第133話 ロシアのエージェント
『久しぶりね、狭山。ロシアにようこそ。歓迎するわ』
『久しぶりだね、オリガさん。今日はよろしく頼むよ。ズィークフリドくんも変わりないようで良かった』
『だ、そうよ、ズィーク?』
『…………。』
オリガと呼ばれた少女――25歳なのだが――と狭山が堅い握手を交わす。二人はロシア語で会話をしているようだ。一方で、狭山に声をかけられた青年、ズィークフリドは無表情のまま口を閉ざしている。
この二人が、北園の予知夢に現れた二人のエージェントである。
少女の名前はオリガ・ルキーニシュナ・カルロヴァ。肩までかかったふわふわの金髪をしており、見た目によらない大人の余裕を思わせる微笑みが特徴的な少女である。
「本当に見た目は完全に幼女なんだな……。こんな人が実在したとは」
感心したような様子で日向が呟く。
一方、日向の隣では、本堂もオリガを興味深そうに見ている。
「ふむ。妖精プロポーションか。俺の趣味ではないな」
「おまわりさんこいつです」
「失敬な。特例的体質として観察していただけだ。それに、俺の趣味ではないとも明言した」
「二十代男性が幼女をジロジロ眺めるだけでも事案になる時代なんですよ」
「高校生男子が幼女をジロジロ眺めるのも事案にしろ」
「俺を道づれにしようとするのやめてもらえませんか」
そして青年の名前はズィークフリド・グスタフヴィチ・グラズエフ。高身長で、艶のある黒いロングコートを羽織っており、静かにオリガの側に控えるその姿は、さながら彼女の忠実な護衛のようである。これで年齢はオリガの方が二つ上なのだというのだから驚きだ。両手には相変わらず「ようこそロシアへ!」のプラカードを掲げている。
と、狭山とのやり取りを終えたオリガが今度は日向たちに向き直る。
ロシア語で、五人に向かって話しかけてきた。
『それで、あなたたちが連絡にあった子たちね? 歓迎するわ』
「すみません、ロシア語はさっぱりなんです」
断りを入れる日向。
オリガは哀れそうに鼻で笑い、再び口を開く。
「あらそうなの? かわいそう。私は日本語で大丈夫よ」
「そーなのかー。会う人みな日本語上手で助かるわー」
『ARMOURED』の時といい、若干都合の良い展開が続き、日向は少々呆れた声を上げる。海外での活躍のため、英語を勉強してきた努力は何だったのか。
「私はオリガ。こっちはズィークフリド。ロシアのマモノ対策室に所属するエージェントよ。よろしくね、日下部日向」
「ええ、よろしくお願いします。ズィークフリドさんも、よろしくお願いしますね」
「…………。」
日向のあいさつに対して、ズィークフリドは一切の言葉を返さない。
日向、当然ながら気まずくなる。
「だ、だんまりですね……」
「あら、知らないの? ズィークはね、喋れないのよ」
「へ!? そうなんですか!?」
横からのオリガの言葉に驚く日向。
オリガは説明を続ける。
「なんでも幼いころ、喉に腫瘍ができたらしくてね。声帯ごと切除したらしいわ。それを抜きにしても、ちょっと不愛想だけどね。ズィーク、皆さんにご挨拶なさいな」
「…………。」
オリガに言われると、ズィークフリドは懐からメモ帳とペンを取り出し、右手でペンを持ち、物凄いスピードで何かを書き始める。喋れないと言っていたが、筆談でもしようというのか。
やがてズィークフリドは、書きあがったメモの内容を日向たちに見せた。
『やぁはじめまして! ズィークフリドです! 気軽にズィークって呼んでね! ロシアへようこそ!』
「…………。」
日向たちは、唖然とした表情で、メモの内容とズィークフリドの顔を交互に見やる。ズィークフリドは、いぜん無表情のままフレンドリー極まるメモを見せつけていた。
