと思って、それで逃げてたんです。けど、逃げてるうちに帰り道が分からなくなっちゃって……」
「とんでもないマモノ……ビッグローチか」
「ビッグローチだよね」
「ビッグローチだろうな」
「ビッグローチ!」
「ビッグローチだろ、少年?」
とんでもないマモノ、と聞いて、五人の意見が一致した。
しかし雄太は首を傾げている。
「えーと……ビッグローチってなに……?」
「ほら、あれだよ。名前を言ってはいけないあの蟲」
「い、いや、違う! そんなんじゃない! もっとヤバいやつがいるんだ!」
「もっとヤバいの……? ……まさか」
まさか『星の牙』か。
そう思った瞬間、本堂が声を上げた。
「む、見ろ! 向こうから水流が来ているぞ!」
「えっ!?」
本堂の声を受けて見てみると、十字路の12時の方向から下水の濁流が迫ってきている。凄まじい勢いだ。もう間もなく皆を巻き込むだろう。
「な、何かに掴まれー!」
日向が叫び、仲間たちが動き出す。幸い、この通路には多くのパイプが通っている。これらを掴めば水流に流されずに済むだろう。
「え? え?」
……しかし、雄太の反応が遅れた。
どうしていいか、いや、何が起こっているかも分からないようで、十字路の中心でキョロキョロしている。このままでは水流に巻き込まれてしまう。
「雄太くん!」
その様子を見かねて、北園が飛び出す。
もうバリアーを張るほどの余裕さえ無い。雄太を守るため、咄嗟に動いた。
「や、やばい……!」
このままでは二人そろって流されてしまう。
そう判断した日向もまた、飛び出した。
その日向に向かって、本堂が手を伸ばした。
「このままでは、三人まとめて流される……そうはさせん……!」
……そして、水流が六人を飲み込んだ。
北園が雄太を抱き寄せている。
その北園の腰を、日向が両腕でしっかりとホールドしている。
日向の襟首を本堂が右手で掴み、左腕を後ろへと伸ばしている。
伸ばした本堂の左腕は、日影が右手で掴んでいる。
日影もまた左腕を後ろへ伸ばし、それをシャオランが右手で掴む。
そしてシャオランは、左手で壁のパイプを握りしめ、下水に流されないように耐えていた。
「みんな、しっかり掴まっててね……!」
「くぅぅ、きっついぜ……! 右腕が千切れそうだ……!」
「日向、北園を離すなよ……! 二人の無事はお前にかかってるぞ……!」
「か……は……」
日向は何やら、言葉にならない声を上げる。
その表情はかなり苦しそうだ。
「が、頑張って日向くん! しっかり!」
「く……お……おお……!」
死にそうな顔をしていた日向だったが、北園の声を受けてか、力を振り絞る。
それから十数秒経つと、ようやく水流は止まった。
「止まった……。みんな、無事だよね!?」
「大丈夫だよシャオランくん! 私も雄太くんも無事だよ!」
「そっか! 良かったぁ……!」
「げっほ! げほげほ! ごほっ!」
北園とシャオランが声をかけあう一方で、日向がひどく咳き込んでいる。その様子を見て、本堂が声をかけた。
「大丈夫か日向。水流に耐えている間、妙に苦しそうだったが」
「あ、アンタが襟首なんぞ掴むから、ずっと首が絞まってたんですよ……!」
「やはりそうだったか。俺もちょっと、掴む場所がマズかったかなー、と思ってはいたが、水流の勢いが強くて掴みなおす余裕が無かった。すまなかったな――――」
「く……おかげ様で助かっただけに、文句が言いにくい……」
「――――と言っておけば、日向なら許してくれるだろう」
「その一言が無ければ許してましたよ!!」
ぎゃあぎゃあとツッコミを入れる日向だったが、すぐに口を閉じた。水流が流れていった6時の方向から、何者かの接近を感じ取ったからだ。
まず目に飛び込んだのは、その身体の大きさだ。
下水道の通路を埋め尽くしてしまうほどの、あまりに巨大な身体である。
体色は青がかった薄い緑色、といったところか。
ささくれだったようにゴツゴツとした甲殻は、触れるだけでこちらの手が傷ついてしまいそうだ。
極め付きは、巨大な口だ。
大きく開けば自動車一台、丸ごと噛み潰してしまいそうなサイズである。
綺麗に並んだ牙はどれも太く、鋭い。
アレに噛みつかれたら最後、まず命は無いだろう。
「グオオオオオオオッ!!」
マモノが咆哮ぶ。
ソレは自然に存在するにはあまりにも巨大な、ワニのマモノだった。