第1469話 飛空艇内での小話
このブラジルで発生している緑化現象の中心点ブラジリアへ向けて、飛空艇が空を往く。
現在、コックピットで操縦桿を握っているのはアラム少年。ブラジリアまでは千キロ以上も離れているが、ここまでの戦いでアラムも精神エネルギーが格段に成長している。この飛空艇のミサイルなどの武装を使わなければ、それくらいの距離であれば北園に交代せずとも一人で航行できる程度である。
エヴァは、ブラジリアに『星殺し』ロストエデンがいるかどうかは分からないと言っていた。しかし、実際にロストエデンが待ち構えている可能性も十分にある。
もしかしたら、『星殺し』を巡る旅は今日が最後になるかもしれない。
日向たちは、言葉にこそしなかったが、皆それぞれ静かに緊張していた。
まだ到着まで時間があるので、一部の仲間たちはコックピットを出て、思い思いに過ごしている。
こちらの個室では、北園とエヴァがテーブルに座り、リオデジャネイロの街で収穫してきた果実をほおばっていた。
「このサクランボみたいな実もおいしいねー。やっぱりこの実も『幻の大地』で見たことあるの、エヴァちゃん?」
「はい。甘く、柔らかく、それでいて栄養価も高く、私が小さいときはゼムリアがこれをよく食べさせてくれました」
「そうなんだね。へぇ……」
北園はエヴァの『幻の大地』での生活に思いを馳せるように、感嘆の息を吐いた。
しかしエヴァは、そんな北園に対して、少し心配そうな様子で尋ねる。
「……良乃。体調が悪いのですか? どこか元気がないように見えます」
「え? ……あはは、そうかも。自分でも気づかないようにふるまってただけで、私は今、元気がないのかもしれない」
「いったい何があったのですか?」
「原因はハッキリしてるんだよ。きっと、日向くん成分が不足してるんだと思う!」
「……それは、何らかの毒物でしょうか」
「ちがうよー。もー、エヴァちゃんったらー」
とはいえ、北園の言葉を聞いて、エヴァもなんとなく彼女に元気がない事情を察した。
北園が見たという、日向が『太陽の牙』で北園を刺し貫くという予知夢。そんな未来を実現させないために、日向は現在、意図的に北園から距離を取っている。日向さえ近くにいなければ、予知夢の内容は現実にならないはずだから。
北園もそれは分かっているが、彼女が日向を想う気持ちは非常に強い。
なにしろ、これまで家族の愛に飢え続け、しかし予知夢を見るという負い目によって自らそれを遠ざけてきて、それでもなお彼女と一緒にいたいと言ってくれた異性だ。感謝してもしきれない。そしてその感謝の念が、そのまま日向への愛情に変換される。
「自分でもちょっと依存気味かなーって思っちゃうけど、やっぱり好きなんだもん。それなのに、最近は全然イチャイチャできない! はぁぁつらいよー……。このブラジルに来てから、特に強くそう思うようになっちゃって」
「戦闘も何もない状況であれば、距離を縮めても問題ないように感じますが」
「私もそう思うんだけどね、日向くんが距離を取っちゃうんだよね。私のことを心配してくれてるのは伝わるんだけど、だからこそ私からもなかなか近づきにくくて……。こうなったら、エヴァちゃんをかわいがって気持ちを紛らわせちゃえ! ぎゅーっ!」
そう言って、北園はエヴァを抱きしめた。
普段なら北園を振り払うであろうエヴァだが、今回はとくに彼女を拒むことなく、「むぎゅ……」と鳴き声を上げて、されるがままにしていた。
一方で、別の個室では、レイカがテオに英語を教えていた。
「テオくんは本当に飲み込みが速いですね! 基本的な文法は、これでほぼ完璧にマスターできたはずですよ」
「うん。教えてくれてありがとう、レイカさん」
これまで以上にすらすらとした発音で、テオはレイカに礼を述べた。
しかしそれから、テオは心配そうにレイカに尋ねる。
偶然にも、ちょうどエヴァが北園にそうしたのと同じように。
「レイカさん」
「はい? どうしました?」
「レイカさんを見てると、ときどき辛そうな、あるいは寂しそうな顔をする時がある。何かあったの?」
「ああ……。そうですね、何もないと言ったら噓になっちゃいます。まだアカネのことを引きずっていて……」
「アカネ……さん? それは誰?」
「アカネは、まぁ何というか、私の妹みたいな子です。でも最近、怪我をしちゃって、それからずっと眠ってて……」
「そのアカネさんを、心配してたんだね。ちゃんと目を覚ますかどうか」
「そういうことです。それにテオくんの言うとおり、私自身も寂しいと感じています。不思議なもので、少し前までは『私と正反対の性格でうるさい』とまで思ったこともあったのに、今ではあの子が側にいないのがたまらなく辛いです」
「なんだか、分かるな。僕もエドゥのことを『偉そう』とか『口が悪い』とか思ってたけど、緑化現象が起こってから、彼は人が変わったようになっちゃって、それで僕を置いて遠くに行っちゃったような気がして、それがなんだか寂しくて」
「あなたが再びエドゥさんと一緒にいられるようにするために、私たちも頑張らないと、ですね」
「うん。ありがとう……」
気を遣っていたつもりが、最後には逆に気を遣われて、テオは少しはにかみながら、レイカに礼を言った。
それからこちらは、本堂の様子。
この飛空艇の各個室やブリッジ、コックピットをつなぐ通路の片隅で一人、壁に背中を預けて立っている。
彼は自分の右の手のひらを見ながら、考えていた。
今日、エドゥアルド・ファミリーの拠点に討ち入りした時のことを。
あの時、本堂はエドゥアルド・ファミリーの兵士の一人に対して右腕の刃を振るい、喉元で寸止めした場面があった。その兵士は恐怖のあまり、その場で意識を失っていた。
「あの時……俺はあの兵士を、本気で殺そうとしていた……」
本堂がつぶやいた。
右腕の刃で斬りかかった時、本堂は本気で、あの兵士の首を斬り飛ばすつもりだった。しかしその最中に、すぐに自分の思考が異常に陥っていることに気づき、振るっていた刃を止めた。
寸止めになったのは、ただの結果だ。
本堂の刃は、ほんのわずかに兵士の喉元に食い込んでいたが、あれは兵士を驚かせるためではなく、本当にギリギリのところで刃を止めることができた、というのが真相だ。
「思い返せば、アメリカのセントルイスで少年型のレッドラムを倒した時あたりからだな。敵対者を必要以上に攻撃しようという凶暴性に駆られる事がある……」
その原因に、本堂は心当たりがある。
それは恐らく、マモノ化による獣性の表れ。
生き延びるためとはいえマモノ化を志した時に、初めからエヴァに忠告されていた。いずれその身は力を抑えきれず、理性を失った怪物になり果てることになると。
「……日向のタイムリミットは、あと七日だったか。下手をすると、俺のタイムリミットはそれ以下なのかもしれんな」
本堂は、自分の心を強く意識した。
こうしている間にも、自分の理性が失われているかもしれないと思って。
「どうか、全てが終わるまで持ち堪えてくれ、俺の意識。全てが終わったら、その後はどうなっても構わん。完全にマモノとなって討伐されることも、全てを終わらせたという誇りを胸に、喜んで受け入れよう」