第1184話 日影深海ジェット便
ジ・アビス本体が潜む深海へと向かうため、協力してくれる魚を探す日向たち。深海まで直接行かずとも、その真上の地点まで連れて行ってくれれば、そこから降下することで日向たちは深海まで到達できる。
そんな具合で条件を緩和してみたものの、やはり魚たちは非協力的だ。交渉役のエヴァが声をかけるとすぐに逃げ出してしまう。
ただ、逃げる直前の彼らの言葉を聞くと、少なくともエヴァを除け者にしたいがためにこんな態度を取っているというわけではないようだ。
「彼らは私から逃げる直前に、ほとんどが『いやだ』、『今の海怖い』、『助けて』といった言葉を発しています。皆、ジ・アビスの気配に怯えているかのようです」
「だから、むしろジ・アビスに近づこうとしている俺たちに対して非協力的なのか。けれど、あれだな。ちょっと俺たちをジ・アビスの真上あたりに連れて行ってくれたらそれでいいのに、それすらも嫌なのか。この星の危機なんだから、もう少し協力的になってくれてもいいだろうに。魚って皆こうなのか?」
「あるいは、この海に溶け込んでいる”怨気”が魚たちに影響を与えているのかもしれません」
「ああそうか、生物の心に問答無用でマイナスの感情を植え付ける”怨気”に、ここの魚たちはずっと侵されてきたから……」
「言っておくけど、ボクの”空の練気法”やエヴァの『星の力』で”怨気”をどうにかするのはたぶんムリだよ。ボクたちの能力は”怨気”を予防はできても治療はできないみたいだし」
これは困った話だ。そうなると日向たちはこのままずっと、協力してくれる魚を見つけることができないかもしれない。ジ・アビスの”怨気”はこの大西洋全域を汚染しているのだから、この海全ての魚たちがジ・アビスに対して恐怖しているかもしれない。
もうそろそろ、魚たちの力を借りる以外の方法を考えるべきだろう。幸いにも日向たちは、魚に頼らない方法も事前に考えてきてはいる。
まずはここから少し移動し、海底の下り道を下らずにまっすぐ泳ぐ。そして海底から少し浮いた場所で北園が球体状のバリアーを展開。仲間たち全員を包み込む。
「球状展開!」
北園のバリアーが展開される前に、日影だけがバリアーの外へ。そして日影は地上の街であらかじめ調達しておいた耐火ワイヤーを取り出し、北園のバリアーを外からワイヤーでぐるぐる巻きにする。
その後、日影は先ほどバリアーに巻き付けたワイヤーを自分の胴体と結んだ。
「さぁ、日影深海ジェット便、発進!」
「マジふざけたこと考えやがってあの野郎」
声高らかに叫んだ日向に対して悪態をつく日影。北園のバリアーを船として利用し、日影の”オーバーヒート”で引っ張ってもらおうという作戦である。
一見するとかなり出鱈目な方法だ。北園のバリアーは日影の推進力に耐えられるのか、ワイヤーは日影の炎に溶解されないのか、懸念点は多そうに見える。
しかしこれでも、地上での実証実験は完了済みだ。日影がうまく速度と火力を調整してくれれば、北園のバリアーは日影の推進力にかなり耐えられるし、ワイヤーも耐火性能が高いものを使うことで燃やされずに済むことが証明されている。
ただ、この方法は日影の”再生の炎”と北園の体力をかなり消耗する。この方法でジ・アビスにどれだけ近づくことができて、ジ・アビス本体との戦いの前にどれだけ消耗分のエネルギーを回復させることができるかは不明だが、二人が万全の状態でジ・アビスに挑むというのは難しい話になってくるだろう。
だからこそ、二人の体力も温存できる「協力してくれる魚を探す」という方法を諦めたくなかった。だが、肝心のその方法がこれ以上成功を望めないのであれば仕方ない。切り替えはなるべく早いほうが良い。
バリアーの中で北園が日影に頭を下げる。
「ごめんね日影くん。大変な役目だけど、日影くんの力が必要なの」
「まぁ……他に方法もねぇしな……」
しぶしぶながらも、日影も己の役割を受け入れた。
彼は北園に弱い。
「んじゃ、行くぜ。再生の炎……”我が身を食らえ”ッ!!」
掛け声とともに日影が発進。
日影に引っ張られて北園のバリアーも海の中をまっすぐ進む。
バリアーの中から外を見てみると、深い青に染まっている海中の光景が高速で流れていく。まるで海の中を走る電車に乗っているかのようである。あるいは、海を泳ぐ魚はいつもこのような光景を見ているのだろうか。
日影の”再生の炎”のエネルギー、あるいは北園の体力のどちらかが限界ギリギリになるまでこのまま進む。ジ・アビス本体が潜む地点の真上まで到達できれば、あとは水に沈むのに任せて降下することで二人のエネルギーの節約になる。
バリアーの外の景色を眺めながら、エヴァが口を開いた。
「こうして見てみると、海の中の景色というのも綺麗なものですね」
「その言い方、もしかして海嫌いを克服できた?」
日向がそう尋ねたが、エヴァは首を縦には振らず、しかし横にも振らず、返答に困ったように傾けた。
「正直なところ、まだ少し恐怖の感情は残っていると思います。特に下を見ると今にも吸い込まれそうな暗闇が広がっていて、胸の動悸がいっそう強くなるのを感じます」
「そうか。やっぱりトラウマっていうのはなかなか消えてくれないもんだな」
「ただ、あなたたちと出会う前よりは、間違いなく海のことが好きになったと思います」
「そっか。それは良かった」
「そういえば……海という言葉で思い出しました。良乃から聞きましたが、日向、あなたは私の本当の父親と会ったことがあるとか」
「ああ、会ったよ。オーストラリアで。名前はたしか……そうそう、グレイ・アンダーソンさんだったっけ。お前のことをすごく大切に想ってた」
「そうですか」
「実際のところ、お前は本当の親のことをどう思ってる? 『幻の大地』でお前と話した時は、お前は本当の親よりゼムリアやヘヴンのことを大事にしていたみたいだけど……」
「悪いのですが、やはり私にとって最も大事な親はゼムリアやヘヴンだと思うのです。本当の親と、ゼムリアとヘヴンのことを思うと、やはりゼムリアとヘヴンの方が大切に感じます」
でも、と言ってエヴァは話を続ける。
「でも、私の本当の父と母の二人からも大切にしてもらった記憶は、うっすらとですが確かに有ります。どっちが大切か、という話ではなく、どちらも私にとって大切な親です」
「うん、そう言ってくれて良かった」
「できればもう一度会って話をしたいですが……この星がこんな状態では、難しいかもしれませんね……」
「そうかもな……。オーストラリアが『星殺し』に襲われていなければワンチャンあるかもだけど……」
「ワン?」
「いや『ワンチャン』ってポメのことじゃないから」
ポメにツッコむ日向を見て、エヴァの口元が少し緩んだ。話題が暗い方向に向かい始めたことで同じく暗くなってきていた二人の間の空気が、少し明るさを取り戻したようであった。