第1516話 取捨選択
今なら、エヴァはヴェルデュ化を抑制する予防薬を作れるという。
ヴェルデュ化した人間を治療しようとすると、その人間の生命維持にも欠かせなくなってしまったロストエデンの細胞を死滅させることになるので、ヴェルデュ化した人間を元に戻すことは事実上不可能である。
しかし、そもそもヴェルデュ化させないための予防薬であれば、投与した人間の命の心配も必要ない。レイカのような犠牲者も減らせる。まさに、今の日向たちが最も必要としているアイテムだ。
さっそくヴェルデュ化予防薬を作るため、日向たちはエヴァを連れてヴェルデュ研究室へ。
「作り方そのものはいたって単純です。まずは予防薬のベースとなる薬を作成し、その薬に私が『星の力』で『ロストエデンの細胞の働きを抑える能力』を付与します」
「ファンタジーの魔女が作る、魔法のポーションみたいなのを作るわけか」
「……ただし、その予防薬のベースとなる薬については、私は作れません」
「おい、駄目じゃん」
「そちらに関しては、現代医学の分野ですからね。医者ではない私は、どの材料を使えばどんな薬ができるか分かりません。ですので、そちらは……」
そう言ってエヴァは、本堂を見た。
本堂も事情を察し、エヴァに向かってうなずく。
「薬は俺が作れというわけか。いいだろう。一応聞くが、そのベースの薬はどんなものを作ればいい?」
「病を抑えるもの。植物の成長を阻害するもの。そういったものであればひとまず大丈夫です。もっとロストエデンの細胞に対抗するのに特化した薬をベースにできれば効き目もさらに向上するでしょうが、恐らく開発のための時間が足りないでしょうから」
「ああ、足りないだろうな。新薬の開発は手間がかかる。そもそも俺は正式な薬剤師ではないしな。ともあれ、承った。基礎的な予防薬であれば、俺でも何とかできるだろう」
さっそく研究室内を回り、薬の材料を確認し始める本堂。
その一方で、日向がエヴァに質問。
「念のために聞くけどさ、ただの水とかにお前の能力を付与して予防薬にするのじゃ駄目なの?」
「駄目です。病を抑制する予防薬。重要なのはその『予防薬』という属性です。この概念が無ければ、能力で付与した効能も対象の体内にうまく回らないでしょうから」
「うまくいかないもんだな」
「ええ、本当に……」
……と、エヴァが話している途中で。
急に、彼女が黙ってしまった。
「エヴァ、どうしたんだ?」
あまりにも不意なタイミングだったので、思わず尋ねる日向。
エヴァの表情は、かなり深刻そうだった。
「……すみません。レイカさんの裏切りやエドゥの負傷など、ここまで色々なことがあったので、つい警戒が緩んでしまっていたようです……」
「な、何があったんだ?」
「レオネがこの街に向かってきています」
「レオネ祭司長が……!?」
ブラジリアの街で遭遇したレオネ祭司長。
いまだ謎に包まれた部分が多い女性だが、恐らくは日向たちの敵。
スピカの話では、レオネ祭司長はエヴァと同じ”星通力”の超能力を使用するという。もしも彼女がエヴァと同規模の能力を持っているのだとしたら、恐るべき強敵となるのは間違いない。
さらに、日向たちは思い出す。
少し前に彼らが倒したロストエデンも、そろそろ復活の時が近いであろうことを。
このままいけば、恐らくロストエデンとレオネ祭司長は、同時にこの街で活動を開始する。
「た、畳みかけてきたな……! 俺たちを一気に仕留めるつもりか!?」
「この移動ペースだと、レオネの到着まで、およそ一時間といったところです。飛行できる虫のヴェルデュに乗って、こちらに飛んできているものと思われます」
「せめて生存者たちはどこかに避難させないと……。また復活したら、ロストエデンもヴェルデュもさらに強くなる。そこにレオネ祭司長まで加わったら、もう生存者を守るどころじゃなくなるぞ……」
幸い、日向たちはヴェルデュ化の予防薬を手に入れる目途が立った。これを量産し、生存者たちに配れば、アラムたちの命を奪ったヴェルデュ化の惨劇を回避しつつ、生存者たちを飛空艇で避難させることができる。
そう思われたのだが。
薬の材料を探しながら、本堂が発言。
「しかしだな。確かにヴェルデュ化の原因の大本はロストエデンの細胞にあるのだろう。だが、ただロストエデンの細胞だけに原因を求めるには釈然としない部分が幾つかある」
「と、言いますと?」
「ポイントは二つ。一つは学者たちが説明していた『ロストエデンの細胞は人間の体内に侵入しても、身体の免疫機能によって自動的に除去される』という話だ。この話のせいで、俺達は『ロストエデンの細胞はヴェルデュ化の原因ではない』と思い込んでいた」
「そういえば、そうでしたね……」
「俺もその観察結果を見せてもらったが、学者達の言葉は事実だった。だが現に、ロストエデンの細胞は人間の身体に根付き、ツタの種子となる。いったいどういう条件下で、ロストエデンの細胞は免疫をすり抜け、感染するのだ? ユピテルやレイカがヴェルデュ化して、まだ俺達がヴェルデュ化していない要因とは?」
