第1453話 怨嗟の記憶
灰色の光に包まれて、日向は狭山の記憶の中へ。
まず目の前に広がった光景は、どこまでも無限に広がる、赤黒く、おどろおどろしい空間。
この空間の色には見覚えがあった。
狭山が、そして多くの目付きのレッドラムが使用していた”怨気”の色だ。
その瞬間。
彼の頭の中に、無数の声が響いてきた。
怨嗟に満ちたどす黒い声が、叩きつけられるように。
「ぐぅあっ!?」
思わず耳を塞ぐ日向。
その声は、黒板をひっかいた時の音より何百倍も耳障りで、恐竜の鳴き声より大音量。日向の頭をかち割り、脳髄を破壊せんとするばかりの勢いで響き渡った。
(死ね)
(死ね)
(死ね)
(怨めしい)
(殺す)
(殺せ)
(復讐だ)
(憎い)
(憎悪)
(何故だ)
(引き裂く)
(許さない)
(許すな)
(後悔させろ)
(誕生したことを)
(後悔させろ)
「う……っぐ……!」
その無数の声は日向の脳内に直接送り込まれるように、いくら彼が自分の耳を塞いでも、まったく小さくすることはできなかった。
怨嗟に満ちた声々は、やがて殺傷力を伴うように。
言葉と共に、日向の身体に刃が刺さり、身体が燃え上がり、四肢が引き裂かれた。
「ああああああああっ!?」
激痛で絶叫する日向。
なおも暴力は止まらない。
眼球の内側から無数の赤い棘が生え出て、全身に電流が走り、内臓がドロドロに溶け落ち、身体中の骨という骨が一斉に砕け散った。
これらの痛みはすべて幻覚だ。実際に日向が傷を負っているわけではない。だが、その感覚はあまりにもリアルで、とても幻覚とは思えないほど。
これ以上ここにいたら、死ぬ。
苦痛で精神がおかしくされる。
自分の全てが、ミキサーで跡形もなく粉々にされるかのようだ。
そう考えた日向は、すぐさまこの記憶から退去しようとする。
……が、日向は退去する寸前で、再びこの記憶に留まることを選択した。
「この、怨嗟の暴風雨を越えた先に、何かが見つかるかもしれない……!」
今まで現れた灰色の光球が狭山の記憶を見せてくれたのは、出現した時の一回だけだった。恐らくは今回もそうなのだろう。ここで記憶から退去したら、重要な情報を得られないまま、二度とこの記憶を閲覧できなくなる可能性が高い。
それに、今までの狭山の記憶は穏やかなものが多かっただけに、ここに来てこの不気味な記憶だ。最後まで見続ければ、何かあるのかもしれない。
「こちとら、伊達に今まで何度も死んでないぞ……。この程度の痛み、”再生の炎”の方がまだ痛いし……!」
自分にそう言い聞かせるように、奥歯が砕ける勢いで歯を食いしばりながら、日向は自分に襲い掛かる様々な激痛に耐える。
その時だった。
痛みに耐えながら日向が周囲を見回していると、近くに何かがあるのを発見。
それは、この空間と同じ”怨気”の色をした、赤くどす黒いオーラが湧き出る泉のような場所。言うなれば”怨気”の源泉とでも呼ぶべき場所だった。
そして、その”怨気”の源泉の真ん中に、誰かがいる。
そこにいたのは狭山誠。
その彼の幼いころの姿、ゼス・ターゼット王子だった。
ゼス王子は非常に苦しそうな表情をしており、幾本もの”怨気”の色をした不気味な腕に巻き付かれ、押さえつけられている。”怨気”の腕が王子に触れている箇所が同じく”怨気”の色に染まり、まるで彼を侵食しているようである。
なんとなく、日向には分かる。
あの”怨気”の源泉、そのど真ん中にいるゼス王子は、自分よりもはるかに凄まじい苦痛に襲われているのだと。
「ここに立っているだけでもめちゃくちゃキツいのに、あの”怨気”が湧き出ているど真ん中は、どれだけやばいんだ……」
自身を蝕む”怨気”に耐えながら、日向はゼス王子の様子を見る。
すると、どこからともなく声が聞こえてきた。
この空間全体に響き渡るような声。
声は、ゼス王子に話しかけているようだ。
「王子。まだ決心しないのか」
「もう貴方だけだ」
