第1175話 大西洋突入戦
ジ・アビス本体を討伐するため、前方に見える大西洋へ飛び込みに向かう日向たち。六匹の犬たちもお供についてくる。
そうはさせまいと立ちはだかるは、海岸線に壁を築くかのように立ち並ぶ巨大な水の腕の群れ。その圧倒的な見た目通り、一本だけでも凄まじいパワーを発揮できる。これでも大西洋の規模を考えると、ジ・アビスのほんの一部だというのだから恐ろしい話だ。
先ほどはエヴァの落雷によって一本の水の腕を撃破したが、すぐにまた新しい水の腕が海面から生えてきた。この海はまさにジ・アビスの独壇場。何もかもが向こうにとって有利に働く。
だがここを突破しなければ、海の中に潜むジ・アビス本体に到達することすらできない。日向たちは怯まず、目の前の海に向かって突撃する。
日向たちの前方の水の腕が、一斉にその腕を振りかぶる。
そして平野に叩きつけ、全てを洗い流すかのような大波を発生させた。
まだ水の腕から日向たちのもとまで八百メートル以上の距離があるというのに、大波はまったく勢いを落とすことなく日向たちのもとへと到達する。この大波に呑まれても死にはしないかもしれないが、後ろへ大きく押し戻されることになるだろう。せっかく順調に前進できているというのに、それはもったいない。
「足場を確保します! ”カーリーの舞踏”!!」
エヴァが詠唱し、杖の先端で地面を殴りつける。
すると、日向たちの前方の大地が隆起。
盛り上がった大地は、日向たちから見て上り坂のようになった。坂の終わりは低めの崖となっており、それが壁となってジ・アビスの大波を押し留める。
これでまた少し距離を詰めることができる。
日向たちは坂道を駆け上がり、ジャンプして飛び降りる。
飛び降りたころには、大波も既に引いていた。
大西洋まで残り八百メートル。
先ほどの大波を発生させるために叩きつけられた水の腕だが、まだ新しい水の腕が生成されていない。距離を詰めるチャンスだ。
「前は開けてるけど、まだまだ左右両サイドに水の腕がいる! 貫通力の高い水のレーザーに注意だ! 銃弾ならともかく、水流は標的との距離が開けば開くほど、どんどん威力は落ちる。でもあの水のレーザーは例外……」
……と、日向が皆に指示を出していた、その時だった。
突然、日向がこけてしまったのだ。
「ぎゃん!」
「あ、日向くん!? だいじょうぶ!?」
「テメェはいつも大事な局面で転びすぎだろ!」
「いや待って! いま何かが俺の足首を掴んで……」
そう言って日向が自分の右足首を見てみると、地面から小さな水の腕が生えて、日向の右足首をガッシリと掴んでいたのだ。
「こ、これはジ・アビスの水の腕!? なんで!? どうして水が無い場所からいきなり湧いて出たんだ!?」
日向は足首を掴んでいる水の腕を『太陽の牙』で斬りつけながら振り払った。この小さな水の腕は非常に弱く、少し斬りつけただけですぐに水飛沫と成り果てた。
日向を置いていって孤立させるわけにもいかないので、日向が動けるようになるまで皆が足を止めざるを得なかった。その間に本堂とシャオランが前方を確認。
その前方を確認した二人の目に、衝撃的な光景が飛び込んだ。大西洋へと続く平原に、先ほど日向を転ばせた水の腕が大量発生しているのだ。
「わ、わぁぁ!? いっぱいいるぅぅ!? どうなってるのぉ!? さっきヒューガが言った通り、ジ・アビスは水続きの場所じゃないと水の腕を発生させることができないんでしょ!? あ、まさか、またあの地下水脈とかいうヤツ!?」
「いや、これは恐らく、先ほどの大波でこの平野に残された水だ。それが水の腕となって独立して活動しているのだろう」
「ええ!? で、でもそんなことできるの!? 今までジ・アビスは、自分の水をかけた場所から水の腕を発生させるなんてマネはしなかったよ!?」
「大西洋に面したこの場所だから可能となったのかもしれない。しかしこの光景、まるで地獄の亡者達が地の底から湧いて出てきたかのようだな」
