第129話 二年生になる
――その日、夢を見た。
五人の人影が、何者かと戦っている。
かの者は、太古よりこの星に潜伏してきた悪意。
五人のうちの一人が、剣を手に、物凄いスピードで何者かに向かっていく。
対する何者かが手を振りかざすと、嵐が起こり、大地が割れた。
剣を持つ者は、裂けた大地を飛び越え、嵐を潜り抜け、斬りかかる。
およそ人間同士の戦闘ではない。
それこそ、まるで神話のような攻防。
――これは、星を守るための戦いである。
「はっ!?」
声と共に、北園はベッドから飛び起きた。
ふわりとしたボブヘアは、ぱさぱさと寝ぐせが立っている。
ここは北園の自宅。二階にある北園の自室である。
女子高生らしく華やかに彩られた部屋の床には、何かの絵がたくさん、あちこちに散乱している。それらの多くは人間を描いているのだろうが、それを人間と認めてしまったら負けと思ってしまいそうな、ちょっとヤバい造形である。そんな絵が床中に散らばっているのだから、ハッキリ言って異様な雰囲気の部屋であった。
「来た! 予知夢! しかもまたあの夢を見られるなんて!」
そう言うと北園は色鉛筆を取り、床に落ちていた何も描かれていない白い紙に先ほどの夢の映像を描き始めた。
床に散らばっている絵は、北園が見た予知夢の映像を描き止めたものだ。
北園は、今まで見てきた予知夢全てをこうやって記録している。
描かれていく絵は、背景は見事なものであるが、その中の人間たちがどれもこれも尋常ではない下手さだった。言うなれば、近代アートのプロが描いた背景の上で、小学生がクレヨンで描いたキャラクターたちが暴れまわっているようなカオスぶりであった。ピカソも困惑するであろう。
「えーと、こっちの人が本堂さん。これがシャオランくん。他はちょっとぼやけてたなぁ……。けど残り二人は剣持ってたし、日向くんと日影くんで間違いないよね。それで最後の女の子が私かな」
呟きながら、北園は仲間たちの絵を描いていく。
本人たちが見たらあまりの下手さに驚愕するか、あるいは抱腹絶倒するかしそうな絵であるが、北園はそのキャラクターたちが誰なのかハッキリ見分けがついているらしい。描いた本人には分かるということか。
「んー……分かるのはここまでだなぁ。『予知夢の五人』についてはまず間違いなく完璧! やっぱり今の五人で合ってる! ……けど、ボスの姿は全然分からなかったなぁ……」
そう言うと北園は色鉛筆を置いた。
『予知夢の五人』が立ち向かう、最後の敵の姿が分からなかった。
これまでの話からして、最後に立ちはだかるのは恐らく星の巫女なのだろうが、ハッキリと見えなかったその姿に、北園はうすら寒い感覚を覚えた。
「……って、わぁ!? もうこんな時間!? 急いで準備しないと!」
今日は4月8日、新学期である。
今日から北園たちは高校二年生となる。
だが時刻はすでに午前8時の少し前。急がなければ新学期早々遅刻する羽目になるだろう。しかし北園の家は高校からそこそこ近いため、まだ希望はある。
北園は自室を飛び出す。
洗面所にて鏡に向かい、くしで髪をとかす。
自室から制服を持ち出し、階段を下り、リビングのキッチンに立つと、パンを電子レンジに入れてトーストし、その合間に目玉焼きを作る。出来上がったそれらを急いで食べてしまうと、パジャマから制服に着替える。
リビングに置いてあったカバンを開き、忘れ物が無いかチェックする。
忘れ物が何もないことを確認すると、玄関へ向かう。
ドアを開ける際、バリアーを張ってゆっくりと開ける。
以前に見た「その向こうに死神がいる」という夢を毎日警戒しているのだ。
しかし、今日もドアの向こうには何もいなかった。
それを確認した北園は……。
「じゃあ、行ってきます!」
元気よくそう告げ、家を出た。
玄関のドアを閉め、鍵をかける。
これが北園の毎朝の登校風景である。
◆ ◆ ◆
一方、こちらは日向の自宅。
「日向ー、朝よー、下りてらっしゃーい」
「はいはい、今行くよー」
母親の声を受け、日向は二階の自室からリビングへと下りてきた。
さっそくテーブルに座り、朝食に手を付ける。今日の献立は焼き魚のようだ。
「おはよ、いただきます」
「おはよう。今日から二年生ねー。ずばり、二年生の目標は?」
「んー……無事に三年生になること」
「あら、留年する予定でもあるの?」
「い、いや、無いけど、まぁ一応ね」
日向はそう言うが、実際のところ、彼が無事に高校三年目を迎えられるかどうか、それはまだ分からない。なにせ日影が自身から分離したことで余命か縮まっているのだ。『太陽の牙』を手に取ってからすでに四か月が経過している。日影の話が事実なら、日向の命はあと一年あるかどうか。
普段は気にしないようにしているが、新しい学年の始まり、一つの節目であるからか、妙に時間制限のことを意識してしまう。
(……きっついな…………)
猶予は少しずつ、しかし確実に無くなっていく。
日向の表情が自然と暗くなっていく。
