第1201話 あなたは誰からも愛されない
日向がジ・アビスの幻聴を受けている時、他の仲間たちも同様に幻聴を受けていた。
皆、もう周りの仲間たちのことなど忘れてしまうくらいに、ジ・アビスの幻聴と幻覚が作り出す世界に引きずり込まれてしまっていた。
こちらは北園の様子。
(北園良乃……あなたは誰からも愛されることはない……)
「そ、そんなことないもん! 日向くんがいるもん! それに本堂さんやシャオランくん、日影くんにエヴァちゃん、他にもいろんな人が……!」
(彼らは本当に、あなたを愛してくれていると思っていますか? 胸を張ってそう言い切れますか?)
(あなたが今まで過去を隠し、能力を隠して生きてきたように、彼らにも隠し事はある。彼らもまた心の中では、不吉な予知夢を見るあなたを、そして超能力によって人間にあるまじき火力を生み出せるあなたを、恐れているかもしれない)
(予知夢や超能力に限った話ではありません。あなたという人間を、彼らは本当は嫌っているかもしれない。そのいかにも可愛らしい性格を、本当はうざったいと感じているかもしれない)
「そ、そんなこと……。だって、けっきょくそれって全部『かもしれない』って話でしょ! みんなに限ってそんなこと、ありえないよ! いい加減なことを言わないで!」
いつになく強い口調で言い返した北園。
だがジ・アビスの幻聴は、変わらず淡々と語りかけてくる。
(しかし……あなたもまた『自分の予知夢に従わなければ、もっと悪いことが起こるかもしれない』で生きてきた人間ではありませんか)
「あ……う……」
先ほどの勢いはどこへやら、北園は完全に黙り込んでしまった。心臓をグサリと射抜かれたような感覚だった。
(あなたは自分が見た予知夢を現実にするため、伯父の家に火をつけた。その結果、家は全焼し、伯父も大火傷を負った。これが、あなたの『かもしれない』で起こした行動の結果ですよ)
「で、でも、伯父さんは私にひどいことしてたし……」
(やられたから、やり返した。あなたはそれが正しいと言うのですね)
「そ、そんなこと……違うもん……私はそんなこと……」
(思っていなかった、と胸を張って言えますか?)
(本当は心のどこかで清々していたのではないですか? 自分を虐げる憎い伯父を痛い目に遭わせることができて)
(あなたの優しい性格は、結局のところまやかしに過ぎない。それはあなた自身が一番よく分かっているでしょう? その今の性格は他人に好かれるために作り上げたものだと)
(あなたは誰も信用してこなかった。あなたという人物を知られたら、また虐げられ、拒絶されると思ったから)
(隠し事ばかりの北園良乃。そんなあなたを、皆は本当に愛してくれていると思っていますか? 皆もまた本心を隠している、と少しも思ったことはないのですか?)
「やめて……もうやめて……ぐす……」
北園は、とうとう涙が溢れて出てきてしまった。この冷たい深海の中でも涙が溢れて出てくるのを彼女の目元の肌が感じ取った。
悔しかった。何も言い返せないのが。
悲しかった。言われたことに納得してしまう自分が。
気が付けば、泣いてしまっていた。
「日向くん……どこ……? 日向くん……」
北園は周囲を見回し、日向の姿を探す。彼が自分を本当に愛してくれているのか確かめたくなった。悔しくて、悲しくて、寂しくて、不安で、無性に日向に抱き着きたくなった。
しかし周囲を見回しても、今の北園の視界に映るのはジ・アビスが見せているのであろう幻覚のみ。予知夢を現実にするために、自分が伯父の家に火をつけた光景や、アフリカでアラム少年を見捨てようとした光景など、彼女のトラウマを掘り起こす光景ばかりをまじまじと見せつけられる。
そして北園がどれだけ日向の名前を呼んでも、日向もまたジ・アビスの幻聴に耳を傾けてしまっており、北園の声が聞こえない。
周りに仲間がいない。
呼びかけても、誰も返事をしてくれない。
自分に「好きだ」と言ってくれた日向さえも。
今、北園は、またひとりぼっちになっていた。
「あ……ああ……」
北園の心が押し潰される。孤独感と、掘り起こされた罪悪感、そして誰も信用せず、しかし皆には信頼されたいと願う自分自身への嫌悪感によって。
そんな時。
ジ・アビスが、これまでにない優しい口調で北園に声をかけてきた。ちょうど、日向にもそうしたように。
(かわいそうな北園良乃……。ですが、今のあなたを救うことができる方法が一つだけあります)
「私を救う、方法……?」
(北園良乃。過去を取り戻したくはないですか? このような生き方を止めたくはありませんか?)
いかにもな甘言。
しかし、北園はゆっくりとうなずいてしまった。
「取り戻……したい……。子供の頃みたいに、もう誰の目も怖がらずに済むような生き方を……ただ家族や友達みんなと一緒に楽しく過ごして、心から笑い合えるだけの人生を、取り戻したい……」
(それを実現できる方法を、私は用意しています。さぁ、この海の最も深い場所まで来てください。私はそこで、あなたを待っています……)
「うん……待ってて……。私、行く……絶対に行くから……」
茫然自失とした、光を宿さない瞳になりながら、北園はそう返答した。