第1151話 嫌がらせに来た
日向たちが寝泊まりさせてもらっていたスペインの木造一軒家を、ジ・アビスの水の腕が襲撃してきた。
そしてなんと、ここら一帯は現在、ちょっとした川のようになってしまっている。ジ・アビスはこの水没地帯から水の腕を伸ばしているようだ。
家の周りから出現した多数の水の腕が、この木造一軒家を一斉に捕まえる。そして水の中に引きずり込むように潰しにかかってきた。外壁から、屋根から、あちこちから木材が軋む音がする。
外はすでに夜中なので暗く、まさかこの周辺が水没しているなど分からなかった。日影は今まさに窓から外へ飛び出ようとしていたが、日向が止めてくれたおかげで水没地帯に自ら飛び込むようなことにはならなかった。
「こ、これだけの水、いったいどこから来やがった……!?」
「分からない……けど、この辺が川みたいになっているということは、俺たちが乗っていた車はもう……」
そう言って日向はこの二階の窓から、ここまで乗ってきた車を停めていた場所に懐中電灯を向けてみる。
やはり日向たちの車にも水の腕が襲い掛かってきており、すでに車はボロボロに破壊されていた。エンジンルームのあたりから煙が出てしまっている。
「あわわわ……ひ、ヒューガどうするのぉぉ!? ボクだけ空飛んで逃げていい!?」
涙目になりながら日向に声をかけるシャオラン。”空の練気法”を使っていない状態の彼は、勇敢さがちょっと落ちる。というか今まで通りになる。
そんなシャオランに、日向が返事をした。
「いやシャオラン、逆にこの家にいないと危険だぞ」
「はぁぁ!? それどういう意味!?」
「こういう意味! 北園さん、エヴァ、頼んだ!」
「まかせて! エヴァちゃん、吹雪いくよ!」
「ねむい……」
「がんばって! 終わったらたくさん寝ていいから!」
「ふぁ……。”フィンブルの冬”……」
「星の牙”吹雪”!」
北園とエヴァが同時に能力を使用。家の外で猛吹雪が発生し、水の腕も水没地帯もたちまちのうちに凍り付いていった。一方で日向たちは破壊された窓などをベッドのシーツで覆い、屋内への吹雪の侵入を防いで巻き添えを防いだ。
「よし、水が凍った今のうちだ! 皆、ここから逃げよう!」
日向の言葉に皆はうなずき、それぞれ窓から飛び出したり、一階に降りて凍り付いた玄関のドアを破壊したりして家の外へと脱出した。ちなみに寝ぼけているエヴァは日向が背負っている。
凍った川と化している地面を走り、水没していない地帯までやって来て、ようやく日向たちは足を止めた。息を整え、緊急事態に襲われた緊張感と全力疾走してきた疲労を少しでも癒す。
「はーっ、はー……いや危なかった……。ジ・アビスのやつ、どうやってここまでやって来たんだ……」
息を切らせながらも、ジ・アビスへの愚痴をこぼさずにはいられなかった日向。たしかに日向の言う通り、あの家から一番近くのタホ川まで、優に十数キロは離れていた。ジ・アビスは自身が潜んでいる大西洋から距離があればあるほど能力のパワーが弱まる性質がある。
それに加えて、タホ川からあの家まで最も近い地点は、タホ川の水源にあたる場所だった。つまりジ・アビスが潜む大西洋までも距離がある。以上の二つの要素を合わせると、いくらジ・アビスでも無理やり陸地を浸水させてあの家まで……という力技も難しいはずなのだ。
力技が難しいなら、何か工夫を凝らしたはず。
日向がそう考えていると、横から本堂が言葉を発した。
「恐らくは……地下水脈だ」
「地下水脈?」
「空から雨が降り、大地に雨水が落ちると、地面に水が染み込む。地面に染み込んだ水は地下を通って、やがて川へと流れつく。この時の『地面に染み込んだ水が川へと流れゆく、地面の中の通り道』が地下水脈だ」
「ジ・アビスは、その地下水脈を使ってきたってことですか?」
「それしか考えられん。本来なら川へ雨水を運ぶ地下水脈を逆に辿って、俺達がいた家の付近に湧いて出たのだ。ゆっくり、じっくりと時間をかけて湧き出ることで、あそこら一帯を川のように……」
これは、まんまとしてやられた。
おかげで日向たちは貴重な移動手段である自動車を失った。
ゆっくり落ち着ける場所も追われ、疲労も満足に回復できていない。
「最初から、俺たちへの嫌がらせが目的だったんでしょうね。ジ・アビスもあんな不完全な状態じゃ、北園さんたちの吹雪一発で封じ込められる。それでも車をやられたら、タイムリミットがある俺にとっては痛手ですから」
「ああ、厄介な事になったな。それに俺達は、まだジ・アビスから多少の距離を取ったに過ぎない。此処はまだジ・アビスも依然として追跡可能な位置だろう。もっと離れなければ。北園たちが凍らせはしたが、また地下水脈を通じて新たに水が湧いてくるとも限らん」
本堂の言葉に従い、日向たちは再びこの場所から移動を開始。見張り役の日向がジ・アビスの襲撃に気づかず、皆が思わぬ苦難を強いられる形となったが、誰もこれ以上は日向を責めなかった。そういう日もある、と皆がしっかりと割り切っているからだ。
その一方で、北園は”精神感応”でこっそり日向に謝っていた。
(日向くん、ごめんね……私が邪魔したばっかりに……)
(大丈夫だよ北園さん。途中で俺の方から北園さんにちょっかいかけたし、共犯だよ。俺にも非はある。それにまぁ、俺はあの時間、楽しかったし)
日向も北園にジェスチャーで返事。
その日向の動きが面白く、自分を気遣ってくれる日向の気持ちが嬉しくて、北園はクスリと微笑んだ。
北園が元気を取り戻してくれたのを見て、日向も一安心した様子。
(よかった、北園さんは立ち直ったっぽい。それにしても、今回はいけるかと思ったのに。初デートの時といい、どうも俺と北園さんが仲良くしてると邪魔ばかり入る……)
不完全燃焼に終わり、日向の中にモヤモヤしたものが残る。
ちらりと北園を見てみれば、同じく少しモヤモヤした表情の北園と目が合った。
あと、エヴァは今もなお起きずに日向の背中の上で眠っていた。
「すー……すー……あいすくりーむが、こんなにたくさん……」
「こいつはよくこの状況で幸せな夢を見ていられるな!」