第1210話 目覚めた二人
真っ暗闇の深海の中、ジ・アビスの”催眠能力”によって眠ってしまっている日向たち。
日向たちより低い位置では、ジ・アビスが背泳ぎの姿勢で日向たちを眺めるように見上げている。その口元は微笑んでいるようにも見える。
……と、ここで六人の中で目を覚ました人物が一人。日影である。
「く……、どれくらい時間が経った? あまり長くは眠ってねぇはずだが……っつうか息がやべぇ! 身体も潰されそうだ! エヴァを叩き起こして能力を維持してもらわねぇと!」
急いで日影は、まだ眠っているエヴァのもとに寄って、彼女の小さな両肩を揺さぶる。
「おいエヴァ! 起きろ! このままじゃオレたち全員お陀仏だぞ!」
「う……ううん……ねむい……でもおきなきゃ……」
「よっしゃ良い子だ! 寝起きで辛いだろうが頼むぜ!」
「ふぁ……。”おとひ……なんとかのかご……”」
「いや、あと『メ』だけだったろ。最後の一文字くらい言ってやれよ」
日影がツッコミを入れるが、能力は問題なく発動した。能力の発動に際して術の名前はあまり重要ではないらしい。
「多少はマシになったが、まだ身体はメチャクチャ窮屈だな……。それに呼吸も満足にできねぇ。なぁエヴァ、無理を承知で言うが、もうちょい何とかならねぇのか?」
「今の『星の力』ではこれが限界です。私だって息苦しいのです。息苦しさと能力の絶妙なコントロールに集中するため、このとおり、もう眠気から意識が覚醒してしまっています」
「本当だ、もう目が覚めてる。普段からこれくらい寝起きが良くなってくれりゃいいんだがな」
「う、うるさいです。不服を申し立てます」
「不服を申し立ててぇのは普段から寝起きの悪いお前を起こしているオレたちの方……いや言ってる場合じゃねぇな。今はジ・アビスをなんとかしねぇと」
日影とエヴァはジ・アビスの方を見る。二人が眠りから目覚めたのを見たジ・アビスは、どこかつまらなそうな様子だ。そして明確な殺気を感じる。
「cooooonn...cooooonn...」
「どうして眠っているオレたちを攻撃しなかったのかは謎だが、起きたら起きたで容赦しねぇつもりか。やる気だぞあの野郎」
「私は”オトヒメの加護”の維持に集中しなければなりません。もはやちょっとした援護すら難しい状態です。日影一人で耐えきれそうですか?」
「”再生の炎”のエネルギーは多少は回復してはいるが、それでもまだまだ不安な量だ。ジ・アビスだけに集中すれば良いならともかく、眠ってる連中まで守りながらっつうのは流石に厳しいぞ。皆さっさと起きてくれりゃいいんだが」
「普段はみんな私を寝ぼすけ呼ばわりするのに、今回は私の方が早く起きました。みんな寝ぼすけです。もう私を馬鹿にはさせません」
「地上でも早起きしてから言ってくれ。んじゃ、とりあえず仕掛けてみるか!」
日影は真下にいるジ・アビスに攻撃を仕掛けるべく、身体をくねらせて泳ぐ。さすがにプロ並みの速度とはいかないものの、そのフォームは様になっている。右手には『太陽の牙』を持って。
対するジ・アビスは、日影に向かってフリルのようなヒレがついた右手を突き出す。そしてその右手から水弾を発射。白い泡を吹き上げながら高圧縮された水の塊が日影めがけて飛んで行く。
巨大な体躯を誇るジ・アビスから発射された水弾もまた巨大。回避は難しい。仮に回避したとしても、そうすると日影の背後にいるエヴァと他の仲間たちに水弾が命中してしまうだろう。
よって日影は恐れることなく、燃え盛る『太陽の牙』で正面から真っ二つ。
「おるぁぁッ!!」
『太陽の牙』は『星の力』に強い。恐らくは『星の力』を利用して撃ち出されたのであろうこの巨大な水弾を難なく両断した。その両断した水弾の間を潜るようにしてジ・アビスへの接近を続行。
だがジ・アビスは凄まじく巨大で、こうも大きいと日影たちとの間合いがどれほどのものか距離感が狂ってしまう。周囲が真っ暗闇なのがまた拍車をかける。日影たちとジ・アビスとの間合いはそれなりに近そうに見えたが、日影が泳いでも泳いでもなかなかジ・アビスとの距離が縮まらない。
「ちッ……。距離が縮まらねぇんじゃ戦闘にすらならねぇ。もうさっそく”オーバーヒートを切っちまうか……?」
「日影! あまり私から離れないでください! これほどの水深となると、能力を維持するのにも負担が大きくなって、能力が及ぶ範囲がどうしても狭くなってしまいます! あまり私から離れると死にますよ!」
「マジかよクソ……。エヴァがオレについて来たら、アイツの周りのまだ眠ってる連中が危なくなるし、ジ・アビスの上昇不可能力のせいでオレはもうエヴァがいる位置に戻れねぇ。この中途半端な位置でずっと止まっとけっつうのかよ……」
これは困ったことになった。勇み足で飛び出したことが、逆に日影の首を絞める結果になってしまった。日影は今、ジ・アビスに攻撃を仕掛けることもできず、エヴァたちの側について護衛に徹することもできない、なんとも悪い位置から動けなくなってしまっている。
「せめて北園とか本堂とか、オレより遠距離戦ができるヤツが起きてくれりゃあなぁ……!」
日影が攻めることも退くこともできないでいるのを見てか、ジ・アビスが次なる攻撃を仕掛けてきた。両手を前に突き出し、『星の力』を集中し、巨大な渦巻を撃ち出してきたのだ。おまけにこの渦巻は”怨気”を纏っているのか、青黒く禍々しい。
この攻撃もまた非常に大規模で、回避するのは難しい。そして放っておけば日影の背後の仲間たちも巻き込まれてしまうだろう。おまけにこの攻撃は先ほどの水弾と違って『太陽の牙』でもどうしようもない。
「仕方ねぇ……! 再生の炎……”我が身を食らえ”ッ!!」
日影は炎を纏い、その炎を爆発させたかのように大きく広げた。それこそ、正面から迫る青黒い渦巻と同等くらいの規模に。
深海の暗闇の中、炎を纏った日影とジ・アビスの青黒い渦巻がぶつかり合う。日影は渦巻にまったく押されることなく、炎は接触面からどんどん渦巻を焼き尽くす。
やがてジ・アビスは渦巻を打ち切り、日影も”オーバーヒート”を停止。どうにか日影が渦巻を凌いだ。
「なんとか止めたが……今のだけでもけっこうなエネルギーを消費させられたぞ。クソ、他の連中はまだ起きねぇのか!」
思わず悪態をついてしまう日影。しかし実際、このままでは大変厳しいことを切に感じたからこその反応だ。彼一人で皆を守りながら、では限界がある。
はたして残りの四人はジ・アビスが見せる夢を振り切り、現実に戻ってくることはできるのだろうか。