第1213話 夢はいつか覚める
引き続き、こちらは現実世界。
日影に加えて本堂とシャオランがジ・アビスと戦うバトルメンバーに加わった。まだ眠っている北園と、その北園を起こそうとしている日向を守るためにジ・アビスに立ち向かう。
ジ・アビスは今まで日影たちの下に位置取っていたが、ここでその位置を変更。日影たちと同じ位置まで浮上してきた。女性型の深い青色の巨人が日影たちの前に立ちはだかっている。
「お、大きいね……。今までの『星殺し』の本体は、だいたいが人間と大して変わらないサイズだったのに」
「大西洋そのものという超規模な外殻に比例しているかのような巨大さだな。さて、俺達の攻撃がどこまで通用するか」
「こっちの攻撃が届く位置まで浮上してくれたな。何のつもりか分からねぇが、これなら多少ここから離れても、エヴァの能力の範囲内まで戻って来れる! 今までよりも強気に攻めていけるってワケだ!」
日影の言葉に本堂とシャオランもうなずき、ジ・アビスに向かって泳ぎ始める。ジ・アビスの周囲にまとわりついて、遠距離攻撃で狙い撃ちにされるのを防ごうという算段だ。
だがしかし、三人がいくら泳いでもジ・アビスとの距離が縮まらない。これではまとわりつくも何もあったものではない。
「クソ、まただ……。アイツはまったく動いているようには見えねぇのに、どうしても間合いが縮まらねぇ! どうなってやがる!」
「奴自身の巨体と、この周囲の暗闇もまた、距離感を狂わされるのに一役買っているな。まるで手品だ。不思議なくらいに接近できん」
「一応、ボクたちもエヴァからどんどん離れているから、ボクたちがその場から動いてないって線はないみたい。これ以上エヴァから離れるのは危ないかも……」
「つまり、接近できるのはここまでってことかよ! ああクソまたこのパターンか!」
悔しがる日影。
そしてジ・アビスは三人が手出しできない中、悠々と次の行動に移る。
ジ・アビスが大きく息を吸い込むような動作を行ない、そして叫び声をあげた。この戦いの開幕と同時に日影を眠らせた音波攻撃だ。
「naaaaaaaaaaa...!!!」
「やべぇ、耳塞げ!」
急いで両耳を手で塞ぐ三人。音波は水の揺らめきとなって三人を巻き込んだ。巻き込まれた瞬間、三人の意識が一瞬とろけ、再び眠りに落ちそうになった。
「ッくぅ……! なんとか耐えきれたが、コイツぁマトモに喰らえばまたオトされるな……」
「一度起きることが出来たからと言って、二度も上手くいくとは限らん。また眠らされるのは不味い。極力避けねば」
「わっ、またジ・アビスがさっきの音波を出すつもりだよ!」
シャオランの言う通り、再びジ・アビスが大きく息を吸い込む動作。そして二度、三度と立て続けに日影たちめがけて音波を発した。
「naaaaaaaaaaa...!!! naaaaaaaaaaa...!!!」
「何が何でも眠らせるつもりかあの野郎……!」
「北園が起きてくれなければ、エヴァもあの位置から動けん。エヴァが離れると北園がこの深海に適応できなくなるからな。この状況を打破するには、日向が北園を起こせるかどうかにかかっているか……」
「ヒューガぁ! 早くキタゾノを起こしてあげてぇぇ!」
日影たち三人が苦戦を強いられているその一方で、北園を起こしている日向もまた苦戦を強いられていた。
「北園さんを起こすって言っても、さてどうしたものか」
「すぅ……すぅ……」
北園は超能力によって強制的に眠らされている状態であり、普通の方法では起きないようだ。日向は試しに北園の肩をゆすってみたものの、北園はまったくの無反応。
次に日向は、北園のほっぺをつまんでみた。
「ふにゅ……」
「ほぁぁやわらか。……いやこんなことやってる場合じゃないな」
日向は真剣に考える。
北園を眠りから解放するのに最も適したアクションは何か。
ジ・アビスの催眠は、こちらの心の闇、あるいは弱さ、あるいは隙といったものに付け込み、そこを起点として眠りに引きずり込むものだった。つまり鍵となっているのは、催眠をかけられた者の心。
だから日向としては、北園の心に響くような行動を取るのが最良ということ。そして日向は、そういった行動に一つ心当たりがあった。
「……けど、ここで? 付き合っているとはいえ、水着姿の女の子相手に? 同じく水着姿の半裸の男子が?」
「日向! 何を迷っているのか知りませんが、どうにかできそうなら早く行動を!」
「わ、分かった分かった!」
エヴァに急かされた日向は、一つ短く深呼吸。
そして、北園を両腕で包み込むように抱きしめた。
強く、しかし傷つけないように、情熱的に北園を抱擁する日向。
近くで見ていたエヴァは少しドギマギしていた。
(俺ができる行動の中で、北園さんに一番効くのは多分これ! 頼む、戻ってきてくれ北園さん……!)
