第106話 謎の女性 スピカ
「ワタシの名前は『スピカ』ってことにしとこうか」
「『しとこうか』って、思いっきり偽名だって言ってるようなもんじゃないですか……」
「おお、よく分かったねー少年。もしや天才では?」
「なんなんだアンタ……」
スピカと名乗った女性は、あいも変わらずのらりくらりとしている。オーバーコートに革のブーツに旅行カバンと、その恰好はとても登山客には見えない。
一方で顔立ちは美しく、髪は艶やかな濃い茶色のロングヘアーと、どこかのお嬢様を思わせる風貌でもある。ちなみに、厚手のコートが少し膨らむくらいには胸も結構、ある。
その言動も相まって、彼女は非常に独特な雰囲気の人物であった。
(……日向、どう思う?)
本堂が、小声で日向に話しかけてくる。
(どう思う、とは?)
(あの女性、今回のマモノ事件の関係者、という線は無いか?)
マモノが蔓延る森の中で、たった一人うろついていた、他者の心が読める女性。確かにただの一般人だとは思いにくい。一体何の目的があってここにいるのだろうか。
普段ならば狭山が通信機で彼女に話を聞いてくれるのだろうが、あいにく現在は電波妨害の能力を持つ霧の中。尋問するなら自分たちで行わなければならない。
(……というワケで、日向、インタビュー頼む)
(え、俺!? コミュ障が服着て歩いているような人間ですよ俺は!? 年長者の本堂さんが行ってくださいよぉ!)
(俺はほら、二か月のブランクがあるし。把握できてない事情とかあるかも)
(あ、ずりぃ……! ブランクって、さっきの戦闘、現役の俺よりいい動きしてたじゃないですか!)
(まぁそう言うな。実際のところ誇張抜きで、この中で他者と落ち着いて話が出来る人物はお前だと思ってる)
(そんなの、ただの見込み違いですよ……)
「おーい、どっちでもいいから要件があるなら言っておくれー」
小声で話し続ける日向と本堂に、スピカが声をかけてくる。
他者の心が読めるという彼女には、小声の内緒話も通じないのだろう。
日向は観念して、スピカに話しかけた。
「えーと、では、あなたに色々と聞きたいことが……」
「おっと、積もる話をするならランチでも食べながらにしようよ」
そう言うと、スピカは旅行カバンを開き、中からコンビニパンを数個取り出す。
そして、それを日向たちに押し付けてきた。
「はいどうぞ。おいしいよー」
「あ、はい、どうも……」
「いや、オレたち携行食持ってきてるだろうが。わざわざ貰うのも悪いだろ」
「けど、あんなにニコニコして渡してくれた手前、そう言って突っ返すのも何だかなぁ……」
日向と日影が言い合っていると、スピカが日影にもパンを渡してきた。
「はいどうぞー」
「あ、ああ。どうも」
「おい携行食はどうした。お前は返せよ」
「テメェ」
スピカは五人にパンを配り終えると、続いてグラスホーンに歩み寄る。
「キミも何か食べるかい? 奈良から持ってきた鹿せんべいが余ってるよー」
「キィ」
「お、欲しいかい? よしよし、お食べー」
スピカは旅行カバンから鹿せんべいを取り出すと、紙の皿に乗せてグラスホーンに与えた。
グラスホーンは鼻を近づけ臭いを確かめると、鹿せんべいをパクリと食べだした。
こうして、霧の立ち込める森の中、唐突にランチタイムが始まった。
◆ ◆ ◆
「ん、おいしいかい? それは良かった」
「…………。」
「『ここで何してるのか』だって? 道に迷ってるだけだよー」
「…………。」
「『ワタシの正体について』? そんな御大層なものじゃないよー」
(本当に何なんだろうなこの人)
「あ、日影くん、今『本当に何なんだろうなこの人』って思ったでしょー?」
「俺は日向です……」
六人と一匹で取り囲むランチは、別の意味で会話が無かった。
日向たちが口を開く前に、スピカが心の中を読んで答えてしまうのだ。
日向たちは、口を挟む余地が無かった。
「で、私の正体だけど、アレだよ私は。えーと、アレ。何だっけ」
「旅行客?」
「いや違うよー。家を持たずあちこち放浪してて……」
「ホームレス?」
「あー、そうとも言えるかも……。けどそうじゃなくて、もっとこう、カッコ良く言う感じで……」
「根無し草?」
