第1212話 誠の夢
ここは日向の夢の中。
彼は今、狭山から二つの選択肢を突きつけられている。この平和で苦しみの無い夢の世界で生きていくか、それとも過酷で辛い現実へと戻るか。
「さぁ日向くん、君はどうする?」
狭山が問いかけてくる。今までのように、あるいはいつものように優しい口調で。今いるこの場所がマモノ対策室十字市支部であるということもあって、嫌でもかつての日常を想起させる。この家で狭山と何気なく会話していた、あの日々を。
そんな狭山の問いかけに対して、日向はしばらくの間、瞳を閉じて静かに熟考している様子だった。だが、やがてその目を開き、狭山の問いに答えた。
「分かりました。俺はこの夢を受け入れます……って言うと思いました?」
「だと思ったよ」
肩をすくめて、狭山は日向の答えを聞き入れた。
初めから日向はそう答えると分かっていた様子であった。
「一応、理由を聞いてみてもいいかな?」
「まぁ星のためだとか皆が待っているからとか色々ありますけれど、一番の理由は狭山さんですかね」
「ん、自分かい?」
これは少し予想外といった風な反応を見せた狭山。
日向はそのまま話を続ける。
「狭山さんが言ったんですよ。俺たちを『幻の大地』で待つって。俺はまだまだ狭山さんに聞きたいことが山ほどあるんです。言いたいこともたっぷりと。そして然るべき後、ちょっと一発ぶっ飛ばしてやろうかなと」
「おっと、それは怖いね。でも自分に聞きたいことや言いたいことがあるなら、今ここにいる自分じゃ駄目なのかい?」
「駄目ですよ。あなたはジ・アビスが作り出した偽物ですから。本物の狭山さんが相手じゃないと俺もスッキリしない」
「自分が偽物?」
「ええ。だって本物の狭山さんなら、きっと俺に戦いを諦めさせようとはしませんから。あの人は俺たちの調子を見て、目標から遠回りさせたり距離を置かせたりしたことはありましたけど、基本的に目標そのものを諦めさせたことは無いですもん」
断言した日向。
しかし実際、その通りだ。
狭山は人間が努力し、それが成就した瞬間というのをこれ以上なく好む。そんな狭山の好物を潰す行為……目標を諦めさせるという行為は、その目標がよほど実現不可能でもない限り、彼は決して行わない。
「……なるほどね。これは一本取られたね。よもや日向くんに正面から言い負かされる日が来るとは。いやはや悲しいやら嬉しいやら」
「まぁそういうわけで、今の俺にとって一番の戦う理由は、あなたに会いたいからですよ狭山さん。だからこんな場所でゆっくりしてる場合じゃないんです。さっさと俺を元の世界に戻してください」
「分かった分かった、自分の負けだよ。このリビングを出ていけば、君は夢から覚めることができるよ」
「了解です。それじゃあ、待っていてくださいね狭山さん。俺たちは必ず、本物のあなたに会いに行きますから」
「うん、楽しみにしているよ」
狭山に宣言した後、日向はこのリビングから出て行った。夢の中の仲間たちはキョトンとしながら、そして狭山は変わらず穏やかな表情で日向を見送った。
後に残された狭山がポツリとつぶやく。
「行ってしまったか。それにしても、ここにいる自分は偽物か。傷つくなぁ。自分は自分で間違いなく本物なのだけれど。まぁ確かに狭山誠のキャラを考えると、日向くんにこんな夢を見せたのは失策だったかな」
そのつぶやきは誰に認識されることもなく、夢の世界と共に消滅した。
◆ ◆ ◆
一方、こちらは現実世界。
大西洋の深海八千メートル地点。
ジ・アビスが両手で赤黒いエネルギー弾を生成。恐らくは”怨気”を凝縮したものだ。これもまたジ・アビスのサイズに合わせて非常に巨大である。これを日影たちに撃ち出すつもりだ。
「この規模は、また”オーバーヒート”で焼き尽くすしかねぇか……。こんなに使わされたら、あっという間にガス欠だぞ……」
しかし日影がどうにかしなければ、背後のまだ眠っている仲間たちに直撃してしまう。エヴァは”オトヒメの加護”の維持で精一杯。日影がやらなければならない。
……が、その日影の背後から、エヴァのものではない声が聞こえた。
「日影、そこどけ!」
「この声、日向か!」
声に反応した日影は、すぐさま右に移動してその場を離れる。
その日影がいた場所を通過して、日向の炎と本堂の雷、そしてシャオランの蒼白いエネルギー波が飛んで行った。
「太陽の牙、”紅炎奔流”っ!!」
「”轟雷砲”……!!」
「空の練気法”炎龍”ッ!!」
三人がそれぞれ撃ち出したエネルギー波が、同時にジ・アビスの赤黒いエネルギー弾に衝突。しばらく押し合った後、エネルギー弾を誘爆させた。深海が強烈な衝撃で揺れる。
ジ・アビスの攻撃を打ち消した日向たち。
日向は日影とエヴァに声をかける。
「悪い、いま目が覚めた!」
「ったく、遅ぇぞ! もうそろそろ寝てるテメェを盾に使おうかと思ってたところだ!」
「隙あらば俺を殺そうとするのやめろ。まぁでもここから形勢逆転……」
「ちょっと待ってください日向。良乃がまだ目を覚ましていません」
エヴァが日向にそう声をかけた。
確かに彼女の言う通り、北園がまだ眠ったままだ。
「本当だ。ジ・アビスが見せている夢から脱出しきれないのか? 北園さん、あれでも抱えている闇は俺たちの中で一番深いからな……。そこを突かれてどっぷりハマっちゃってるのかも」
「良乃の遠距離火力は、ジ・アビスを倒すうえで必要不可欠です。それにそもそも……良乃がこのままこちらに戻って来ないのは、私は嫌です……」
「俺だって嫌だ。でも、夢の中にいる北園さんに、俺たちができることは何だ?」
「先ほどから何度も揺さぶって起こしてみてはいますが、全く反応してくれません……」
困った表情を浮かべるエヴァ。
日向も具体的な解決策が思い浮かばない。
そんな中、本堂が口を開いた。
「日向。俺達がジ・アビスを引き付けて時間を稼ぐ。お前が北園を起こせ」
「俺が、ですか?」
「エヴァでは北園を起こせなかったようだが、北園が愛するお前なら何か変わるかもしれん」
「さらりとこっ恥ずかしいこと言ってくれますね……。でも確かにこういう時こそ、そういう心の問題に訴えるのが一番なのかも。分かりました、やってみます!」
やることが決まり、日向は北園のもとへ。
そして本堂とシャオランと日影の三人がジ・アビスの前に立ちはだかる。
日向は、北園を現実へ呼び戻すことができるのだろうか。