「あの……失礼ですが、ペンを持つ手と表情筋はそれぞれ別の人間が動かしているのでしょうか? とても目の前の威圧感溢れる人物が書いたとは思えない文面なのですが」
日向の言葉を受けたズィークフリドは、再びメモに返事を書き始める。無表情で。
『怖がらせたらいけないと思って、明るい口調にしてみたよ! 僕の表情については気にしないでほしいな! こういう性分なもので!』
「無茶言うな」
歴戦の殺し屋のような目つきで、実に和やかな筆談を繰り広げるズィークフリド。あまりにもあんまりな温度差に、日向はさっそく打ちのめされた。
「どうなってるんだ……。本堂さんといい、コーネリアス少尉といい、この人といい、俺の知り合うクールガイはなんでどいつもこいつもフリーダムなんだ……」
「俺もフリーダム枠なのか?」
「逆にフリーダム枠じゃないと思ってるんですか!?」
脊髄反射のような勢いで本堂にツッコミを入れる日向。
その一方で、オリガは狭山とやり取りを交わしている。
「さて、皆の顔合わせも済んだところで、さっそく仕事に行きましょうか。まずはホテルで荷物を下ろすのよね、狭山?」
「うん。近くだから、すぐ済むよ。ぼちぼち行こうか」
狭山の言葉を受け、日向たちはワゴン車に荷物を詰め始める。
ズィークフリドも荷物を預かり、日向たちを手伝っている。
そして、その傍らでシャオランがズィークフリドを注視していた。
「あの人は……」
「ん? どうしたの、シャオラン」
思わず呟いたシャオランの声に、日向が反応した。
「あの、ズィークフリドさん、だっけ? たぶんあの人、メチャクチャ強いよ……」
「シャオランがビビるレベルなのか……情報通り、とんでもない人らしいね……」
日向たちは、ロシアへ来る数日前に狭山からズィークフリドの情報を聞いていた。曰く、彼は極限にまで身体を鍛え抜いた、ロシア最強のエージェントなのだという。
素手による我流の暗殺術『鋼指拳』を編み出し、その威力は全身凶器と謳われるに相応しい。
そしてついたあだ名が『人類の鍛錬の限界点にして到達点』。
「彼こそが人間の鍛錬の限界である」という畏敬の念が込められた、最強を冠する者に相応しい称号である。
「……いやでも、さすがにシャオランの方が強いでしょ? 『星の牙』倒せるんだよ?」
「いやムリだよ……絶対勝てないよぉ……」
「またまたぁ。いつもの怖がりでしょ? 謙遜してるんでしょ?」
「い、いやいや! ホントだよ! 目算だけど、ちゃんと実力を測ったうえでの発言だよ! たとえ練気法を使おうと、ボクが負けるよ!」
「嘘でしょ……? ロシアやべぇ……」
そこまで言うと二人は会話を切り上げ、ワゴン車に荷物を詰め込んだ。
一方、こちらは北園とオリガ。同じ超能力者同士、精神支配という超能力を持ったオリガに、北園はお近づきになりたいらしい。
「オリガさん! 私も超能力者なんですよ!」
「……へぇ。私もあなたのことは調べたわ、北園良乃。七つも超能力が使えるなんて、すごいわね」
「ありがとうございます! 超能力者どうし、仲良くしましょう!」
北園が手を差し出す。
しかしオリガは、ぷいっとそれを無視してしまった。
「あ、あれ?」
「あいにくだけど、私、必要以上にあなたたちとなれ合う気は無いわ。鬱陶しいから。ごめんなさいね?」
「あう……」
そう言うと、オリガは手を振ってワゴン車に乗ってしまう。
何とも言えない表情で、北園が残されてしまった。
「……あの野郎」
その様子を、日影は傍から、怒りを湛えた瞳で見ていた。
◆ ◆ ◆
ホテルに荷物を下ろすと、八人を乗せたワゴン車はヤクーツクの西、郊外に広がる森林へと向かった。ワゴン車の運転席にはズィークフリドが座り、助手席にはオリガがいる。
(……なんか、この車、運転席がやけに沈んでないか……?)
