第125話 一件落着
「おるぁッ!!」
「ぐええ!?」
日影は、無理やり立たせたヒロシを再び殴り飛ばす。
ヒロシはうつ伏せになって地面に倒れた。
「るぁぁッ!!」
「がふっ!」
その動かなくなったヒロシの腹を思いっきり蹴り上げる日影。
蹴られたヒロシは身体が浮き上がり、地面を転がる。
すでにぐったりとして動かなくなったヒロシだが、日影はそのヒロシの腹の上に跨り、左手でヒロシの顔面を押さえる。そして、空いた右の拳でヒロシの顔面を殴りつけた。
「オラッ!! オラッ!! オラァッ!!」
「ぶっ!? ぐぇ! も、もうやめ、助けて、ギャッ!?」
一発だけではない。
二発、三発、四発、五発。
とにかく執拗に殴りまくる。
ヒロシの顔面は血まみれになり、まさしく半殺しといった惨状だ。
しかし日影は殴る手を止めない。
その表情は激しい怒りに満ちている。
「ちょっと!? もう止めてよ! ヒロシが死んじゃう!」
「うるせぇな……じゃあお前が代わりに殴られるか?」
「えと……それは……」
「先に仕掛けてきたのはそっちのクセに、根性無しが。引っ込んでろ」
自身を止めてきたサキにそう言い捨てると、日影は再びヒロシを殴り始めた。もはやヒロシは意識を失っているが、それでも日影は拳を止めない。
「オラッ!! オラッ!! オラァッ!!」
「おい、もう止めろって、日影!!」
「……ああ?」
ヒロシを殴り続ける日影の拳を止めたのは、日向だ。
振りかぶった日影の拳を、両手で掴んで抑えている。
「お前、いくらなんでもやりすぎだって! そいつ、本当に死んじまうぞ!?」
「……こういうヤツはよ、どうせここで見逃してもまた復讐しに来るぜ? あるいは腹いせで、オレの見えないところでまたましろをいじめるかもしれねぇだろ? だったらよ、いっそ殺した方が良いんじゃねぇかな」
「バカお前、本気で言ってんのか!?」
「お前なら、オレの気持ちも分かるんじゃねぇか? こういう、人に迷惑かけないと生きていけないようなクソ野郎、死んだ方が世のためだって」
「そりゃまぁ、お前の気持ちも分かるけどさ、マジで殺すことないだろ! どんなクソ野郎でも、お前の裁量で決められるほど人の命ってのは軽くないんだぞ!」
「そ、そうですよ日影さん……! 私のためを思ってくれるのは嬉しいですけど、いくら何でもやり過ぎです……!」
「日影……っ! またあの時と同じ間違いを繰り返すつもりかよ……!」
いつになく声を荒げ、必死に日影を止める日向。
声が上ずって震えているのに、それでも日影を説得するましろ。
そんな二人を見て、日影は一つため息を吐いた。
「……分かってる。冗談だよ、冗談。エイプリルフールだ。適当なところで止めてやろうって思ってたさ。これくらいボコれば十分だろ」
「……その『冗談』が冗談ってオチは無いよな……? さっきまでのお前の眼、本気で殺る気の眼だったぞ。お前の眼は俺の眼だから、よく分かる」
「……大丈夫だって。もう止めるさ」
少し間をおいて言うと、日影はヒロシの上から退いた。そしてそのまま、呆然とここまでのやり取りを見ていたサキとその取り巻きたちに向かって歩いていく。
日影が近づいてくる。
頼みの綱のヒロシが叩きのめされ、サキたち三人組は狼狽えることしかできない。
「う…………」
サキたちの前に立った日影には、ヒロシの返り血がところどころに付着している。その威圧的な表情も併せて、人ひとり始末してきた殺し屋にしか見えない。そんな日影を見て、三人組はひどく怯えているようだ。
「おい」
「ひっ!? な、なんだよ!?」
「もうましろをいじめるなよ。これ以上やったら、次はお前らがああなる」
そう言って日影は倒れているヒロシを指す。
ボロボロになったヒロシを見て、女子三人は息を呑んだ。
「まぁまぁ日影くん。荒療治も、過ぎれば患者を壊してしまうよ?」
「あん? ……って、狭山か。何でこんなところに?」
日影の背後から声をかけたのは、先ほどマモノ対策室十字市支部を出てきた狭山誠だ。この状況下で、相変わらず柔和な笑みを浮かべて日影に話しかけてきた。
「ちょうどここを通りがかってね。そしたら君たちが暴れているところを見つけたから、ちょっと様子を見ていた」
「見てたのかよ。オレがヒロシをボコってる間、よくもまぁ止めなかったな?」
「自分が止める前に日向くんが止めちゃったんだよ。それに、自分が言いたいことも全部日向くんが言ってくれた」
「そうかよ。……荒療治が過ぎるって言うが、アンタは具体的にどうするんだよ?」
「とりあえず、彼女らの事情について聞かせてくれないかな?」