「あ、惜しい! もうちょっと違う言い方で! こう……退廃的な感じで!」
「……世捨て人とか?」
「おお、それそれ! つまるところ、ワタシは世捨て人なのだな」
(変人……)
「変人じゃないよー、世捨て人だよー」
「あ、読まれた」
日向とスピカがやり取りを交わす。
その横で、本堂がスピカを見つめている。
口元に手を当て、目線を少し落としながら、ある一点を凝視している。
「………ふむ」
「おやおやー? 何考えているのかな?」
「いや失敬。お気になさらず。それより、いくら世捨て人と言っても、何の目的も無くこんな森の中をウロウロしてたとは考えにくい。それも、マモノが蔓延る森の中を。何か他に目的があったのでは?」
「そうだねぇ……確かにあるよ。ワタシの、今の人生そのものと言ってもいい目標がねー」
「……聞かせてもらっても?」
「別にいいけど、信じるかな? ワタシねー、王子様を探してるんだー」
「……こんな山の中にですか? ムサい山男が好みのタイプであると……?」
「あはは、違うよー。文字通りの王子様だよ。王子様がまだいるとしたら、どこかの秘境でひっそりと暮らしてるか、人間の社会に混じりながら暮らしているか、どちらかだと思うんだよねぇ」
スピカの言い分からすると、『王子様』というのは『理想の男性』という意味ではなく、誰か特定の個人を指しているようだ。それも、まさしくやんごとなき血筋の誰か。その人物を探すため、スピカはこんな森の中を彷徨っていたらしい。
(しかし、秘境かあるいは社会の中か……なんて両極端な選択肢なんだ。一体どんな人物をさがしているのだろう)
本堂は推察に没頭し始める。
その傍らで、今度は北園がスピカをキラキラした目で見つめていた。
「スピカさんスピカさん! あの、私……」
「……おや、キミも超能力者なんだね」
「そうなんです! 私、自分以外の超能力者に会うなんて初めてです!」
「そっかそっかー。ワタシには結構、超能力者の知り合いがいたんだけど、みんなもういなくなっちゃってねー。ワタシもお仲間に会えて嬉しいよー」
言いながら、スピカは北園を見つめる。
すると、突然驚いたような表情になった。
「へえ……! キミ、超能力が七つも使えるのかい! 凄いねー! それほどの数を一人で使える者なんて、ワタシの仲間でもそうそういなかったよー!」
「そうなんですか? 私って凄いんだ……!」
「うんうん、凄いよー。ええと使えるのは、発火能力、凍結能力、電撃能力に……」
「あ、電撃能力そうやって語尾るんですね」
「うん。ここの言語に合わせるならね。それと念動力に精神感応に治癒能力と、あとは……予知夢かぁ。そうかー、キミが予知夢を……」
「予知夢? 予知夢がどうかしたんですか?」
「ううん、何でもないよー。これからも精進したまえー」
「はい! 頑張ります!」
笑顔で頷く北園。
同じ超能力者仲間を見つけたからか、随分とスピカに懐いている。
そしてスピカは、日向に向き直る。
「彼女、良い子だね。しっかり守ってあげなよー?」
「え、ええ。俺じゃあまり役に立てないかもしれませんけど……」
「またまたー。『自分が彼女を守ってあげたい』って心の中では言ってるよ?」
「あ、ちょ!? そういうことを口に出すのは止めてもらえませんかね!?」
慌てながら、日向は北園の方を見る。
いきなりこんなことを言われて、迷惑していないだろうかと思って。
しかし北園は存外、笑顔であった。
「えへへー。じゃあお言葉に甘えて守ってもらおうかなー?」
「あ、いや、その、えーと、ガンバリマス……」
「ワタシとしても、その子にはぜひ無事でいてほしいんだよねー。今となっては数少ない、ワタシたちの仲間なんだからね」
「そういえば仲間がいたって、チラッと言ってましたね。きっとその人たちも超能力者なのでしょうが……。スピカさん、あなたは一体……?」
「ふふふ、さすらいの世捨て人さんなのだ」
日向の問いを、やはりゆるりと躱すスピカ。
只者ではないのは間違いないが、その腹の内を明かす気は無いらしい。
「……さて、ワタシの話もいいけれど、そろそろこの子の話もしようよ」
そう言って、スピカは後ろに座っているグラスホーンを見やった。