第104話 白い霧の森
3月中旬の日曜日、早朝。
日向は自宅のベッドの上で、神妙な表情をしながらジッと座っていた。
日向は両手で腕や脇腹を押さえている。
呼吸は荒く、額には汗もかいている。
なにか、ひどい痛みに耐えているような様子であった。
ただし、彼の身体に目立った外傷はない。
腹痛など、身体の内側が痛んでいる……といった様子でもない。
「う……くぅ……っつ……」
……と、その時だ。
日向のスマホが着信音を鳴らす。
日向がスマホを手に取り、画面を見てみると、そこには「狭山さん」の文字が。
「……また、マモノ案件かな。いいよ。俺にしかできないなら、俺がやるしかない」
そう言って、日向は狭山からの電話に出る。
狭山が持ち掛けてきた話は、やはりマモノ討伐の依頼についてだった。
◆ ◆ ◆
そして現在。
日向、北園、本堂、シャオラン、日影の『予知夢の五人』は、熊本県南部の森林地帯に来ていた。マモノ対策室室長、狭山もついて来ている。目的はもちろん、マモノ退治である。
日向の目の前には深い森林が広がっている。
そして、その周りには自衛隊が大勢たむろしており、マモノが街に下りないよう警戒網を張っている。
「深い森ですねー……」
「そうだね。件の『霧』もやはり健在のようだ」
狭山の言う通り、目の前の森林は深い霧で覆われている。
この霧は一週間以上前から発生しており、一向に消える気配がない。
それどころか、少しずつ森の外に向かって広がっているのだ。
「恐らくは、”濃霧”の星の牙の仕業だろうね」
「”濃霧”……」
『星の牙:”濃霧”』。
この力を持つマモノは、広範囲にわたって霧を発生させられるという。
一見すると、他の『星の牙』の力と比べてかなり地味に感じるだろう。
しかしそこは異能の霧。一筋縄ではいかない特性があった。
近くの自衛隊員が狭山に声をかけてくる。
「狭山さん。やはりあの霧の中に入ると、連絡が取れなくなるようです」
「そうか……。厄介だね……」
森林に発生している霧は、『中に入ると電話などの通信が一切できなくなる』という能力を持っていた。つまり、電波妨害能力だ。
この能力が関係しているのか、ここ数日でこの森の中に入った登山客の何人かと連絡が取れず、消息が途絶えている。
この電波妨害が日向たちにとってはかなりのくせ者で、オペレーターを務める狭山と連絡は取れなくなるし、衛星カメラによる地形解析も弾き返し、周囲のマモノの位置情報も入手できない。
つまり、今回は完全に日向たち五人の力で戦わなければならないということだ。
「……まぁ、一人前の戦士を目指すなら、いつかは独り立ちしないとね。オペレーター無しでも戦う経験を積ませなければ」
そう判断し、狭山は、今回のマモノ退治を五人に任せると決めた。
念のため狭山は、五人にそれぞれ信号弾を持たせている。
これを空に向けて撃てば、待機している自衛隊が全力で駆けつけてくれる手はずとなっている。
話をしていた日向と狭山に向かって、日影が声をかけてくる。
「こっちは準備完了だ。いつでもいけるぞ」
ちなみに日影は、これといった装備を身につけてはいない。
動きやすいカジュアルな服装に、『太陽の牙』を肩に担ぐのみ。
あとは水筒だとか食料といった、細々した物資だけである。
と言っても、これは他の皆もほぼ同じなのだが。
彼らは皆、己の身体に異能を宿している。
特別な装備はほとんど必要ない。
せいぜい本堂が、中国の時と同じように軍用ナイフを借りているくらいである。包丁ほどの刃渡りを持つ、大型のナイフだ。
「中国の時も思ったが、ナイフというのは使いやすいな」
「本堂さん、動きは速いしナイフは使うし、なんかアサシンみたいになってきてるな……」
指でクルクルとナイフを弄ぶ本堂を見ながら、日向は呟いた。
その傍らで、狭山が「なるほど、アサシンか。ふむふむ」などと呟いている。
北園も皆に声をかけてきた。
「みんなー、そろそろ行こー」
それに拒否反応を示したのがシャオラン。
「や、やっぱり帰ろう? サヤマの指揮が受けられないってだけでも危ないのに、そのうえ霧なんて……。相手の土俵にわざわざ入ることはないと思う!」
「じゃあ、シャオランくんだけ置いていこっか」
「そ、それはそれでイヤだ……! わかったよ、一緒に行くよぉ……」
北園とシャオランの準備も完了したようだ。
いよいよ作戦開始である。
「じゃあ皆、どうか気を付けて。これ以上は無理だと感じたら、遠慮なく信号弾を撃つんだよ。すぐに駆け付けるからね、自衛隊の皆さんが」
「なんだ、アンタは来ねぇのか」
「後方支援担当の自分が行ったところでねぇ……。後ろで大人しくしておくさ」
「任せとけよ、オレたちだけで十分だ」
日影の言葉を皮切りに、五人は森林へと入っていった。
◆ ◆ ◆
五人がちょうど森林へと入っていった頃。
霧の立ち込める森の中で、一人の女性が彷徨っていた。
「いやー、どうしよ。帰り道が分からないねー」
その女性の服装は、茶色のオーバーコートに長いジーパン、革のブーツを履き、手には旅行カバンと、およそ山に登るにはあまりに不適切な格好である。登山客というより、旅行客とでも言うべき姿だ。
髪は艶やかな濃い茶色のロングヘアー。
