第139話 優しさのカタチ
引き続き、ヤクーツクの高級ホテルにて。
ここはオリガに充てられた部屋だ。今はズィークフリドもいる。
二人はテーブルの上に置かれたノートパソコンにて、誰かとモニター通信をしているところだ。
「報告は以上ですわ。大佐」
『うむ。ご苦労だった』
モニターに映っている壮年の男性がオリガを労う。
髪は白に近づきつつある銀髪。
瞳はオリガやズィークフリドと同じ金色。
白い髭が顔を包む、威厳の溢れる人物である。
彼の名はグスタフ・ミハイルヴィチ・グラズエフ。
ロシア軍大佐。
彼はロシアのマモノ対策室の幹部を兼任しており、エージェント部門を一手に管理している。そして、ズィークフリドの実の父親でもある。
『『赤い雷』とマフィア、双方のボスを確保できなかったのは残念だが、連中に痛手を負わせることができただけ良しとしよう。『星の牙』も仕留めたそうだな。よくやった』
「ええ。あなたの息子さんが、それはそれは格好良く決めてくださいましたわよ」
「そうか。よくやったな、ズィーク」
「…………。」
グスタフ大佐はズィークフリドを労うが、ズィークフリドはニコリともしない。
かく言うグスタフ大佐も、息子と同じく堅い表情を浮かべたままだ。
『ホテルで一泊し、明日こちらに戻って来い。次の仕事まで待機してもらう』
「分かりましたわ。私の能力はロシアのために」
『うむ』
そこまで言うと会話を切り上げ、オリガは部屋を出ていった。
(……ふん。ロシアのために、か。反吐が出るわね)
誰にも聞こえないような小さな声で、オリガは密かに呟いた。
『……なぁ、ズィーク』
その一方で、グスタフ大佐が息子のズィークフリドに声をかける。
ズィークフリドは、モニターにゆっくりと振り向く。
『……オリガを、頼む。いざという時、あの子の側にいてやれるのはお前しかいないだろうからな』
「…………。」
父のその言葉に、ズィークフリドは無表情のまま、力強く頷く。
この親子は互いに口数が少なく、表情も険しいが、それでも確固たる信頼関係を築いていた。
◆ ◆ ◆
「そろそろメシの時間だなー」
そう言いながらホテルの廊下を歩いているのは、日向だ。
一足先に食堂に向かおうと、のんびりとエレベーターに向かっている。
「……ん? あれは北園さんと……日影だな」
その途中、憩いスペースにて北園と日影を見つけた。
二人は何やら話し込んでいるようだ。
日向は廊下の陰から二人の様子を窺う。
(何を話してるんだろ? うーん、気になる)
北園と日影はソファーに隣り合って座っている。
最初、日影は北園が隣に座ることを遠慮していたが、北園が「いいからいいから」と言うので仕方なく場所を譲った。
「……なぁ、北園。悪かったな」
「へ? なにが?」
「この間、『辛いモンはオレが背負ってやる』なんて言っておいて、オレは何もできなかった。何の力にもなれなかった」
「そんなことないよ。あの時、日影くんがオリガさんに本気で怒ってくれて、私、ちょっと嬉しかったもん。……このこと、オリガさんにはちょっと言えないけどね。内緒だよ?」
「ははっ、分かってる」
日影の表情が少し和らいだ。
北園の言葉を受けて、気が楽になったのだろう。
「よっしゃ、日本に戻ったら、またトレーニングのやり直しだな。今度はあのズィークごとオリガのヤツをぶっ飛ばしてみせる」
「ちょっとちょっと。動機が不純だよー? あの二人は敵じゃないんだから」
「っと、そうだな。悪ぃ悪ぃ」
「日影くんってそういうところあるよねー。負けず嫌いなの?」
「ああ、そうだな。負けるのは大嫌いだ。悔しくて悔しくて、自分の身が怒りの炎で焼け焦げそうになる。だから鍛えるんだ。次は絶対に負けないようにな」