「ああ。まぁ、かくかくしかじかってワケだ。んで、結局どうするんだ?」
「そりゃあもちろん、話し合いで平和的に解決さ」
そう言うと狭山は、サキたち三人組に歩み寄る。
サキたちは、まだ怯えている様子である。
「やあ、はじめまして」
「な、何だよアンタ……」
「自分は狭山誠。通りすがりのお人よしだよ。率直に聞くけど、君たちはなぜあの子を……えーと……あの子の名前、何だっけ……?」
わざとらしく首を傾げて、狭山はサキにましろの名前を尋ねた。
「小岩井ましろ……」
「そうだった、ありがとう。なぜ君たちはましろちゃんをいじめていたんだい? 昨日は彼女を見つけるなり悪口を浴びせたって聞いたけど?」
「それは……えーと……」
「何かきっかけがあったのかい?」
「あったような……無かったような……やっぱり無かったような……」
「彼女が、何か悪いことを?」
「いや、ましろはそんなことしない……」
「……いじめというのは、ちょっとした出来事がきっかけで発生したり、何もないのに自然に発生したりする。もはや、この星の人間の一つの習性であるかのようにね。元々は仲良しだった友達同士でもいじめは起こり得る。そして、かつて仲良しだった友達にいじめられ、被害にあった子は自殺して、遺された家族はただ怒り、悲しむしかない。残酷な話だよね」
「…………。」
「君たちのいじめの手口から想像したんだけど、最初はからかい半分だったんじゃないかな? 中学に入って仲良くなった新しいお友達、つまり後ろの二人組を自慢する、そんな気持ちで少しましろちゃんにちょっかいを出して、それがいつしかエスカレートしてしまった」
「あ…………」
サキが小さな声を上げた。
まるで、自分さえ忘れていた過去を見事に言い当てられたように。
「日影くんから聞いたよ。君たちはもともと仲良しだったんだろう? もうましろちゃんをいじめるのは止めてくれないだろうか? こんな見ず知らずのお兄さんに頼まれても困るだろうけど……」
「わ、分かったよ。もう……いじめは止めにする」
サキは、ハッキリとそう言い切った。
後ろの女子二人も頷いている。
そしてサキは、何かが抜け切ったようにその場に立ち尽くした。
そんなサキに、狭山は再び声をかける。
「日影くん、怖かったかい?」
「う……少し……」
そうは言うものの、サキの声は震えている。強がっていることが丸わかりだ。日影のことは、相当怖かったのだろう。
「きっとあの子、ましろちゃんも、いじめられている間は同じ気持ちだったろうね」
「…………!」
その狭山の言葉にハッとしたかのように、サキはましろを見やる。
ましろはサキに歩み寄ってきて、口を開いた。
「サキちゃん……仲直り、しよ……?」
「ましろ……ごめん……ごめんなさい……!」
唇を噛みしめ、涙を流しながら、サキは深く頭を下げた。
ましろは、そのサキの背中を優しく撫でて、彼女を抱きとめた。
曇っていた空から、陽の光が差し込んだ。
「さて、これにて一件落着だね」
「この野郎、美味しいところ全部持っていきやがった……」
「お前はまだ見せ場があっただけ良かっただろ。俺なんか完全に殴られ損だぞ」
「……とりあえず救急車を呼びますか、狭山さん?」
「いや、呼ぶなら北園さんだよ、本堂くん。彼女の治癒能力を頼らせてもらおう。彼女にこっそり治してもらえば、波風立てずに事を治められる。警察沙汰はごめんだからね」
「分かりました」
本堂はスマホを取り出し、北園に電話を入れる。
その一方で、再び狭山がましろに向き直り、口を開いた。
「ましろちゃん。自分はね、こう見えてもマモノ対策室の結構偉い人なんだ」
「そ、そうなんですか……?」
(結構偉いどころか、アンタがトップでしょーが)
(因果応報はどうした。他人を騙したら自分に返ってくるんじゃねぇのか)
(嘘をつかず、事実を言わぬだけならばセーフと考えているのではなかろうか)
(あるいはエイプリルフールのつもりかもしれねぇぞ?)
(アンタらエイプリルフール満喫し過ぎだろ)
その後ろで、小声でツッコミを入れる日向たち三人。
言いたい放題言われているとも知らず、狭山は話を続ける。
「うん。……で、そんな自分としては、街中にマモノがいるのは見過ごせない」
「あ…………」
途端に、狭山とましろの間に不穏な空気が流れ始めた。
今の言葉を受けて、ましろは察した。この人は、自分といなずまちゃんが一緒にいることを快く思っていないのだと。さっきまで味方だと思っていた人物が、今度は自分の敵にまわったのだと。
相手は現職アメリカ大統領さえ言いくるめる知の傑物。
ましろといなずまちゃんの今後を左右する、最後の障害が立ちはだかった。