第1191話 子クジラのラティカ
エヴァと同じく「他の生命体を深海に適応させる能力」を持つというマモノに会いに来た日向たち。
そのマモノというのが、巨大なクジラのマモノのネプチューンの娘である子クジラのマモノであった。母親と同じく黒っぽい背中と白いお腹のカラーリングが特徴的である。
「日向くん! あの子ってやっぱり!」
「ああ、間違いない。前に俺たちが助けたネプチューンの娘さんだ。あの時よりずっと大きくなってる。クジラって一年ちょっとでこんなに大きくなるんだな」
「クジラの生態は多くが未だ謎に包まれている。このネプチューンの娘がマモノだからこその成長速度という可能性もあるかもしれん」
「そうだとしてもすごい成長だよ。いいなぁその成長率ボクにも分けてくれないかなぁ」
「そうしたらシャオランがクジラサイズにデカくなったりしてな」
「そ、それはそれでイヤかも……」
成長したネプチューンの娘を見て、以前の彼女を知っている日向たち五人はそれぞれの感想を述べる。
「なぁネプチューン。この娘さんに名前とかはあるのか?」
日向にそう尋ねられたネプチューンは、ゆっくりとうなずいた。
『はい。この子の名前は、ラティカといいます。親である私の名前にちなんでトリトンと名付けようかとも思いましたが、トリトンは男神なので娘の名前には不相応かと思いまして』
「ラティカか。うん、良い名前だと思うよ。それと……その節は女性であるお前にネプチューンとかいう男神の名前を付けてしまってすみませんでした……」
『ふふ、今の私の言葉を聞いていたたまれなくなりましたか? 大丈夫ですよ。私自身、この名前は格好良いので気に入っています』
「それを聞いてひとまず安心したよ」
冗談めいたやり取りが交わされて、日向たちの間に和やかな空気が生まれる。一度は敵対したこともあるネプチューンだが、すっかり打ち解けることができたようだ。
しかし、そんな和やかな空気の中、ネプチューンの娘のラティカは一貫して消沈した雰囲気を漂わせていた。日向たち人間が見ても分かるくらいに、彼女の表情は暗い。
「なぁネプチューン。こう言うのは非常に悪いんだけどさ、お前の娘さん、なんか暗くない? 何かあった?」
『これは、あなたたちが言うところの”怨気”とやらの影響だと思います。娘は”怨気”の影響を強く受けていて、ひどく無気力な精神状態になってしまっているのです』
「そうか、”怨気”の……」
日向は、以前にシャオランが”怨気”にやられて心が折れてしまっていたことを思い出した。紆余曲折あってシャオランは立ち直ってくれたものの、その道のりは長かった。
ラティカもまたシャオランのように心が折れてしまっているのなら、ジ・アビス討伐に協力してくれるかも怪しい。せっかく追加戦力を求めてここまでやって来たのが無駄骨になってしまう。
そんな日向たちの心配を察したのだろう。ネプチューンは話を続ける。
『ご心配には及びません。私が娘を説得します』
「それは助かるけど……大丈夫なのか娘さんは?」
『大丈夫ではないかもしれません。しかし、それでも立ち上がってもらわなければ。私たちは今この時のような、ジ・アビスを倒す最大のチャンスをずっと待ち続けてきたのですから』
そう言ってネプチューンは、娘のラティカと話を始める。
『ラティカ。話は聞いたわね? 彼らと共にこの海の最深部に向かい、ジ・アビスを打ち倒すわ。きっとあなたの力も必要になる。その力を貸してちょうだい?』
『お母さん……。でも……』
『でも、じゃないわ。やるしかないの。あなたも強大な敵に立ち向かうのは怖いでしょうけれど、ここで戦わなければどのみち私たちは奴らに滅ぼされてしまう。戦うしかないのよ』
『わ、私は……』
『ねぇラティカ。私たちのために犠牲になった他の魚たちやマモノたちの遺志も無視して、ここに留まるつもり?』
『そ、それは……。わかったよ……一緒に行く……』
どうにかネプチューンは娘の説得に成功してくれた。しかし今もなお暗い様子のラティカを見て、日向たちはまだ一抹の不安が拭えない。
「本当に大丈夫なのか娘さん? 行くのすごく嫌そうだけど」
『嫌がってますね、ですが先ほども言いましたが、行くしかないのです。それに私たち親子の命も、もはや私たちだけのものではないのですから』
「さっき娘さんとの話の中でチラッと出た、あなたたちのために犠牲になった他の魚やマモノたちって話のこと?」
『はい、その通りです……』
そう返事をしたネプチューンの表情も、一瞬だけだが娘と同じく暗くなった。たしかに仲間たちが犠牲になった話のことなど、思い出しても苦しいだけだろう。それを察して、日向はこの話を止めた。ネプチューンもこれ以上は何も言わなかった。
ともあれ、これでどうにか追加戦力であるラティカを確保することができた。さらにネプチューンも日向たちについて来てくれるらしい。
『道中は私が皆さんを運びましょう。娘とエヴァちゃんの能力があれば、私でも深海八千メートルまで潜水できるはずです。そして私は、あなたたちよりずっと速く泳ぐことができる自信があります』
「でも、お前がこっちに来てくれるなら、アイランドはどうするんだ? お前の能力で酸素を供給してもらっているんだろ? お前が離れたら能力も届かなくなって溺れちゃうんじゃ?」
『彼女は見た目だけでなく肺活量も巨大ですので、しばらく私が離れるぶんには大丈夫なはずです。もっとも、仮に私がここに戻ることがなかったら、彼女も大変ですが……』
「た、頼むから無茶はするなよ、アイランドのためにも」
ネプチューンにそう念を押しておく日向。
そこへ、エヴァが日向に声をかけてきた。
「ともあれ、ネプチューンが来てくれることで、当初の予定だった『ジ・アビスのもとまで運んでくれる魚類を見つけること』も達成できましたね」
その言葉に日向もうなずく。
ここまで回り道をした甲斐があったというものだ。
こうして日向たち六人と一匹は、さらにネプチューンとラティカを加えて六人と一匹と二頭のパーティとなった。表記が長い。
その一方で、この場所に日向たちを連れてきてくれたチョウチンアンコウのマモノのファグリッテは、何か考えがあるらしい。
『アタシはちょいとジ・アビス討伐隊の時の仲間だった連中を探して声をかけてみるよ。探しながらアンタたちについて行く。どれだけ生き残りがいるかは分からないけど、いないよりはマシだろうさね』
戦力が増えるのは日向たちにとっても有難い提案だ。
しかしここで、意外にもネプチューンが反対意見を出す。
『仲間はもうあまり残っていません。探すだけ無駄だと思います』
『断言したね。死んだ仲間たちの遺体をたくさん見つけたのかい?』
『そうではないのですけれど……』
『どのみち、アタシがついて行っても大した戦力にはならないよ。それなら多少遅れてでも、一を十に、十を百にしてから参戦した方が戦力アップにつながるってモンじゃないかい?』
『……分かりました。それなら私もこれ以上は言いません。好きにしてください』
『まったく。なんだか棘のある言い方だねぇ。ストレスでも溜まってるのかい?』
最後は何やら不穏な空気が流れてしまったが、ひとまずこれで話はまとまった。ここからはいよいよ、ジ・アビス本体をめざして直行することになるだろう。