「そっか。頑張ってね。私も応援するよ」
「ああ。ありがとな。……なぁ、北園」
と、ここで日影がかしこまった様子で北園の名を呼んだ。
一方の日影は、どこか歯切れが悪そうだ。
「ん? なあに?」
「その……だな……」
「うん」
「あーっと……」
「どうしたの?」
「…………日向の野郎のことは、どう思ってる?」
「へ? 日向くんのこと?」
随分と間を空けて、日影は北園に尋ねた。
そんな日影の言葉を受けて、北園は日向に思いを巡らす。
「日向くんのことかぁ……。ええっと……」
「…………。」
「そのー……とっても優しい人だと思ってるよ。自分がどんなにボロボロになっても、私のことを気遣って声をかけてくれるし。私の予知夢を一番最初に信じてくれた人だし、かけがえのない……大切な仲間だよ」
多少気恥ずかしそうに、北園は答えた。
「……そっか。大切な仲間か。分かった、ありがとうな」
「あ、うん。よく分からないけど、どういたしまして! ……あ、そろそろ晩ご飯の時間だね。一緒に食堂に下りようか」
「おう。いくか」
そう言うと、二人はソファーから立ち上がり、エレベーターに乗って下の階へと下りていった。
(大切な仲間……か。そういう台詞はもっと自然に言うもんだぜ。そんなに動揺した感じで答えられたら、本当の気持ちを『仲間』って言葉で隠しているようにしか聞こえないな)
「……二人とも、仲良さそうだったなぁ……」
以上の日影と北園の話を陰から聞いていた日向は、ポツリとそう呟いた。
日影は自分と比べてはるかに優秀だ、と日向は思っている。
同じ自分とは思えないほどに。
物覚えは良いし、努力もできるし、身体能力に至っては既に日向の倍以上。そんな日影と、いずれは己の存在を賭けて決着を付けなければならない。
しかし日向には、どうしても自身が日影に勝つ未来が見えなかった。
オマケに、北園とも良い雰囲気だった。
自分と同じ顔の男が女子と仲良くしているのを見るのはむず痒いが「日影なら北園さんを任せられる」とも日向は考えていた。
万が一、億が一にでも自分が日影に勝てば、二人の仲を引き裂くことになってしまうだろう。そうなれば、北園はきっと悲しむに違いない。
(……やっぱり、『日下部日向』として生きるべきは、俺ではなく……)
「どうしたの、ヒューガ?」
「!?」
背後からの声に驚き、慌てて振り向く日向。
しかし、パッと見たところ、そこには誰もいない。
「……あれ? おかしいな。シャオランの声がしたと思ったんだけど」
「……それはもしかしてギャグで言ってるのかな?」
「え?」
今度は下の方から声がしたので、日向が目線を落とすと、そこには苦笑いしながらこちらを見つめるシャオランが。日向との距離が近すぎて、身長差で気づかなかったのだ。
「おわぁシャオラン!? ゴメン、気づかなか……いや違う! 決してシャオランの身長が小さいから見えなかったとかそういう意味ではなく! 気配に気付けなかった俺が悪いというか! いやぁさすが達人!」
「だ、大丈夫だよ……。人間、誰でも間違いはあるからね……」
「ホントごめん」
「ははは……。ところで、ここで突っ立ってて何をしてたの?」
「い、いや、別に何も。それより、そろそろ夕食の時間だろ? 一緒に食堂に行こうよ」
「うん、わかった」
そう言って日向とシャオランはエレベーターの前に立つが、なかなかエレベーターはやってこない。
このホテルにエレベーターは二台あるようだが、片方は現在故障中らしい。もう片方は先ほど日影と北園が乗ったばかりな上に、どうやら他の客も次々と乗ってきているらしく、何度も他の階で止まっている。ここまで戻ってくるのには、結構な時間がかかりそうだ。
「おっそい……ツイてないなぁ……」
