第1204話 あなたに未来を生きる資格は無い
日影もジ・アビスからの声を聞かされていた。
彼や日向の”再生の炎”は、アーリアの民たちが振り撒く”怨気”を焼却し、その効果を打ち消すことができる。それでも幻聴が聞こえるということは、これは”怨気”によるものではなくジ・アビスの超能力による直接的な語り掛けなのだろう。
(日影……星殺しの剣から発生した、哀しき定めの少年よ。最後には消滅する運命でありながら、なぜ戦い続けるのですか? 嫌になりませんか? 虚しくありませんか?)
「消滅する運命とか勝手に決めるんじゃねぇ。日向を殺して存在を奪えば、全てが終わってもオレは生きていけるんだ」
(日下部日向を殺せば、ですか。本当にあなたにそんなことができますか?)
「なめてんのか? オレがアイツに負けるとでも?」
(そうではありません。あなたは強い。まともにぶつかり合えば、勝つのはまず間違いなくあなたでしょう。ですが……あなたは彼と戦えるのですか?)
「大事な仲間を殺せるのかってことか? あいにくだが、オレは何度もアイツを斬ろうとした。今さら何もためらわねぇよ。そもそも、同じ敵を倒すための仲間ではあるが、大事でもなんでもねぇ」
(いいえ……いいえ……。あなたが彼をこれ以上なく敵視していることは存じ上げております。問題は、あなたが日下部日向を打ち倒した時、彼の周りの人間はどう思うかです)
その言葉を聞いた時、日影が固まった。
痛いところを突かれたような様子であった。
日影も考えたことはあった。実際に自分が日向に勝利し、彼から存在を奪った時、その後に待つ未来はどんなものか。
まず北園が悲しむだろう。次に日向の両親も悲しむ。そして日向の友人たちも悲しむ。日向の親族たちも悲しむだろう。葬式が行われたら多くの人間が参列するに違いない。
それに対して自分はどうだろうか。日影はまっとうな生まれの人間ではないので、彼の存在自体を知っている者が少ない。つまり日向と比べて、自分の死を悲しんでくれる人間が少ないということだ。葬式を行なう必要もないだろう。
そもそも日向からしたら大変迷惑な話だ。偶然にも空から剣が降ってくるのを目撃し、その降ってきた剣を拾ってみたら、自身の影が分離したと同時に殺しにかかってくるのだから。
初めから普通の人間としてこの世に生まれ落ちた日向と、途中から突如として発生した異常な存在である日影。実際のところ、どちらに生きる権利が正しく存在するかと言われたら、間違いなく日向だろう。日影がやろうとしていることは、日向の人生を横取りすることと同義だ。
少し考えれば明らかなのだ。
日影が消えてくれた方が、全て丸く収まる。
本堂やシャオランは、日向と日影のどちらが生きるべきかについては特に明言せず、中立を保っている様子だ。しかし彼らも心の中では思っているかもしれない。生きるべきは日影ではなく日向だと。
(あなたは本当は優しい人です。日下部日向が死んで、周囲の人間が傷ついてしまうこと、それを恐れている)
「ちッ、知った口を利いてんじゃねぇ」
(あなたが夢見る未来は、日下部日向との因縁にも、マモノや我々アーリアの民との戦いの運命にも、何にも縛られることなく自由に生きること。違いますか?)
「黙れ、それ以上喋んな」
(仮にあなたが日下部日向から存在を奪ったとしても、そのような自由な生き方はきっとできないでしょう。日下部日向を殺し、大勢の人間を悲しませ、自分はのうのうと生きているという罪悪感に一生苛まれることになる)
「……だったらなんだ」
ひときわ強く、ハッキリとした声で、日影はそう返答した。
日影は続けて発言する。
「テメェの意図はだいたい分かる。この幻聴でオレの心を抉って、闇に染め上げて、洗脳するなり廃人にするなりしてやろうって寸法だろ。だがな、あいにくオレはもともと闇なんだよ。生まれた時から日向を殺すことしか考えてねぇクソ野郎だ。だからその程度の言葉攻め、今さら何とも思わねぇよ」
無駄話は他所でやれ。
そう言い捨てて、日影はジ・アビスの幻聴を振り切ろうとした。
……しかし、ここでジ・アビスが再び日影に声をかけてくる。これまでよりも優しい口調で。
(いいえ……私はあなたを救いたいのです。日下部日向を殺さず、彼の周囲の人間を悲しませず、そしてあなたは自由を手に入れる……そんな手段を、私は用意しています)
「はッ、ウソくせぇ。そんなうまい話があるワケねぇだろ。それをエサにしてオレを始末しようって魂胆なんだろどうせ」
(確かに……美味しいだけの話ではないかもしれません。ですが、興味はあるのではないですか? いまだ何の手掛かりもつかめていない、あなたも日下部日向も助かる方法。私が用意したこの手段が、あなたたちにとっての希望につながるかもしれませんよ)
「丸見えの罠に引っかかってやるほどオレはお人好しじゃねぇんだよ」
(この方法は、我らの王子であるゼス・ターゼット様が考案した……と言えば、どうですか?)
その言葉を聞いて、日影の表情が変わった。
ゼス・ターゼット……つまりは狭山誠のことだ。彼は隠し事などをすることはあっても、基本的に嘘はつかない。そんな彼が考案した方法だというのなら、あるいは本当に、彼は日向と日影、二人とも生き残る方法を見つけたのかもしれない。なにより彼は『太陽の牙』の製作者だ。
しばし黙り込んでいた日影だったが、やがて口を開いた。
「どのみち、テメェをぶちのめすために、オレたちはこのまま最深部まで潜らなきゃならねぇ。待ってやがれ、その嘘っぱちの希望とやらと一緒に、テメェを叩き潰してやる」
(ならば私も、この海の最も深い場所であなたを待ちましょう。その時に改めて、私はあなたに『希望』を提示します……)
「勝手にしな」
そのやり取りを最後に、ジ・アビスのものと思われる女性の声は聞こえなくなった。だがしかし、今度は多くの不特定多数の声が聞こえてくる。どれもこれも、日向を殺そうとする日影を責め立てる声である。中には北園や日向の母親など、日影も知っている人物の声も聞こえる。
(お前が消えれば、全て丸く収まるのに)
(生き汚いぞ。大人しく運命を受け入れろ)
(お願い日影くん! 日向くんを殺さないで……!)
(息子を……私の息子を傷つけないで!)
「ちッ、うざってぇ……。陰湿なんだよやり方が」
頭の中でガンガンと響く雑音にも負けず、日影は己を保っている。彼はジ・アビスの幻聴に耐えることができたようだ。
……と思われたが。
「『希望』……か。虎穴に入らずんば虎子を得ずっつうし、聞くだけ聞いてみる価値くらいはあるか?」
ジ・アビスの話は、少なからず日影の興味を引いてしまっていたようだ。はたして、これが吉と出るか凶と出るか。