◆ ◆ ◆
そしてこちらは、北園の夢の中。
北園は自宅にて、家族三人で仲睦まじく過ごしていた。リビングのテーブルで三人で食卓を囲み、何気ない会話に花を咲かせる。当たり前の日常風景だが、彼女が何年も望み続け、ずっと手に入らなかった時間だ。
「それでね! それでね! 学校の友達がね!」
楽しそうに話し続ける北園。
その北園の話を、両親は満面の笑みで聞いている。
娘の成長に心からの幸せを感じているようである。
ここで楽しい時間を過ごし続けていると、北園は自分の中で何か大事なことを忘れてしまったような気がしていた。
しかし北園は気にしないことにした。忘れてしまったこともきっと大事なものなのだろうが、家族と過ごすこの時間、今この瞬間ほど大事なものはないだろうから。
そう思っていたのだが。
北園は両親と会話をしている途中で、身体が芯から温かくなってくるような感覚を覚えた。最初は家族と過ごすこの時間が楽しいからそんな感覚に見舞われたのかと思ったが、どうも違うようだ。原因は他にある。
この暖かな感覚は北園にとって、とても魅力的なものだった。家族と過ごせるこの時間もとても大事なのだが、それよりも意識を引っ張られてしまうような。何か、忘れていた大事なものを思い出させてくれるような。
「…………あ、思い出した……」
北園がつぶやいた。
自分は何をしていて、どうしてここにいるのか、ようやく思い出せた。
それから北園は、名残惜しそうな様子で両親に話しかける。
「お父さん。お母さん。私、そろそろ行かなきゃ。みんなのところに戻らないと」
「あら……お母さんたちと一緒はイヤなの?」
「そんなことないよ! できればずっとここにいたかった! でも、やっぱり今の私は、現実の方が夢よりちょっとだけ大事だから。こんなにここでゆっくりしておいて、今さら言える台詞じゃないかもだけどね」
その北園の言葉を聞いてもまだ残念そうな様子の母親だったが、その母の肩に父がそっと手を置いた。
「母さん。良乃を見送ってあげよう。考えてみれば僕たちは、良乃が一人で外に出かけるのを見送るなんて一度もできなかった。僕たちにとって良乃はいつまでも小さくて可愛い一人娘かもだけど、もう良乃も自分で考えて行動できる女性なんだ」
「……そうね。娘の出立を胸を張って見送れないなんて親失格よね。分かったわ」
「お父さん……お母さん……ありがとう。今度また、今の私の友達を紹介するね。私、なんと彼氏もできたんだよ」
「よ、良乃に彼氏だと……! それは聞き捨てならないな、ぜひ今度ウチに連れてきなさい。娘をやるに相応しい御仁かお父さんが見極めないと」
「ふふ。お父さん絶対に気に入ると思うからだいじょうぶだよー。それじゃあ……いってきます」
「うん。いってらっしゃい、良乃……」
「いってらっしゃい……」
北園は両親の胸の中に飛び込み、抱きついた。
両親もそれぞれの腕で、娘を優しく抱擁した。
ついぞ一度もできなかった、両親との「いってらっしゃい」のハグだった。
そして、北園の夢はそこで終わった。