「あはは……それにしても、今日のヒューガはすごかったね」
「え? 何が?」
「今日の戦いだよ。大活躍だったじゃないか。テロリストたちを近づけさせないあの銃さばき! アクション映画のスターみたいだったよ!」
「い、いや、そんな大げさな。あれはたまたま、全ての動きが噛み合った結果生まれた奇跡というか……。シャオランだってすごかったじゃないか。敵陣に切り込んでからの大暴れ。やっぱり何だかんだ言ってシャオランも超人だよ」
「ま、まぁ、一応鍛えてるし……」
「それに比べたら、俺なんて全然……」
「いやいや、ヒューガの方が……」
「いやいや……」
「いやいや……」
「いやいやいや……」
日向とシャオラン。
ネガティブな二人が互いを褒め合うと、だいたいこうなる。
「実際、今日のヒューガは強かったよね。銃を撃つの、得意なの?」
「まぁ、ゲームセンターのガンシューティングやらは結構やり込んだから、その影響かなぁ。本物の銃は反動が痛くて、なかなか思うように撃てなかったんだけど」
「あ、あれで思うように撃ててなかったの……?」
「うん。正直、敵陣にいるシャオランたちに当ててしまわないか心配だった」
「怖いこと言わないでくれる!?」
「……なんなら、日影くらいになら一発当ててもよかったかなー」
「うわぁ悪党!」
「冗談だよ」
そこそこ話し込んだ二人だが、まだエレベーターはやってこない。
二人がいるのはホテルの十階。階段で降りようにも、結構な高さがある。
「……ヒューガはさ。人を撃つ時、怖くなかった?」
「ん……どうだろう。怖かったと思うけど、あの時は自分でも嫌になるほど冷静だったと思う」
「普段以上に落ち着いてたもんね、あの時のヒューガは。……ボクはもちろん怖かった。撃たれるのはもちろん、人を殴るのだって怖かった。力加減を間違えて、殺してしまわないか怖くて仕方なかった。殺すのが怖かったから、借りた銃も結局使わずじまいだったしね」
「そっか、結局まともに銃を使ったのは俺だけか」
「実戦で物怖じしないのは、強さの証拠だよ。普段は少し気弱なのに、いざとなれば勇気を出せるヒューガが、ちょっと羨ましいな」
「勇気なんて、そんな御大層なものじゃないよ。何の躊躇も無く人を撃てる、冷酷な人間だったってだけだよ」
「冷酷……ヒューガはそんなのじゃないと思うけどなぁ……」
日向の発言に、苦い顔をして首を傾げるシャオラン。
日向はどうやら、自分が躊躇なく人間を撃てたことを気にしているらしい。
そこでシャオランは、少し間を置くと、もう一度口を開いた。
「……ボクね、敵陣に突撃した時、一番に考えていたのは『みんなのため』だったんだ。あの危ない時間を少しでも早く終わらせて、みんなが怪我をしないようにって。……ヒューガもさ、もしかしたらボクと同じ気持ちだったんじゃないかな。みんなを守るために、ためらいなく攻撃しようって決めてたんじゃないかな」
「みんなを守るため……俺は、どうだったんだろう……」
「きっとヒューガもそう考えてたんだよ! ヒューガは優しい性格だから!」
誰かを殺すためではなく、誰かを守るために敵を攻撃する。
それもまた「大事な人を守りたい」という思いであり、優しさのカタチの一つだとシャオランは言いたいのだろう。
やがてエレベーターは無事に二人の元へ到着し、二人は食堂へと向かう。
……しかし。
シャオランと共にエレベーターに乗り込む日向は、先ほどのシャオランの言葉を受けてもなお、内心では暗い表情をしていた。
(……相変わらずだったな、俺は。
あの射撃が、皆を守るための優しさから出た行動だったのかはもう分からない。けど、俺はやっぱり、人を傷付けることを何とも思わない冷血漢らしい……)