第122話 マモノと少女と日影
3月31日。
空は少し曇っている。
「ふっ……ふっ……ふっ……」
そんな曇り空の下を、日下部日向の影、日影が走っている。
トレーニングのため、日課のランニング中だ。
人通りの少ない、閑静な住宅街を走っている。
日米合同演習から帰ってきてから、日影は宣言通りさらにトレーニングに励んでいる。今日もまた、いつも以上にランニングの距離を伸ばし、今まで日向ですらあまり来たことがないような場所まで足を運んでいた。
「ああ、疲れたぜ。そろそろ20キロくらいは走ったか……?」
そう呟きながら日影が走っていると、前方の角から何やら小さな生き物が一匹飛び出てきた。
「あん? あれは……」
走りながら、その生き物を観察する日影。
その前身は薄い蒼色で、身体はささくれ立った甲殻に包まれている。
体躯は小さく、せいぜい日影の脛くらいの大きさしかない。
手足は短く、ハッキリ言ってなかなかに愛らしい外見の生き物だ。
「……つうか、あれってマモノだよな……?」
日影は知らないが、そのマモノは以前、日向と北園が戦った『サンダーマウス』である。……と、ここで再び、前方の角から何者かが飛び出てきた。
「いなずまちゃん! 勝手に出たら危ないって…………あ」
飛び出てきたのは、ゆったりロングヘアの小さな少女だ。
身長はおそらく150センチも無い。
その少女は日影を見ると、固まってしまった。
飛び出てきたサンダーマウスを抱きかかえながら。
「…………あ、あの、えと……」
「お、おう」
少女は何か話しかけようとしているようだが、緊張のあまりか、声が上手く出てこないようだ。日影は、少女の言葉を黙って待つ。
「チィ……!」
と、ここでサンダーマウスが少女の腕から飛び降りて、日影を睨みつける。そして、背中の甲殻からバチバチと電気を発し……。
「チィ!」
「うおっ!?」
日影に向かって、電撃を放った。
日影は反射的に上体を逸らし、間一髪で電撃を避けた。
日影の背後の電信柱に電撃が直撃し、コンクリートで出来た外装が小さく砕ける。
「ああ!? す、すみませんすみません!!」
「あー……。とりあえず、人目の付かない場所に行こうか……って、これじゃ悪役のセリフじゃねぇか」
「ご、ごめんなさい! お金が必要なら払いますから、どうかいなずまちゃんは見逃してください!」
「いや、取って食ったりはしないから、とりあえず落ち着いて話ができる場所に行こうぜ? そのマモノ、他人に見られるのはマズいんだろ?」
「あ、はい……」
そう言うと日影は、『いなずまちゃん』と呼ばれるサンダーマウスを連れた少女と共に移動を開始した。
◆ ◆ ◆
二人がやって来たのは住宅街の中にある、寂れた公園だ。遊具は多く、それなりに広い公園だが、辺り一面が雑草に覆われている。子どもたちが遊ばなくなって久しい、という雰囲気である。
「あ、あの、ここは……」
「あん? なんだ、ここじゃマズかったか?」
「あ、あの、いえ、大丈夫……です……」
少女はそう言うが、明らかに「日影に気圧されたから仕方なく了解した」という感じである。
煮え切らない少女の態度に日影も困った表情を見せるが、他に行く当ても無い。仕方ないのでそのまま公園のベンチに腰かけ、話を始めることにした。
「さて。オレの名前は日影だ。お前は?」
「え、と、小岩井ましろです……北十字中学校の一年生です……」
「ましろ、ね。率直に聞くが、なんでマモノを連れてるんだ?」
「えと、その、拾ったんです……」
「拾った? マモノを? 捨てられた子犬でも拾うみたいにか?」
「はい……。12月の終わりごろです。雨が降る中、ボロボロになって倒れていたこの子を見つけて、家に連れて帰ったんです。最初は私にも電撃を撃ってきたりして、ちょっと凶暴だったんですけど、最近は慣れてくれて大人しかったんです。だから、さっきあなたに攻撃したのが信じられなくて……ごめんなさい!」
「あれくらい、別に気にしてねぇよ。だからお前も気にすんな」
「あ、はい……」
日影も薄々気づいているが、この小岩井ましろという少女、相当気弱な性格だ。ともすれば、日影にとってヘタレの代名詞である自身の本体、日向の上を行く。そんな彼女から見て、粗暴な口調の日影はたいそう恐ろしく見えるのだろう。
日影は、彼女を怖がらせないように気を遣いながら話しかける。
「しかしまぁ、あれだな。よくお父さんとお母さんがマモノを飼うのを了承してくれたな? マモノなんて、普通の人からすれば怖いだろ?」
そんな日影の問いに、ましろは膝に乗せたサンダーマウス、いなずまちゃんを撫でながら返事をする。
「お父さんとお母さんは、許してくれなかったんです……。家に連れてきたら、今すぐ捨ててきなさいって……。だから、近くの空き地でこっそり飼ってるんです」
