第1207話 淡い夢
気が付けば、日向はマモノ対策室十字市支部のリビングにいた。
「あれ? ここは……」
周囲を見回す日向。
ここは間違いなく、マモノ対策室十字市支部のリビング。
今となっては懐かしい、明るい壁色の爽やかな空間だ。
「俺はたしか……そうだ、ジ・アビスに会って……」
日向は、ジ・アビスが発した音波によって急激な睡魔に襲われ、眠りに落ちてしまったことを思い出した。そして、ここは恐らくジ・アビスの能力によって生み出された夢の世界なのだということも察した。
……と、そこへ日向に声をかけてきた人物が一人。
「日向くん、どうしたの?」
「あ、北園さん」
日向に声をかけてきたのは北園だった。リビングのテーブルに座っている。見てみれば、そこには北園だけでなく他の仲間たちもいた。本堂にシャオランに日影、さらにはマモノ災害時は敵だったはずのエヴァまでいる。
「どうした日向。難しい表情をしていたようだが」
「それよりヒューガもこっちにおいでよ。皆で遊ぼうって話してたんだ」
「アイツ誘ってもなぁ。どうせゲーセンしか行きたくねぇって言うぞ」
「日影。『げーせん』とはなんですか?」
なにやら和やかな雰囲気である。この星が危機に見舞われているということなど忘れてしまいそうなほどに。
「み、皆! こんなことしてる場合じゃないだろ! 俺たちはこの星を守らないと……!」
日向は皆にそう声をかけたが、皆はいまいちピンと来ないのかキョトンとしている。その様子はまるで一般人のようで、誰一人として今まで死線をくぐり抜けてきた強者の雰囲気を感じさせない。
「どうしちゃったんだよ皆! ほんわかしてる北園さんやシャオランはともかく、本堂さんにエヴァに日影まで! 俺たちは狭山さんを倒すために『幻の大地』に行くんだろ!」
「おや、自分に何か用かい?」
日向が狭山の名前を出した瞬間、日向の背後から声がかけられた。もちろんその声の主は、日向が名前を出した狭山誠であった。
「さ、狭山さん……」
日向の表情に緊張が満ちる。
最大最強の敵が目の前にいる。いったい何を仕掛けてくるのか。
しかし狭山は特に日向に攻撃を仕掛けたりはせず、代わりに引き続き優しく声をかけてきた。
「もう君も察しはついているだろう? ここは君の夢の世界だ。その内容は、戦いの日々の中、君がずっと夢見ていた光景だということも」
「俺が夢見ていた光景……?」
「君の夢は、マモノ災害も、”最後の災害”も、君や日影くんを縛り付ける『戦いの運命』も何も関係なく、ただ皆で平和に楽しく日々を過ごす。違うかい?」
「…………。」
日向は何も言えなかった。
一字一句違わず、合っていたからだ。
偶然で『太陽の牙』を拾い、ここに至るまでの戦いの運命に巻き込まれてしまった日向。その日々の中で、いくつもの不条理に直面した。自分の存在を脅かす日影の存在、マモノ災害を終わらせるには殺すしかないエヴァ・アンダーソンという少女、そして復讐のために日向たちを……ひいてはこの星を裏切ったアーリアの民の王子ゼス・ターゼットこと狭山誠。
それぞれのしがらみなど全て無視して、皆で平和に生きていければ。
何度もそう思った。辛く、苦しく、悲しい戦いの運命などクソくらえだと常々思っていた。皆それぞれ悪い人間ではないのだから、できないことはないはずだろう、と。
狭山が再び声をかけてくる。
「ここはイフの世界だ。君と日影くんの『戦いの運命』も無く、エヴァちゃんも『マモノ災害』を起こさず、そして自分も君たちを裏切らなかった世界。君が望んだもの全てがここにはある」
「俺が望んだもの、全てが……」
「君にはまだ選択の余地は残っている。この夢の世界を振り切って現実に戻るという選択肢がね。けれど君はそれでいいのかい? 現実に戻ったとしても、そこに待つのは滅びかけた星と、全てを超越した敵である自分と、君にとって代わるチャンスを虎視眈々と狙う日影くんだ」
「それは……」
「仮に君が自分を倒し、日影くんも倒し、未来を掴んだとしよう。しかし君もジ・アビスから聞かされただろう? 君が未来を掴めたとしても、その未来に希望は無いんだ。けれどこの夢の世界を受け入れれば、君は文字通り夢見心地でこの戦いを終えることができる」
「…………。」
「さぁ日向くん、君はどうする? この淡く儚くも暖かい光の世界を受け入れるか、それとも先の見えない闇の現実へと戻るか。君に与えられた最初で最後の、救いのチャンスだ」
狭山の問いかけに対して、日向は黙ったまま考え込む。
しばらくすると、口を開いて返答した。
「俺は……」
◆ ◆ ◆
一方、こちらは北園の様子。
北園は日向の夢にも登場していたが、あれは本物の北園ではない。日向が見ていた夢だ。本物の北園は、日向とはまた別の夢を見せられているようだ。
「ここは……私の家?」
北園が周囲を見回すと、そこは自宅だった。エヴァの側近だったヘヴンとの戦いで爆破してしまい、今はもう跡形もなくなってしまった自分の家。
「けれど、私が住んでいた時より、どこか明るい雰囲気のような。それにこの雰囲気、なんだか懐かしい……」
家の中を歩いてみる北園。
リビングに入ると、彼女に声をかけてきた人物が二人。
「あら良乃! おかえりなさい!」
「お、良乃じゃないか。どこ行ってたんだ」
「あ……お父さん……お母さん……」
そこにいたのは、北園の父親と母親。
交通事故ですでに亡くなっている、彼女の両親だった。
死んだはずの両親と再び会えた。そのことにパニックになって固まってしまう北園だったが、恐る恐る両親に話しかける。
「お父さん……お母さん……ごめんなさい……。私があの時、予知夢を無視して温泉旅行に行きたいなんて言っちゃったから、二人とも……」
「仕方ないさ良乃。きっとお父さんたちはそういう運命だったんだ」
「でもこれからは、また家族三人で過ごせるわ。さぁ良乃、こっちにおいで。今のあなたの友達のこととか、生活のこととか、色々聞きたいわ」
「うん……うん……!」
北園は涙ぐみながら両親のもとへ。
失っていた過去をようやく取り戻せた。そういう表情だった。
きっと彼女は、これが夢であるということさえ認識していない。
それくらい幸せそうな様子であった。