第1294話 始末の記憶
北園と過ごした狭山の記憶を見終えた日向。
また場面が切り替わり、次に映し出されたのはどこかのオフィス街の閑静な路地裏だ。しとしとと雨が降っている。
周囲を見回す日向。
壁に張られたチラシや看板が、全て英語だ。
どこの街なのかは分からないが、ここはアメリカあたりなのかもしれない。
その路地裏に、男女が二人、向かい合って立っていた。
一人は狭山だ。日向にとってもお馴染みの格好、白と黒が入り混じったコートに身を包んでいる。
もう一人は、どこかで見たことがある顔だった。日向の知り合いではないが、間違いなくどこかであったことがある顔。その女性は日向の記憶の中と雰囲気が違うような気がして、日向はなかなか思い出せない。
(ええと、誰だっけなこの人……。あ、思い出した、ネネミエネさんだ)
ネネミエネ。日向たちがジ・アビスを倒した時に見た、狭山の記憶の登場人物だった女性だ。腰あたりまで届きそう青いロングツインテールが特徴的なアーリアの民である。
日向が知っているネネミエネは、アーリアの民の民族衣装である宇宙服のような装束に身を包んでいた。しかし今のネネミエネはレディーススーツ姿である。その姿のせいで、日向は彼女がネネミエネだと気づくのに遅れた。
狭山とネネミエネを取り巻く空気は、どこか重々しい。
ネネミエネは真剣な表情をしているが、狭山はいつもの穏やかな自然体。
その両者の違いが、重々しさを引き立たせる。
(たしかネネミエネさんは、狭山さんの怪しさに勘付いて、狭山さんを追ってたんだっけ。あれから狭山さんと再会してたんだな……)
この記憶は、これまで以上に重要な記憶かもしれない。
日向もまた真剣な表情で、二人の成り行きを見守ることにする。
狭山と向かい合いながら、ネネミエネが口を開いた。
「王子さま……ですよね?」
「いかにも。久しぶりですね、ネネミエネさん。お変わりないようで」
するとネネミエネは、真剣な表情から急に柔らかい表情になった。彼女らしさ溢れる表情だ。そして狭山に声をかける。
「もー王子さま! 探したんですよー! 今までどこ行ってたんですか! あの日、急にいなくなって、本当に心配したんですからね!」
と言いながら、ネネミエネが銃を抜いた。
間髪入れず狭山の腹部めがけて発砲。
弾丸は狙い通り、狭山の腹部に命中。
しかし、命中した弾丸は、狭山の腹筋に受け止められてしまっていた。
恐らくは”地の練気法”だ。
狭山の全身から”怨気”の赤黒いオーラが溢れ出ている。
「ひどいじゃないですかネネミエネさん。せっかく再会したのに、いきなり銃を撃ってくるなんて」
「読まれてた……!? ああもう、もっと練習しておけばよかった!」
「いやいや、けっこう危なかったですよ。非戦闘員とは思えない殺気の隠し方でした。ところで……いきなりこうして攻撃してきたということは、あなたは自分を止めるつもりなのですね?」
「はいそうですよ! できればあたしだって、王子さまを攻撃なんかしたくなかったんですけどね! でも……もう手遅れですよね? 今の王子さまは……」
「手遅れか……。うん、そうだね。あるいは、初めから打つ手なんか無かったのかもしれない」
「あたしでも分かるほどの邪悪な気配、今から祓うにはあまりにも……。王子さまが何をするつもりかは分かりませんが、何か良くないことをするつもりですよね? であれば、ここであなた様を亡き者にしてでも止めるしか……!」
「うん。事情をほとんど知らないミオンさんはともかく、ずっと側で自分の世話をしてくれた君と、こちらの心の中を覗くことができるスピカさんはごまかせないだろうとは思っていた。『最後の災害』を滞りなく進めるためにも、君はここで始末させてもらうしかないらしい」
やり取りを終え、狭山とネネミエネがそれぞれ構えた。
狭山は素手。ネネミエネは引き続き拳銃を構える。
「……”催眠能力”っ!!」