「そ、そんな喩えしないでよぉ! 怖くなっちゃうだろぉ!?」
「そういえばこの辺りには、かつて入水自殺したという女性の霊が現れるとか」
「ここ元は平野でしょ! 海じゃないでしょ! 騙されないよ!」
このまま前進すれば、皆そろって小さな水の腕に足を取られることになるだろう。一度ここで水の腕を一掃する必要がある。
しかし日向たちとしては、できればそれは避けたかった。北園の超能力で薙ぎ払うにせよ、エヴァの『星の力』で殲滅するにせよ、二人が大規模な攻撃を繰り出すには少しだけ溜めの時間が必要だ。その間、わずかながらも、どうしても足が止まる。ジ・アビスは、その日向たちが足を止めた瞬間を狙い撃ちしてくるだろう。日向たちはここで足を止めたくない。
「ジ・アビスの攻撃に対処して、それから前進するにしても、そうしたらジ・アビスの攻撃の余波でばら撒かれた海水から、また小さな水の腕が出てくる。それをまた北園さんたちの能力で一掃して、そうしたらまたジ・アビスが狙い撃ちしてきて……下手すると一生進めなくなるぞこれ」
「そうでなくとも、ジ・アビスと戦う前から無駄な消耗を強いられることになるな。スマートな解決策が必要だ」
本堂がそう言うと、その言葉を待っていたと言わんばかりに五匹の大型犬たちが日向たちの前に立ち並ぶ。五匹全員、その瞳には決意の光を宿していた。
五匹のうち、イビが代表して日向たちに声をかけてきた。
「ワン!」
「エヴァ、通訳頼む」
「『俺たちが道を作る! 後からついて来てくれ!』と言ってます」
「切り込み役か……。危険な仕事だし、他にもっと良い方法もあるかもしれないけど、もう悩んでいる時間がもない。悪いけど皆、頼んだ!」
「ウォン!」
日向の声を受けて、五匹の大型犬たちが前方に向かって一斉にダッシュ。イビが炎を纏いながら疾走し、ピレは体毛を硬質化させて車のタイヤのように高速で転がる。二匹が通った後、水の腕たちはもれなく蒸発し、あるいは轢き潰された。
さらにそこへシベとラフも攻撃に加わる。シベが走りながら口から冷気を吐き出し、それをラフが発生させた風で広範囲に拡散させる。あっという間に水の腕たちが凍り付いた。
スパも走りながら大量の砂を操り、砂を大波のようにして水の腕たちを押し流す。小さな水の腕たちは砂に吸収され、そのまま活動を停止した。
五匹が猛スピードで走りながら小さい水の腕を倒すことで、日向たちが進むための道がどんどん切り拓かれていく。
「よし、今のうちに!」
日向たちとポメ、六人と一匹は、五匹の大型犬たちの頑張りを無駄にしないためにも前進。大西洋まで残り七百メートル。
「このまま一気に距離を稼ごう! イビたちは、あまり深入りし過ぎると、俺たちが海に入った後にジ・アビスから逃げ切れなくなるかもしれないから、適当なところで退却してほしいところだけど……」
「あ、ヒューガ危ない!」
五匹の大型犬の身を案じながら走っていた日向を、シャオランが後ろから止めた。今の日向は水着姿なので服を引っ張ることができなかったため、シャオランは日向の足首を掴んだ。結果、日向はバランスを崩してこけた。
「はぐぉ!? お、お前シャオラン、いったい何用……?」
「おいおい、この短時間で二度もこける奴があるかよ」
「いやだって今のはシャオランが!」
日向が日影に言い返していた、その時。
日向のすぐ目の前に、水の塊が落ちてきた。
水の塊は地面に落下すると、そのまま大量の水をまき散らした。もしも日向がシャオランに止められていなかったら、恐らくあの水の塊が直撃していただろう。
そしてやはり、水の塊が落ちた場所から、また小さな水の腕が群れを成して湧き出てくる。数はざっと三十体ほど。
見れば、今の水の塊は一発だけではない。大西洋に立ち並ぶ巨大な水の腕の群れ、その中の左右両端のグループが、開いた手の平から次々と水の塊を発射して平野にまき散らしていた。