第1532話 開花
墜落した飛空艇に駆けつけて、コックピットで日向が目にしたのは、ヴェルデュ化した北園の姿だった。
「北園さんが……ヴェルデュになった……?」
「そうだよ。ほら見て、この桜色のお花。似合ってるでしょ?」
「何かの……冗談、だよな? 北園さん……?」
「冗談? 冗談って?」
思ったよりも正常そう。
まだ話は通じる。大丈夫。
日向は目の前の現実に対して、必死にそう思い込む。
そんな日向に、負傷して倒れているジャックが声をかけてきた。
「この飛空艇が墜落したのは……キタゾノの仕業だ……。操縦中にいきなりヴェルデュ化して、一緒にいた俺たちを攻撃してきた……。その後は艇の中を回って、生存者も、オネスト・フューチャーズ・スクールの子供たちも、全員やりやがった……」
「ロストエデンが倒されたら、今の私も一緒に死んじゃうから。ロストエデンを守らなきゃ。飛空艇を墜としたのはそのため。飛空艇っていう火力と機動力を奪いたかった。生存者のみんなを手にかけたのは、もっとこの身体を馴染ませるには栄養が必要だったから。ジャックくんとコーネリアスさんは、一緒に戦ってきた仲間のよしみで見逃してあげるね」
今のジャックと北園の言葉で、日向のささやかな現実逃避も完全に打ち砕かれた。絶望のあまり彼の目の焦点が震えている。
「なんでだ……いったいどうしてこうなった!? ヴェルデュ化予防薬は完成してたじゃないか! 薬が効かなかったのか!? なんで北園さんがヴェルデュに……!」
「予防薬なら、ここにあるよ」
「……は?」
北園がポケットから一本の試験管を取り出した。
間違いない。本堂とエヴァが製作したヴェルデュ化予防薬だ。
彼女はどうやら、飲まずに取っていたらしい。
「……なんで? なんでそれを飲まなかったんだ、北園さん……?」
「決まってるじゃない。ヴェルデュになりたかったの」
「なんで!? どうしてだよ!? いったい何考えてるんだよ北園さん!?」
「力が、欲しかったんだ。日向くんのために」
「俺のために……?」
「だって、分かってるの? 日向くんはあと五日の命なんだよ? もう五日しかないんだよ?」
彼女が言ってるのは、日向の存在のタイムリミットについてだ。あと五日のうちに日影を倒さなければ、日向は彼に存在を取って代わられてしまう。
「この国に来てから、私はずっと意識してた。意識しないようにしても、頭から離れなかった。日向くんとは、あと数日しか一緒にいられないんだって」
「でもそれは、俺が日影に勝てば全部解決する話だ!」
「無理だよ。日向くんじゃきっと日影くんには勝てない。日影くんは強いもん。日向くんも強くなったし、『幻の大地』じゃギリギリで勝ちかけてたけど、あの時と違って日影くんは日向くんの手の内を全部知っちゃってるし、もう日向くんに勝ち目はないと思う」
「それは確かに難しい話だとは思うけど……!」
「それに、日向くんは優しいから。『幻の大地』でも、もしかしたら日影くんに勝てたかもしれなかったのに、日向くんは停戦を提案した。殺したくなかったんでしょ、日影くんのこと」
「それは……うん、そうだよ……。それじゃあ北園さんがヴェルデュになった理由……俺のためにヴェルデュになったっていうのは……」
「日影くんに勝てる力が欲しかったの。私が日向くんの代わりに日影くんを殺せば、日向くんは助かるよね」
「そこまでする必要なんかまったく無かったのに……! だいたい、ここでロストエデンを守って、日影を倒して、そのあと狭山さんはどうするつもりなんだ!? あの人を倒して、この”最後の災害”を終わらせない限り、俺たち二人で生き残ったところで意味なんか無いんだぞ!?」
「それについても、考えがあるんだ」
「考え……?」
日向が聞き返すと、北園はうなずき、自信ありげに説明する。