そんなことを思う日向だったが、そうは言ってもハッキリとわかるワケではなく、それでいて車の運転に支障はない。なので、特に気にしないことにした。
「今回の私たちの仕事は、街外れの廃工場で行われるマモノ密売取引の取り押さえよ」
オリガが、後部座席に座る日本勢に声をかけた。
マモノの買い手はヤクーツクを拠点とする新興マフィアだ。
物珍しさから、マモノを購入するつもりらしい。
そして、マモノの売り手は反ロシア組織『赤い雷』。その末端だ。マモノ出現前からテロ活動を続けている息の長い組織だが、近年ではマモノを新たな収入源としており、さらに勢いづいているという。
両組織のリーダー格は可能ならば生け捕り、それ以外の構成員の生死は問わないとの命を受けている。ゆえに、オリガたち二人は徹底的にやるつもりでいる。
「まずはズィークが連中の数を減らすわ。その後、残った奴らに襲撃を仕掛けて一気に仕留める。敵は鈍くさいマモノじゃなくて、鉛玉を撒き散らす人間よ。その辺、覚悟しておいてね」
「……はい」
日向は、力を込めて返事をした。
他の皆も、いつになく真剣な表情である。
無理もない。これから戦うのはマモノではなく、人間だ。重みが違う。
「なに、殺す必要までは無いさ。腕でも足でも攻撃して、無力化してしまえばいい」
と、狭山が皆にフォローを入れるが……。
「甘いわね狭山。人間っていうのは、腕や足が動かなくなったところで、反撃を止めるような生き物じゃないって、知ってるでしょ? あなたに言われているから私たちも最大限この子たちをフォローするつもりだけど、死にたくないならやるしかないわよ?」
「んー、手厳しいねぇ……」
オリガが狭山のフォローを切って捨てた。
彼女はなかなかにシビアな性格をしているようだ。
やがてワゴン車は森の中へと入り、しばらく進んだところで停止した。
「ここから1キロ先が取引現場の廃工場よ。見ての通り、この先は木が生い茂ってて車じゃ通れない。歩いていくわよ」
オリガの言葉を受け、皆はワゴン車から降りる。
ズィークフリドがワゴン車のトランクを開き、中から大きなアタッシュケースを取り出した。それを開けると、中にはハンドガンがいくつか入っている。狭山は、その中の一つを手に取った。
「やれやれ、とうとうこれを手渡す時が来てしまったか。……はい日向くん。君の銃だ」
そう言うと狭山は、手に取った一丁のハンドガンを日向に手渡した。黒い銃身に茶色のグリップが特徴的な、いかにも拳銃といった色合いの一丁だ。
それを受け取った日向は、ひとしきりその銃を眺める。
いつになく真剣な表情で。
「……トカレフですね」
「いや、詳しいね日向くん」
「FPSとかもよくやってましたから。ゲーセンのガンシューティングの方が好きなんですけどね」
「……君の『太陽の牙』は遠距離攻撃を持たない。銃撃戦になればソレが必要になるだろう。先日の日米合同演習にてジャックくんからある程度、銃の使い方を聞いたらしいね。……覚悟は、できてるね?」
「……ええ、大丈夫です」
そう返事すると、日向は銃をしまう。
その瞳は人が変わったかのように、静かな決意に満ちていた。
日向の返事を確認した狭山は、他の皆にも同じように銃を渡す。もっとも、北園や本堂は自身で遠距離攻撃ができるため、出番があるかどうかは分からないが、それでも念のためである。
「ね、ねぇ!? ホントに戦わないとダメなの!? 相手も銃持ってるんでしょ!? 危ないよぉ!?」
「ここまで来ておいて今さらだろうがよ。覚悟決めとけ」
「い、イヤだ……! 今度ばかりは心の底からイヤだ……!」
「逆にシャオラン、よくここまで来る気になったよね。銃を持った人間が相手とか聞いたら、絶対に家から出て来なくなると思ったのに」
「サヤマが詳しい話を教えてくれなかったんだよぉ!! 『また戦闘がある』とだけ伝えられて、イヤイヤながらも勇気を出して来てみたら、テロリストが相手なんて聞いてないよぉぉぉぉ!?」
「いや申し訳ない。包み隠さず話したら、君は本当に来てくれなくなるかもしれないと思ってしまったんだ」
「よ、よくも騙したなー!?」
「騙してはいないよ。詳しい話を黙ってたんだ」
「同じだよぉー!!」
日向たち予知夢の五人の様子を見て、オリガは呆れた風に、鼻で笑う。
「賑やかねぇ。これから殺し合いに行くとは思えない雰囲気ね」
そう言ってオリガも自身の銃を取り出し、異常が無いかチェックする。
日向たちと同じハンドガン、トカレフ。
シルバーのカラーリングに黒いグリップが特徴的である。
その傍らでズィークフリドも自身の銃を取り出す。
真っ黒なトカレフに消音器を取り付けているようだ。
これで全員の武装が完了した。
日向たちは廃工場へ向けて歩き出す。
地面を踏みしめ、力強く。