「どうしたの? 顔色悪いわよ?」
「え、あ、ああ、いや、何でもない」
「そう? こういう季節の変わり目が体調崩しやすいんだから、気を付けなさいよ?」
「分かってるって」
朝食を食べ終わると、日向は学ランに着替え、バッグを持って玄関へ。
母親に見送られながら靴を履いている。
「ねぇ日向。あの子……北園さんとは、上手くいってるの?」
「んっ!?」
まるで自分と北園が付き合っているかのような物言いに、思わず固まる日向。……というより、日向の母の中では実際、そう思っているのだろう。高校生の母親は、我が子が異性を家に連れて来ると、積極的にくっつけようとする習性がある。
「いや母さん、何度も言うけど、俺と北園さんはそういう関係じゃないから」
「そうなの? でも最近はよく一緒に遊ぶんでしょう?」
日向は、自分がマモノ退治に関わっていることを未だに母親に黙っている。そのため、日ごろのマモノ退治で出かけるときは『友達と遊びに行っている』ということにしている。
先日の日米合同演習の時も『友達の家に泊まりに行く』と言っておいたのだ。日向の母は、どうやらそれを『北園と遊んでいる』と解釈しているようだが。
「あの子、性格も良いし可愛いし、狙っちゃいなさいよ」
「いや、いいよそんなの。俺が女子と付き合ったところで、相手を幸せにできる自信が無い。だって俺は、あんなことをやらかした人間だよ? 北園さんが付き合うべき男子はもっと別にいると思うし」
そう言い終えると、日向は「じゃ、行ってきます」と言って家を出ていった。
そして日向の母は、日向の言葉を受けて、ひどく落ち込んだ表情をしていた。
「日向……やっぱりあなたは、まだ引きずってるのね……あの時のことを……」
◆ ◆ ◆
8時20分ごろ、日向は十字高校へと到着した。
駐輪場に自転車を停めていると……。
「あ! 日向くん! 今、何時!? ぜー、ぜー」
と聞きながら北園が自転車でやって来た。
かなりのスピードを出して来たのだろう。息が上がっている。
「あ、北園さん。えーと、現在8時20分……」
「ほっ。良かった、間に合ったぁ……」
「北園さん、ときどき遅刻してくるよね。朝弱いの?」
「うん、少しね。おまけに今日は予知夢まで見ちゃって、その記録もしていたの」
「え、予知夢見たの? どんな夢だった?」
「ああ、えっとね、あれだよ。例の『世界を救う予知夢』だよ」
「ああ。またその夢を見たのか」
「うん。やっぱり『予知夢の五人』は、今いるメンバーで合ってると思う。私たち五人で世界を救うんだよ!」
「そっか。それは良かった」
その時まで、自分は生きていられる。
そのことを改めて確認することができ、とりあえず日向はホッと胸を撫で下ろす。
「っと、まずは新しいクラス確認からしないと。また北園さんやシャオランたちと同じクラスになれるかな? クラス表はどこに貼り出されてるんだっけ?」
「昇降口前の掲示板だよ。ちなみにこれは一昨日見た予知夢なんだけど、私と日向くんはD組でーす」
「ひどいネタバレを喰らった」
「あははー、黙ってた方が良かったかな? ゴメンね? でも一応確認しに行こっか。一緒に行こー?」
「分かったよ、行こう」
北園の誘いに頷く日向。
桜並木の中を、北園と一緒に歩いていく。
「あ、見て。私の仲間たちが咲いてるよ」
「『仲間たち』って……桜のこと?」
「そうだよー。この桜の木は『ソメイヨシノ』。日向くんも名前くらいなら聞いたことあるでしょ?」
「まぁ、一応ね。……そういえば、北園さんの名前も『良乃』だっけ? それで『仲間』ってこと?」
「そうだよー。実際、私の名前もソメイヨシノから取られてるのよ。『ソメイヨシノみたいに綺麗で、可愛らしい女の子になってね』って、お父さんとお母さんが付けてくれたんだよ」
「なるほど。確かにソメイヨシノの花って白くて小さくて綺麗で可愛いから、北園さんによく似てると思う。…………あ。」
言い終わってから、日向は口をつぐんだ。
今のは完全に北園を口説いていた。
いきなりこんなことを言われて迷惑だったろうと、日向は慌てて北園に頭を下げる。
「ご、ごめん北園さん。変なこと言って。今のは純粋に誉め言葉だったんだ。やましい気持ちは何も……」
「…………。」
「き、北園さん?」
「……えへへー」
日向の言葉を受けた北園は、怒るどころか嬉しそうに笑っていた。
見ているこちらも幸せな気分になりそうなにへら顔である。
「似合ってるって言われた。嬉しい」
「そ、そっか。それは良かった」
「うん! ありがと、日向くん!」
「ど、どういたしまして」
満面の笑みを浮かべ、真っ直ぐ日向に礼を言う北園。
北園から目線を逸らし、口をキュッと結び、頬を掻きながら返事をする日向。
桜の花びらが舞う道を、二人は並んで歩いていった。
――くそ、まただ。胸が苦しい。
心臓が高鳴って止まらない。
駄目だぞ、俺。
俺なんかじゃ、北園さんを幸せにはできないんだからな。