「狭山さんにお願いしてさ、私たち二人は助けてもらうよう取り計らってもらおうよ。狭山さん優しいから、きっと聞いてくれるよ。もしもその条件として、他のみんなを殺すように言われたら、その時は安心して。私がみんな片付けておくから。日向くんも狭山さんは殺したくないでしょ? 狭山さんと戦わずに済むし、私たちは助かるし、一石二鳥だよ」
「も……もういい! それ以上、馬鹿なことは言わないでくれ! お願いだから、正気に戻ってくれ北園さんっ!」
必死に、懇願するように呼び掛ける日向。
しかし北園は、自分は正常だと強調するかのように、普段どおりの様子で返答してきた。
「私は正気だよ。ただ、今は自分の気持ちに正直になってるだけ。日向くんには教えてあげるね。ロストエデンの細胞に感染した人は、自分の気持ちとか欲望に忠実になるみたいなの」
「自分の気持ちや欲望に忠実になる……?」
「うん。それはヴェルデュになっていなくても、ロストエデンの細胞が私たちの身体の中に侵入しているだけで発生する現象。エドゥくんなんかが分かりやすいかな。彼は初めて私たちと会った時、ぐうたらで自堕落な過ごし方をしてた。あれがエドゥくんの欲望。効果には個人差があるみたいだから、感染者全員がエドゥくんみたいにあからさまに豹変するわけじゃないみたいだけどね」
「北園さんの欲望は、俺を助けるために日影を倒すこと。そのための力を手に入れること……」
「そう。だから私は本堂さんにヴェルデュ化予防薬をもらっても、それを使わなかった。ヴェルデュになれれば、きっと日影くんにも勝てる力が手に入る。あのほとんど一般人なエドゥくんでもあれだけ強くなったんだから、私もきっと。……こうやってヴェルデュになると、その欲望に抑えが利かなくなるの。私たちを裏切ったレイカさんやエドゥくんの気持ちが、今ならよく分かるなぁ」
もう、聞きたいことは全部聞いてしまった。
どれだけ呼び掛けても、彼女は元に戻ってくれなかった。
問答の時間は終わりなのだろう。
ここからは実力行使で、彼女を止めなければならないのだろう。
だが、日向はそれができなかった。
手に持つ『太陽の牙』に、まったく力が入らない。
それでは駄目だと分かっているのに、身体が言うことを聞いてくれない。
北園を殺したくない。
かと言って、時間稼ぎのための話し合いも、もう何の話題も見つからない。
何もできない日向は、ただその場で固まることしかできなかった。
そんな彼に対して、北園が声をかけてきた。
「それじゃあ日向くん、ちょっとごめんね?」
「……え?」
そう言うと北園は、日向に向かって右手を突き出す。
すると、桜色の花に包まれた彼女の右腕から、触手のような細いツタが伸びてきて、日向の身体に巻き付いてきた。
「うわっ!? き、北園さん!? 何するんだ!?」
「ここを離れるんだよ。もちろん、日向くんも一緒だよ」
「な、なんでっ……!」
「私が日影くんを殺す前に、日向くんが日影くんに殺されたりなんかしたら本末転倒だもん。私もまだ日影くんと戦うには、この状態じゃ力不足だろうし、もう少し進化のための時間がいる。その間に、どこかに日向くんを隠さなきゃ。日影くんが見つけられない場所に」
日向に巻き付く北園のツタは、日向にダメージを負わせるほど彼をきつく拘束してはいない。しかしそのために、彼の”再生の炎”が機能しない。傷から炎を出すことができれば、このツタも焼き切れそうなのだが。
日向を助けるため、左右で倒れていたジャックとコーネリアスが、北園にそれぞれの銃口を向ける。
「ヒュウガ!」
「させン……!」
……が、しかし、その二人を急に冷気が包み込み、次の瞬間、二人の身体は氷漬けになってしまっていた。
「ぐあッ……!?」
「ぬゥ……!?」
「二人とも、邪魔。せっかく助けてあげたんだから、死にたくなければ大人しくしてて」
これまで日向に接してきた時の柔らかく温かい態度が嘘のように、ジャックたちにはそう冷たく言い放った北園。
それから彼女は再び日向の方を向いて、やはり柔らかく声をかけてきた。
「安心してね日向くん。全部、私に任せてくれればだいじょうぶだからね……」