「言われてみれば確かに、俺たちや生存者を含めて、ここにいるほぼ全員がそれぞれ大なり小なりヴェルデュからダメージを受けているはず。全員が感染している可能性もあるし、免れている可能性もある。どちらの可能性もありえるからこそ、いつ爆発するか分からない時限爆弾を抱えているような不気味さがある……」
「そうだ。今はみな大丈夫だからと言って、これから十分先、一時間先も大丈夫という保証は何処にもない。ヴェルデュ化の全てを解き明かさない限り」
ロストエデンの細胞が免疫に流されない条件。
それが、本堂が言う、解明しておくべきヴェルデュ化の謎の一つ。
「それで本堂さん、もう一つの謎というのは?」
「最初にこの街に来た時、テオ少年が俺達に話してくれたヴェルデュ化の情報を覚えているか? 彼は『ヴェルデュに殺されていない人間もヴェルデュ化した』と発言していた」
「言ってましたね……。後でテオくんに聞いた話ですが、その『ヴェルデュに殺されてないのにヴェルデュ化した人間』の死因は、生存者同士の喧嘩で撃ち殺されたことらしいです。その当時は、エドゥアルド・ファミリーによる秩序の保持もなかったそうで、食べ物を奪い合う抗争が多発してたとか」
「現状、ヴェルデュ化の条件は『ロストエデンの細胞が付着したヴェルデュに攻撃されること』のみ。だがこの話のとおり、ヴェルデュに攻撃されずともヴェルデュ化した人間の情報もある。俺はそこが気になる」
こうして見てみると、本堂の言うとおり、まだヴェルデュ化の全てを解明できたというわけではなさそうだ。
「これらの疑問を解明しなければ、先の飛空艇の悲劇と同じことが再び起こるのではないかと俺は見ている。『ただヴェルデュに攻撃されること』だけが感染の原因ではないはずだ」
「でも、そもそもヴェルデュ化の原因の大本はロストエデンの細胞なんでしょ? いま本堂さんとエヴァが作ろうとしてくれている予防薬さえ完成すれば、ロストエデンの細胞の働きそのものを抑えられる。確かにまだヴェルデュ化には謎な部分もあるみたいですけど、その謎な部分もまとめて予防薬が抑え込んでくれるのでは?」
「理論上はその通りなのだが、そう上手くはいかないようだ」
そう言いながら、本堂は予防薬の材料を机の上に並べ終えた。
それらの材料を指し示しながら、本堂が話を続ける。
「ここに出したのが予防薬のベースの材料なのだがな。ここにいる生存者たち全員分の薬を作ろうとすると、量が全く足りん」
「ど、どれくらい足りないんですか?」
「ざっと見積もっても、この材料だけで作れるのは七人分だ」
「な、七人!? 生存者の数はまだ百人近くいるのに!?」
七人分ということは、北園と本堂、シャオランとエヴァ、ARMOUREDの二人、そしてミオン。日向のパーティーの中で予防薬を必要とする人数分は確保できる。ロストエデンと戦うためにも、彼らの分の予防薬は必須だ。
しかしこの通り、生存者に回せる分の予防薬はゼロだ。
またあの飛空艇の中で、誰かがヴェルデュ化したらどうなるか。
「あの悲劇を繰り返さないための対策に、ヴェルデュ化の予防薬はまず使えない。ヴェルデュ化の法則性を完璧に確立し、ヴェルデュ化の恐れがある人間を隔離すること。今のところ、これしか方法は無い」
するとここで、ジャックも発言。
「最初に生存者たちを避難させようとした時は、明らかに状況が違ってる。飛空艇を操縦してくれるはずだったアラムが死んだから、新しくパイロットをやる人間が必要だ。キタゾノか、ミオンか、どっちかに加えて飛空艇まで手放したら、こっちの戦力超絶ダウンは避けられねーぞ。それでロストエデンとレオネとかいうヤツに勝てるのか? 俺たちは生存者の面倒まで見ている場合か?」
「でもそれじゃあ……もう生存者たちは諦めろっていうのか……? 生存者たちを助けるために人員と飛空艇を割くくらいなら、もう彼らは見捨てろって……?」
「俺だってこんなこと言いたかねーけどよ……二兎を追う者は一兎をも得ずだぜヒュウガ。俺たちの選択がこの星の未来を左右する。最終的に良い結果をもたらすのはどっちか、時には選ばなきゃならねー」
ジャックの言うことは正しい。
生存者を無視すれば、日向たちは自由に動けるようになる。
予防薬を独占することで、これ以上ヴェルデュ化の原因を究明する必要もなくなり、飛空艇を含む全ての戦力をロストエデン討伐に集中させることができるだろう。
日向も、もはやそうするしかないのではないかと思い始めてきた。
思い始めてきたのだが、なかなか首を縦には振れなかった。
「確かにジャックの言うとおりにする方が、楽な解決方法だとは思う……。こういう状況なら少しでも消耗を抑えるために、楽できる場面は楽するべきだっていうのも分かってる。けど……」
「……ああ、言いたいことは分かるぜ。楽な選択肢がいつも正しいとは、限らねーもんな」
「ジャック……」
しかし、その時だった。
この政府市庁舎のどこかで、爆発音。
「今、何か音が……」
「何かが爆発する音だったな。近かったぞ。何があった?」
するとそこへ、エドゥアルド・ファミリーの構成員の一人がこのヴェルデュ研究室に転がり込んできて、日向たちに声をかけてきた。
『た、大変だぁ! り、リーダーが、リーダーが……!』