第143話 頭文字G
「うおおおおおおおおお!?」
「く……!」
「ああああああああああああああああああああ」
ビッグローチの群れを発見した日影たち三人は、すぐさま踵を返して逃げ出した。もはや恥も外聞も無い。わき目も振らずに全力疾走である。
ビッグローチたちも日影を追いかけ始める。
壁を塗りつぶす艶やかな漆黒が、カサカサと音を立てながら日影たちの背後から迫ってくる。
「く……! 水に足を取られて、逃げにくい……!」
日影の言う通り、この下水道は日影たちの脛辺りまで水が溜まっている。
ザバザバと水を蹴り飛ばしながら、三人は逃げる。
「く、クソ! この中であの悪魔が平気だってヤツはいねぇのか!? ちなみにオレは駄目だ!」
「悪いが無理だ! 俺だってアレは気持ち悪い!」
「ムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリ!!」
「やっぱ全員ダメか! 狭山! どうすれば良い!?」
『パッと思いつくのは、このまま急いで北園さんと合流して焼き払ってもらうくらいか。だが、彼女との距離はまだかなりのものだ。いけそうかい?』
「行くしかねぇだろうよ! 誘導を頼む!」
『分かった。まずは……あ、ちょっと待って。目を離している隙に、北園さんもビッグローチを発見してしまった。大混乱している』
「北園もアレは苦手か……。先が思いやられるな……!」
『とりあえず、君たちのマップに合流ルートを表示しておいた。君たちの様子は逐一確認するが、ちょっと北園さんも落ち着かせないといけない。そのルートに沿って逃げてくれ!』
「ああ、分かった!」
黒い蟲の群れに追い立てられながら、三人は下水道を駆け抜けていった。
◆ ◆ ◆
そんな三人の様子を、日向は通信機越しに聞いていた。
「ヤバいマモノがいるらしい。そうか、ここが地獄か」
自分だけはビッグローチに出くわさないように、と祈りつつ、日向は北園と合流するために歩を速める。そのついでに日影に通信を入れる。
「おーい、日影」
『なんだ!? こっちは忙しいんだが!?』
「そのタイプにはマシンガンを使え!」
『んなモンあったら苦労しねぇんだよ!! 人が必死に逃げてるってのに、くだらねぇゲームネタのためにいちいち通信すんじゃねぇ!!』
そう叫ぶと、日影はブツリと通信を切った。
「めっちゃ怒られた。……まぁ怒るよな。さて、聞いた話だと、どうやら北園さんもビッグローチとやらに遭遇しているらしい。俺だって頭文字Gは苦手だけど、北園さんを守らないと。それで一緒に日影たちと合流して、三人を助ける。よし、これだな」
考えをまとめると、日向は下水道を駆け出した。
コンタクトカメラのマップには、狭山が示してくれた、北園との合流ルートが表示されている。距離はだいぶ近づいている。もう間もなく合流できるはずだ。
◆ ◆ ◆
そしてこちらは北園。
「きゃーっ!? きゃーっ!!?」
突然のビッグローチの群れに、北園は完全にパニックに陥っている。
絶叫を上げながら火球を投げつけ、ビッグローチたちを消し飛ばす。
……と、ここで通路の向こうから第二波の群れがやってきた。
「きゃーーーっ!?」
両手から火球を生成し、出来上がったそばから投げつける。
次々と放たれる火球がビッグローチたちを焼き払う。
さながら機関砲の如き殲滅力である。
しばらくすると、襲撃が止んだ。
「はーっ、はーっ」
肩で息をしながら、北園は周囲を警戒する。
奴らは、一匹見たら千匹いると思わなければならない。
北園の緊張は極限状態である。
……と、ちょうどそこへ、北園の背後から何者かの気配が。
「あ、いた。北園さ――」
「きゃーっ!?」
「へ?」
後ろから声をかけてきた日向に、北園は大爆炎をぶちかました。
日向も、まさか北園から攻撃されると思わない。真正面から炎を受けてしまった。
「……え? あれ? 日向くん……?」
ようやく北園は冷静さを取り戻し、日向に声をかける。
日向は黒焦げになって下水に沈むが、すぐに全身から炎を上げて、元通りに蘇り、下水から飛び起きた。
「ぶっはぁ!? び、びっくりしたぁ!?」
「あ、日向くん……大丈夫……?」
「一回死にました……」
「ご、ごめんなさい……」
「まったく、俺だったから良かったようなものの、次からは気を付けてね?」
「はい……」
(……あれ? 思った以上に落ち込んでいる。これ、ギャグパートじゃなかったのか? しまった、もっと優しく声をかけるべきだったか……)
しょんぼりと落ち込む北園。