「憎くはないのですか。我々から全てを奪った、この星が」
「殺したい。殺したい。殺したい」
「怨みの感情に、その身を、心を、魂を委ねるのだ」
「貴方が受けているその苦しみが、この星から受けた仕打ちなのですよ」
「身体が今も熱い。魂が焼かれる。今も。今も」
「殺せ。殺せ。殺せ」
「忌々しい。忌々しいぞ、お前も」
「貴方が我々を抑え込むのならば、我々もまた貴方を侵食して、復讐を実行するしかない」
この複数の声は、アーリアの民なのだろうか。忠誠を誓うべきはずのゼス王子に、八方から罵声を浴びせ、しかも”怨気”で危害を加えている最中のようだ。
ゼス王子もまた、その声に言い返す。
「駄目だ……! ここで皆を解放したら、この星に永遠に消えない浸みを作ってしまう……! 何億年もの時を経て、この上ない怨嗟の怪物と化した貴方たちは、土地に取り憑くだけで、その土地を永久に生命が生まれない死の大地にすることさえできる……」
そのゼス王子の言葉を聞いて、日向はハッとした。
「まさか……狭山さんは、”怨気”を抑え込んでるのか? この星のために……」
さらに、この”怨気”の空間の上部が薄れて、なにやら別の場所の映像のようなものが見え始めた。
そこに見えるのは、緑豊かな大自然の光景。
その中にスピカやミオン、ゼス王子の世話役であるネネミエネ、その他のアーリアの民の姿もある。
薄い映像の中のネネミエネとミオンが、こちらに向かって声をかけてきた。
『王子さま! ボーっとしてどうしちゃったんですか?』
「あらあら~、王子さまったら疲れちゃったのかしら? まだ鍛錬は終わってないわよ~?』
その二人の声の後に、この場にいるはずのゼス王子の声も聞こえてきた。
『ごめん、なんでもないよ。さぁ師匠、つづきをしよう』
『ふふ、元気ね~。それじゃあ、再開しましょうか!』
ミオンの返事が聞こえた後、その映像は再び”怨気”の中へと消えた。
今の光景を見て、日向はこの場所が何なのか、なんとなく理解できた。
恐らくここは、ゼス王子の内面。つまり王子の意識の中。
そして今しがた見えたアーリアの民たちは、王子の意識の外の光景。つまり現実世界。
ゼス王子は、自身の内側から湧いてくる、このおぞましい”怨気”に耐えながらミオンたちとやり取りを交わし、普段と変わらぬ様子を見せているのだ。
正気の沙汰ではない、と日向は思った。
自分が同じことをやれば、一秒足らずで耐え切れなくなり、ミオンたちの前でのたうち回ることになるだろう。
そして、その直後。
日向の忍耐も限界に達してきたようで、目の前が霞み始める。
「くそ……! まだ、あともうちょっと……! 知りたいことはまだあるんだ……!」
そんな自分の意思に反して、もう肉体も精神も耐え切れない。
それでも、最後の一秒まで食らいつく覚悟で、日向はゼス王子と民たちとのやり取りを、かぶりつくように凝視し、全力で耳を傾けた。
この空間を埋め尽くす”怨気”の向こう。
ひときわ凶悪なオーラを放つ、巨大な何かがやって来た。
「それ」が、ゼス王子に声をかける。
「お前の善性が邪魔だ。それのせいで、我らは完全たりえない。ひとかけらも残さず、我らの怨みで溶かしてやろう」
「あな……たは……」
「我らと一つになれ、王子。共に復讐を果たそうじゃないか」
「う……ぐ……っ! そ……それでも、僕は信じてる……! いつかきっと、皆の怨みが消え失せて、また皆が笑い合って過ごせる日が来ることを……。この星の生命たちとも手を取り合って、アーリアの新たな一歩を踏み出せる未来を……!」
「そんな日は永久に来ない。この星は、我らの怨嗟の沼に沈むだろう」
「ぐぁ……ぁっぐ……!」
「憎め。怨め。この星さえ存在しなければ、このような現在は無かったのだから。この復讐は、我らの総意なのだ」
「ち……違う……! 皆は本来、復讐なんて望みもしなかった! あなたが、この怨みを皆に伝播したから……!」