「なんだ、お前も意外とワルじゃないの」
「そ、そんなことないですよ…………あの……日影さん……でしたっけ? あなたは、いなずまちゃん、怖くないんですか……?」
「オレ? オレはまぁ、あれだ。度胸があるからな。そんなマモノ、むしろ可愛いモンだ」
本当は「マモノ討伐チームの一員として、常日頃からマモノと対峙しているためマモノに慣れているから」というのが理由なのだが、狭山からそのことはあまり口外しないようにと注意されている。よって、日影は適当にごまかした。
「そうなんですね……。私も、日影さんみたいに度胸があればなぁ……」
「……こう言うのはアレだが、随分と気弱だよな、お前。何かあったのか?」
「ええと、その……」
「喋って大丈夫なことなら、話してみろよ。それだけでも大分楽になるモンだぜ?」
「は、はい。その……」
ましろが日影に説明しようとした、その時。
三人ほどの女子が二人のいる公園に入ってきた。
そして、そのリーダー格のような金髪の少女がましろを見つけると、こちらに向かって歩み寄ってきた。
「……ああ、ましろ? テメ、ここがウチらのたまり場と知っててやって来るとは、良い度胸してんじゃん?」
「あ、あわ、あわわ……」
金の短髪の少女がましろに詰め寄る。明らかにフレンドリーな雰囲気ではない。
なるほどね、と日影は心の中で呟いた。
恐らく、ましろがこのような性格になった原因の一端は、彼女らにある。
そして、先の彼女の「ここがウチらのたまり場」という発言から、なぜましろがこの公園に留まりたくなかったのかも察しがついた。この女子三人組と遭遇したくなかったのだろう。
(知らなかったとはいえ、悪いことしちまったな……)
と、ここでましろが抱きかかえているいなずまちゃんが鳴き声を上げた。
「チィ!」
「うわっ!? なんだコイツ、ぬいぐるみじゃなかったのか!?」
どうやら、金髪の少女はいなずまちゃんをぬいぐるみか何かと思っていたようだ。まぁ、街中でマモノが抱きかかえられているなど、一般人は考えもしないだろう。
「お前、マモノ飼ってるのか!? キモッ! え、なんで? ましろさん、なんでなんですか~?」
「そ、それは、その……」
「あれでしょ? そのマモノを育てて、アタシらに復讐しようって魂胆でしょ!? マモノって凶暴らしいし!」
「うわ、陰険~。写メ取って警察に見せちゃお~」
「や、止めてよ! いなずまちゃんは凶暴なマモノじゃないから!」
「マモノ飼ってるから、今日からアンタのこと魔王って呼んであげるわよ!」
(……ったく。見てられねぇぜ)
日影はベンチから立ち上がり、ましろと、彼女に詰め寄る三人組の間に割って入った。
「おい、そこまでにしとけ。ましろが嫌がってるだろうが」
「……さっきから思ってたんだけど、アンタ誰? もしかしてましろの彼氏? 自分じゃウチらに勝てないからって男を連れて来るなんて、恥ずかしいと思わないの?」
「お前、いい加減に……」
声を上げようとする日影だが、その日影の胸倉を金髪の少女が素早く掴んだ。
「ねぇお兄さん。怪我したくなかったらもう帰ってよ。これはウチらとましろの問題だから」
少女は、凄まじい剣幕で日影に詰め寄る。
大の大人でも身がすくんでしまいそうな威圧感である。
……だが、日影はそれに全く動じず、逆に少女の手首を掴み返した。
そして、握り潰さんとする勢いで少女の手首を締め上げる。
「痛ててててっ!? テメ、何すんだよ! 放せ!」
「もうましろをいじめないって約束するなら放してやるよ?」
「テメっ……! マジでボコるぞ! ウチは空手やってんだぞ!」
「空手が何だ。こっちはガチの殺し合いしてんだぜ……?」
「ひっ……!?」
日影が発する凄まじい威圧感……というか、もはや殺気に気圧され、少女の身体から力が抜ける。
ちょっとやりすぎたか、と思いつつ、日影は少女の手首を離して解放した。
「あ、く……! テメ、ましろ! 男連れて調子に乗りやがって! 覚えとけよ!」
そう言うと、金髪の少女は走り去っていった。
取り巻きの女子二人も、彼女を追って去っていく。
「行ったか。……悪ぃ。余計なことしちまったか?」
自分の行動で、ましろは彼女たちから更なる反感を買ってしまったのではないか。そう思い、日影はましろに謝る。
「いえ、そんなこと……。ありがとうございます、日影さん……」
「ああ。……それで、アイツらが、お前の性格をそんな風にした原因、なんだな?」
「いえ……この性格は元からと言いますか……でも少し関係はあるかもしれません……」
そう言うと、ましろは語り始めた。
先の金髪の少女、『サキ』と自身の確執について。