言葉のかけ方を間違ったか、と気まずくなってしまう日向。
と、そこに狭山からの通信が入った。
『元気を出して北園さん。ビッグローチは恐ろしいマモノだ。あの勇猛果敢な日影くんだって一目散に逃げ出してしまうほどだ。本堂くんやシャオランくんまで一緒に逃げている』
「え、あの三人も逃げてるの……?」
『うん。怖いのは君だけじゃない。周囲への気配にあまりにも過敏になってしまうのは、しょうがないことだ。アイツら相手ではね。日向くんも、そう思うだろう?』
「え? ……あ、ああ、はい、そうですね。自分も仕方ないと思います」
恐らく、日向にも同意を求めることで、「殺されたことは気にしてないよ」と、日向から北園に伝えさせることが狭山の狙いだったのだろう。日向はありがたく、その考えに乗っかることにした。
『ここからは日向くんもついている。二人で警戒しながら進めば、恐れるに足らない相手だ。先ほども言った通り、日影くんたちもビッグローチに追われている。彼らを助けてやってくれ』
「……はい! りょーかいです!」
元気よく返事する北園。
どうやら、調子を取り戻したようだ。
「じゃあ、さっそく三人を助けに行こう、日向くん! それと、さっきは本当にゴメンね」
「うん。俺も気にしてないよ。じゃあ行こ…………あ、待って北園さん! 向こうから下水のハチロクだ!」
「ハチロク……何それ? ……って!?」
日向が指差す先には、また大量のビッグローチの軍隊である。
カサカサと音を立てて、二人に迫ってきている。
「落ち着いて、北園さん。落ち着きながらよく狙って……」
「きゃーっ!?」(大爆炎)
「うわぁぁ言ったそばからぁぁぁ!?」
反射的に発火能力を使う北園。
その軌道上には、まだ日向が立っている。
大爆炎から逃れるため、日向は下水に頭から飛び込むハメになった。
まだまだ、北園が連中に慣れるには時間がかかりそうだ。
「やっぱりギャグパートじゃないか!!」
◆ ◆ ◆
一方そのころ、日影たち三人は……。
「ぬおおおおおおおお!!」
依然、ビッグローチから全力で逃げているところだ。
下水に足を取られながらの逃走であるため、体力の消耗も激しい。
「はぁ……はぁ……! クソ、疲れてきたぜ……! なぁ本堂! 例えばこの壁に電気を流して、連中を感電させることってできねぇのか!?」
「厳しいな。この壁はコンクリートだから、かなり強烈な電気を流す必要がある。よしんば流れたとしても、下水に浸かっているお前たちまで感電するぞ」
「そうか! そりゃ駄目だ!」
「い、い、いっそホンドーが連中に突っ込んで、全身放電で一網打尽にするってのはどうかな!?」
「頼むから最後の手段に取っておいてくれ、それは」
日影たちもここまでかなり走ってきた。
北園との距離も順調に縮まっている。
と、ここへ分かれ道に差し掛かった。
手前に右への通路があり、その奥に左へ通じる通路がある。
とはいえ、彼らには狭山から示された合流ルートがあるため、迷う必要も無いのだが。正解の道は、奥の左へ行く通路だ。
「ここを走り抜ければもうすぐだな。それじゃあ俺は一足先に逃げる。お先に」
そう言うと本堂は”迅雷”を使用し、さらにスピードを上げて走り出した。身体の神経系を流れる生体電気を強化できる彼は、水に足を取られていようと驚異的な速力を発揮することができる。
「あ、アイツ! 一人で逃げやがった!」
「ズルいぞホンドー! ボクなんか、歩幅が小さいからメチャクチャ大変なのに!」
二人の罵声に耳を貸さず、本堂は奥の左の通路に駆け込んだ。
……が、すぐに引き返して戻ってきた。
「あん? アイツ、なんで戻ってきた?」
……その左への通路の先から、大量のビッグローチを引き連れて。
「「……あの馬鹿ー!!」」
合流した三人は、すぐさま手前の、右の通路へと駆け込んだ。
前方から、後方から、大量のビッグローチが追ってくる。
そして、三人が逃げ込んだ通路になだれ込んできた。
「何やってんだお前! 一人で先走ったあげく、なんで数を増やして戻ってくるんだよ! この馬鹿! アホ! クソメガネ!」
「そうだそうだ! 責任取ってあの群れに特攻しろー!」
「こうは考えられないだろうか。俺が先行したから、いち早くビッグローチの潜伏に気付くことができ、挟み撃ちされずに済んだ、と」
「などと供述しており、容疑を一部否認しています!!」
「……まぁ一理あるが、一人で逃げようとしたって事実は変わらねぇからな!!」
正規ルートを外れることを余儀なくされた三人。
日向たちがいる位置へ辿り着くため、大きく迂回する羽目になってしまった。