顔立ちは整っており、外見年齢は二十代半ばにみえる。
「厄介だねぇ、この霧は。外に向かって進んでいるのか、それとも逆に進んでいるのか分からないや」
女性は、気の抜けた口調でそう言った。
傍から見れば完全に遭難者なのだが、女性は妙に落ち着き払っていた。
……というか、ただのんきなだけにも見える。
「最悪、アレでこの森から抜け出せるけれども、抜け出した先で誰かに見られると厄介だしなぁ。……ま、のんびり行きますかー」
旅行カバンをブラブラと揺らしながら、女性は白い森の中をゆったりと歩いていった。
◆ ◆ ◆
「おっとっと……」
「北園さん、大丈夫?」
「う、うん。何とか。つまづいただけ」
「霧が深いから道の先が把握しにくい。視覚の情報不足によって躓きやすくなる。二人とも、注意して進むことを推奨する」
北園と日向に、後ろから本堂が声をかける。
マモノの不意打ちに警戒しながら、ゆっくりと森の中を歩いている。
「一応、通信機持ってきたけど、やっぱりダメみたい……。ノイズ音しかしないよ……。万が一の可能性に賭けてたのに……」
言いながら、シャオランが通信機を道着のポケットにしまう。
やはり通信は途絶されているようだ。
「ふむ。復帰早々ハードな戦いになりそうだ」
「もうヤダ帰りたい!」
「まだ森に入って二分も経ってないでしょ。我慢しなさい」
やがて五人は開けた場所に出た。周囲は相変わらず霧に包まれて真っ白であるが、かすかに先が見通せる。その先に、一匹の獣がいる。
「あれは……マモノか?」
「うーん……白くてよく見えない……」
本堂と北園が目を凝らして獣の姿を見る。
しかし、霧でぼやけてよく分からないようだ。
その一方で、日向が口を開く。
「……多分マモノだぞ、あれ。シカのマモノかな……」
「え、日向くん、見えるの?」
「うん。こう見えても視力はかなり良いんだ、俺」
「へぇー、普段ゲームばっかりしてるのに?」
「うん。不思議なくらい悪くならない。日影も見えるだろ?」
「ああ、何とか。あのシカ、かなりデカいだろ?」
日影の言う通り、霧の向こうにいるシカは、かなりの大きさだ。普通のシカの二倍はあるのではなかろうか。ちょっとした馬くらいの背丈がある。頭部に生えている二本の角も、普通のシカとは思えないくらい太く、鋭い。
明らかに普通のシカではない。日向の言う通り、マモノなのだろう。
「だったら話は早ぇ。先制攻撃だ。後ろから援護頼むぜ。るぁぁぁッ!!」
「あ、おい!? 日影!?」
日向が呼び止めるより先に、日影がシカのマモノに向かって駆け出した。日向も諦めたかのように、残りの三人に声をかける。
「ああもう、仕方ない。北園さんと本堂さんは遠距離から援護を。俺とシャオランは日影に続くぞ!」
「りょーかい!」
「任せろ」
「やだーっ!」
日向の指示を受け、三人がそれぞれ配置につく。
一方で、日影はすでにシカのマモノに斬りかかろうとしていた。
「オラァッ!!」
「キッ!」
シカのマモノは華麗に後ろへと飛び退いて、日影に向かって角を突き出し、体当たりを仕掛けてきた。
「っと! けっこう早ぇ突進だな!」
言いながら、日影は横に飛んで突進を避ける。
シカのマモノの勢いは止まらず、その後ろから近づいて来る日向とシャオランに突進を仕掛けてくる。
「うわっとぉ!?」
「あああああああ助けて」
日向とシャオランは、大慌てでマモノの突進の軌道から飛び退く。
その時、日向はマモノの姿を至近距離から観察した。
(コイツ……身体が苔で覆われているのか? ……いや、草が生えている……?)
日向が見た通り、シカのマモノの体表にはところどころ草が生えている。さらに、角には何かの花が咲いているようだ。まるで『植物と一体化したシカ』という印象を与える。
(コイツは……まだマモノ対策室のデータに無いマモノだな……)
日向は、マモノ対策室が把握しているマモノのデータを、ほとんど頭に叩き込んでいた。
曰く、「ゲームのモンスターデータ見てるみたいで普通に面白い。数学の公式なんかよりよっぽどすんなり頭に入ってくる」だそうだ。
「植物のマモノなら、火がよく効きそうだ。というワケで北園さん!」
「はいはーい!」
日向の声に合わせて、北園が後ろから火球を生み出し、シカのマモノを狙う。
「いくよー! 発火能……」
「キーッ!!」
北園の声を遮るように、シカのマモノが一声鳴いた。
その瞬間、北園の地面の周りからツタが伸びてきて、北園を捕えてしまった。
手足を縛られ簀巻きにされ、北園はコテンと地面に倒れる。
「え、えー!? 何これ、動けない!?」
「なっ!? アイツ、いま何したんだ!?」
「ツタが独りでに伸びてきたぞ! ソイツの仕業か!?」
「キーッ!!」
続いてシカのマモノが、日向に向かって一声鳴いた。
その瞬間、先ほどと同じように周囲のツタが日向を捕えてしまった。
「あ、やば……!?」
「ああ、ヒューガが!?」
ツタは日向に纏わりつき、ピッシリと日向を地面に縛り付ける。
動けなくなりながらも、日向は目の前のマモノを分析した。
「植物を操る……それはつまり、植物という『生命』を操る……? つまりコイツは”生命”の『星の牙』か!」