第1186話 海の底の光
一切の光が届かぬ深海へとやって来た日向たち。通常、七十メートルも潜れば、太陽から届く光は地上のおよそ0.1%程度だというが、今の日向たちはどれほど潜ったのだろうか。
「もうあまりにも暗すぎて笑えてくるな。すぐそこにいるはずの皆の姿すらロクに見えない」
日向たちはそれぞれで、この暗さへの対策を施す。
日向と日影は『太陽の牙』に炎を灯し、たいまつ代わりに使う。この剣が宿す炎は特別なので、この海水の中だろうとお構いなしに燃える。
北園とシャオランはそれぞれ、地上の専門店から調達してきた水中用ライトを使う。シャオランはこのほかにも練気法を使った気配の感知で敵の位置を探ることができるが、それができない北園はこの暗闇からの奇襲が心配される。
本堂は『星の力』の肉体改造能力によって、自身の目を夜行用に性質変化させたようだ。暗視ゴーグルのように、この周囲にほんのわずかな光でもあれば、その光によって暗闇を昼間のように明るい視界で見通すことができる。今の彼は日向たちが発する光を用いて暗闇を視ているようだ。
エヴァは『星の力』を使って、炎と雷を混ぜ合わせた光球を作り出した。エヴァのすぐ側で待機するように浮遊しており、使い魔のように彼女の周囲を照らす。
唯一、ポメだけは自前の明かりを持っていない。彼の鼻もまたこの海の中では利かない。エヴァの能力によって鼻から水が入っても苦しくはならないが、海水の香りが強すぎて他のニオイをほとんど感じない。明かりも無し、鼻も利かないではポメ自身も不安が大きいだろう。
「ウウウ……ワオーン!」
ポメが一声鳴いた。すると彼の体毛に電気が奔り、全身が発光し始めた。身体ではなく毛が光っているようである。
そして暗い部屋を照らす電球のごとく、日向たちの周囲も明るくした。日向たち六人と一匹の中でもっとも可視領域が広い灯りだった。
「え、すごいな。ポメそんな能力持ってたのか」
「ワン!」
「『暗いの怖いけれど頑張らなきゃ! という勇気が能力を成長させた』と言っています」
「なんというか……その流れでさ、明かり無しでも暗闇に立ち向かうんじゃなくて、問答無用で暗闇を能力で粉砕する方向に覚醒するのって、斜め上の展開じゃない?」
「私にはよく分かりません」
やり取りを交わしつつ、日向たちは引き続き暗い海を潜り続ける。すでに日向たちを取り巻く水圧もかなりのものになっているだろうが、この水圧の問題もエヴァの能力によって大きく緩和できている。
「ですが……やはり深海となると、能力のコントロールにも細心の注意が必要になってきますね……。油断すると一気にコントロールが狂い、皆そろって海水に押し潰されるかもしれません」
「お、お願いだからそれは勘弁してね!? ボクたち一瞬で全滅だよ!?」
「分かっています。ですが、能力のコントロールに集中するため、ここから先は私は極力戦わないようにしたいです。すみませんが、レッドラムの迎撃などは皆さんを中心にお願いします」
エヴァのその要請に、日向たちはうなずいて応じた。彼女の能力があるからこそ、日向たちはこうして生身で深海までやって来るという無茶な芸当ができた。今のエヴァはまさに、日向たち全員にとっての命綱。その命綱を守ることに誰も反対などするはずがない。
やがて日向たちは、いったん海中の砂地へと着地した。ここはまだジ・アビス本体が潜んでいる場所ではない。しばらく前方に進めば足場の終わりである断崖絶壁に行きつき、また下へと降りることになるだろう。
暗い深海を歩いていると、どこからともなく雪のような白い粒が降ってくる。海底にいるというのに天候が雪模様になったかのようだ。これはプランクトンの死骸であるマリンスノーと呼ばれるものである。
……と、その時だった。
北園がなにやら声を上げる。
「あ、ねぇ見て。何かあるよ」
そう言って、右にある大岩の方を指さす北園。
見てみれば、たしかに光を放つ謎のたまご状の物体が海中にて浮遊している。大きさは北園の身長と同程度。生き物のようには見えない。このような物体が深海の中にあるなど異様な光景であるが、その光はどことなく美しく、本能的に惹かれるものがあるようだった。
「なんだか綺麗だね。これ何かな?」
そう言って光る物体に近づこうとする北園。
しかし、その北園を日向が止めた。
「ちょい待ち北園さん」
「え、なに?」
「なーんか嫌な予感がするんだよね。深海の中で、俺たちを引き付けるようにこれ見よがしに光る何か。まるで餌をおびき寄せるような」
「餌をおびき寄せるって……あ、もしかして?」
北園がそうつぶやいた瞬間、この光る物体の後ろにそびえ立っていた大岩が突如として動き出す。そして大きな口を目いっぱいに開き、目の前にいる日向と北園の二人を丸かじりする勢いで襲い掛かってきたのだ。大岩と思っていたのは生命体だったようだ。
日向と北園はすでに警戒態勢に切り替えており、大岩が動くより早く後方へと泳いだ。そのため、大岩の噛みつきを回避できた。
あらためて、大岩だと思っていた生命体を観察する日向たち。
まず、その身体は全体的に丸みがあり、ゴツゴツとしており、いぼ状の突起に覆われているような、まさに岩そのものな見た目だ。正体を現した今でも、何の変哲もない自然物の大岩に見えてしまう。
先ほどの光るたまご状の物体は、この生命体の頭から、釣り竿でぶら下げるように生えている。先述の丸みを帯びたシルエットに、この提灯のような器官。ここまで全体像が分かれば、この生命体がチョウチンアンコウをモチーフにしていることは明白である。
だがしかし、分からない点が一つだけあった。
この生命体の体表の色はこげ茶色だ。チョウチンアンコウのイメージ通りの色と言っていいだろう。しかし、だからこそ分からない。
体色が普通であるということは、この生物はレッドラムではない。レッドラムのほとんどはぬめりのある赤い体色をしている。まさに鮮血が生命体の形になったような見た目である。
レッドラムではないが、普通のチョウチンアンコウと比べると、サイズが桁違いだ。下手すると平屋住宅くらいなら丸ごとかぶりつくことができるのではないかと思うほどの大きさだ。
つまり恐らく、このチョウチンアンコウはマモノなのだ。
現在この星はアーリアの民たちから攻撃を受けており、人間も自然も一体となって立ち向かわなければならない状況だ。それなのになぜ、このマモノは日向たちを攻撃し、食らおうとしたのだろうか。