ネネミエネの全身から薄い青色の波動が発せられた。
敵を眠らせる念動波である。
対する狭山は、それを回避することなく真正面から受けた。
街がいなく直撃したにもかかわらず、狭山は眠りに落ちる気配がない。
「”催眠能力”が効かない……!?」
「もう止められないんですよ、その程度では」
そう言って狭山は腰を落とし、ネネミエネに接近しながら正拳を繰り出した。”怨気”を纏った一撃だ。この攻撃で傷を負わせられたら回復ができなくなる。
ネネミエネは”水の練気法”を発動。左手で狭山の正拳を流し、右手を交差させて狭山の顔面に銃を向ける。そして躊躇いなく引き金を引いた。
しかし狭山は顔を傾け、銃弾を回避。
間髪入れず左の貫手を放ち、ネネミエネの腹部に四指を突き刺した。
「かはっ……!?」
「終わりです、ネネミエネさん」
「終わり……? いいえ、始めからこれが狙いだったんですよ……! ”精神支配”!!」
ネネミエネが狭山の目を凝視した。
同時に、彼女の瞳が妖しく光る。
オリガも使用していた、対象を自分の意のままに操る超能力だ。
「やった……! 肉を切らせて骨を断つ作戦、大成功……! それじゃあ王子さま、命令させていただきます。悪いことなんて今すぐやめてください……!」
「すみませんが、お断りさせていただきます」
「…………え?」
狭山がその場で踏み込み、左腕に力を込めた。
ネネミエネの腹部に突き刺さっていた左手が、背中まで貫通した。
「あ……が……!? な、なんで……”精神支配”は完全に決まったはず……」
「自分で言うのもあれですが、精神が頑丈すぎるんです、今の自分は。並大抵の精神攻撃は受け付けないほどに。”催眠能力”が効かなかった時点で、あなたはそれに気づくべきだった」
そう言って、狭山はネネミエネの腹部から左手を抜いた。
ネネミエネは力無く倒れ、傷を負った腹部と背中から大量の血が流れる。
「ああ……こんなことになるなら、別行動なんてせずに、三人一緒で行動していれば良かったかなぁ……。ごめんなさい、スピグストゥリカ、ミオンヌクリフェ様……。ごめんなさい、王子さま……あたしではあなた様を、止められ…………」
言葉はそこで途切れ、ネネミエネは動かなくなった。
狭山は、ネネミエネの亡骸を眺めている。
その表情は、悲しそうであった。
「最後の”精神支配”。あなたは自分に『死ね』と命令せず、『止まれ』と命令した。あなたは最後まで、自分を殺さずに止めようとしてくれたのですね。そのお気持ち、本当に嬉しかったです」
そう告げると、狭山はネネミエネの亡骸に背を向けた。
その場を去ろうとして、立ち止まり、またつぶやく。
「……魂の回収はしませんよ。あなたは自分たちと来ない方がいい。きっと耐えられない」
この一連の出来事を傍で見ていた日向は、怒りや疑惑、そして悲しみが入り混じった表情を狭山に向けていた。
日向は、ネネミエネ本人とは何の面識も無いし、言葉を交わしたこともない。しかしそれでも、彼女が良い人であったのは、前回の狭山の記憶を見てよく分かった。だからこそ、彼女が死んでしまったことが悲しかった。
狭山は、あれだけ真摯に彼の世話をしてくれていたネネミエネを自ら手にかけていた。そして、そんなことをしておきながら、なお彼の言葉と声色は優しさに満ちている。
(あ……あなたは……アンタ本当に何なんだっ!!)
思わず叫んでしまった日向。
狭山には聞こえないと分かっていながらも。
「……おっと、もうすぐ日向くんと北園さんに勉強を教えなければならない時間だ。急いで戻らないと遅刻してしまうね」
そう言って狭山は、その場で姿を消してしまった。
恐らくは”瞬間移動”の能力だろう。
日向は、知りたくなかった。
狭山が自分たちに優しくしてくれるその裏で、世話になった従者を殺していたなど。
日向の視界が灰色の光に包まれる。
どうやら、今回の記憶はここで終わりのようだ。