第1142話 水浸しの街
エヴァの水泳特訓を終えて、フランスとスペインの国境沿いにある山間ホテルを後にした日向たち。フランスを抜けて、スペインへと入国する。日向の存在のタイムリミットは、残り25日。
少しずつジ・アビス本体へと近づいてきたことで、エヴァの気配感知の精度も上がっていく。その結果、ジ・アビス本体から最も近い陸地は、ポルトガルの南西の端に位置する首都リスボンであるということが判明。日向たちは陸路における最終目的地をリスボンに定めた。
このスペインにおいても、下手に水辺に近づけばジ・アビスの水の腕に襲われるのは同じだ。たとえ海ではなく川であっても、その川が最終的に海へとたどり着くものであれば、それもまたジ・アビスの外殻である。なるべく水辺には近づきたくないところ。
エヴァの水泳特訓中に、本堂がリスボンまでのルートを考案してくれた。車を運転しながら、その考案したルートを発表する。
「スペインもまた百キロを優に超える長大な川が多い国だ。何か所かは川を渡るのも避けられん。その上で提案するが、まずここから一番近いエブロ川を越え、そこからひたすら西へ向かう。マドリードを経由し、そのままポルトガルへ入り、そこから南。タホ川を渡り、リスボンへ到着。このルートが理論上、最も川を渡る回数が少なく済むルートだ」
「俺はスペインの地理なんてまったく分かりませんから、本堂さんに一任します」
「ヒューガと同じで」
「オレも」
「私もー」
「私もです」
「これが議論を避ける現代の若者の実態か」
「こればっかりは議題が悪いと思うんですよ」
そして六人を乗せた車は、スペインの都市の一つであるサラゴサに到着。歴史的建造物が多く集まる古都として知られ、観光名所としても人気が高い街だった。
そしてやはり、このサラゴサもまた生存者の気配がほとんどないゴーストタウンと化していた。街を横断するエブロ川から溢れ出た水が、街のあちこちを水浸しにしてしまっている。
幸い、日向たちの今回の目的地の一つであるテルセール・ミレニオ橋は落とされていないようだ。ちゃんと向こう岸までかかっている。もともとこの辺りは洪水が多い地域なので、この大橋もまた川の増水に特別強い設計となっているのだろう。それでジ・アビスの襲撃にも耐えきれたか。
「橋が無事なら、川を渡ること自体は簡単に済みそうですね。問題は、その橋までどうやって辿り着くか、ですけど」
日向が、運転席の本堂に向かってそう言った。
先述の通り、この街はエブロ川の氾濫によって広範囲が水浸しになっている。相変わらず川の水量は多く、今もなお川から街へ水が流れ込んでいる。この街に広がっている水の全てがジ・アビスだと思っていい。
「まだジ・アビスの他にも三体の『星殺し』がいることを考えると、これ以上はお前のタイムリミットを浪費したくないな。そのためにも、この貴重な移動手段である車を捨てることは避けたい。車を護衛しつつ切り抜ける作戦で行くぞ」
「分かりました。そうなると、この車が全力で走ってもついて行くことができる人が外に出て、車と並走しながらジ・アビスの水の腕を追い払うっていうのが最善の形でしょうか」
「その通りだろうな。かなり無茶を言っている気もするが、それを可能にするだけの能力が今の俺たちにはある」
「ですね。ところで本堂さん、今回の俺はちゃんと議論してますよ」
「そうだな。偉い偉い。はいお終い」
「ちょっと待て」
日向の作戦で行くならば、外に出て戦うバトルメンバーは北園と日影の二人は確定だろう。それぞれ空中滑空と”オーバーヒート”により、車と並走するか追い越せるほどのスピードを出すことができる。この二人なら車の護衛係として申し分ない。
ここで、シャオランも手を挙げた。
「ぼ、ボクも外に出て戦うよ! 武闘会の時の師匠みたいに風の練気法の”順風”と”飛脚”とうまく組み合わせれば、相当なスピードが出せるはずだから!」
「おお、シャオランがいつになくやる気だ。それじゃあシャオランも外メンバーにして、あとは本堂さんが運転手で、エヴァが車に乗りながら遠距離攻撃ってところか。で……俺はできることがほとんどない、と」
日向の言う通り、彼は今回の戦いにおいて、あまり力になれない。彼は北園や日影のように常時高速で移動する能力を持たない。”復讐火”は一瞬しか日向をパワーアップしてくれないので、こういうケースでは使い勝手が悪すぎる。
では車に乗って遠距離攻撃で援護を……というのも難しいだろう。日向の”紅炎奔流”は剣を大きく振るって撃ち出す技だ。車内ではもちろん撃てないし、車窓から身体を乗り出して撃つのもやや難しいうえに危険だ。日向が車から振り落とされる可能性がある。
よって日向は現状「車の中で大人しくしておく」くらいしか、やるべきことがない。
「俺も少しは役に立ちたいけど、無理に戦おうとして車から落とされたり、足を引っ張るのもなぁ」
頭をかく日向。
……と、それを見た本堂が日向に声をかけてきた。
「ふむ……日向」
「なんですか本堂さん?」
「今の俺は身体能力が飛躍的に向上しているため、車と同等の速度で走りながらジ・アビスの水の腕と交戦することも可能と思われる」
「す、すごいですね。いよいよ人間辞めてきましたね。でも本堂さんは車の運転がありますから」
「そこで考えたのだが、日向お前、パリでは車を運転してたな」
「あ、ミシェルさんが襲われていたのを皆が助けに行って、俺だけ車で追いかけたやつですね。まぁ俺もゲーセンのカーゲームとかで、車の基本的な動かし方は憶えちゃってますから」
「つまりお前は、車を運転できるのだな」
「まぁ一応…………あの、本堂さん。もしかしなくても、この話の流れはやっぱり……」
「俺が外に出て戦う。日向、お前は車の運転を任せたぞ」
「待って待って待って嘘でしょ?」
「これから先の旅路も何が起こるか分からないと考えると、俺だけでなくお前くらいは車の運転を覚えておいて損はないはずだ」
「その考えは間違いないとは思うんですけど、だからっていきなりこんな大一番を任せます普通?」
大慌てで本堂の作戦を拒否しようとする日向。
しかし気が付けば、他の仲間たちによって運転席に担ぎ込まれていた。
「北園さん! シャオラン! 日影! エヴァ! お前らはそれで良いの!? 本当に俺に運転させる気!?」
「だいじょうぶ! 日向くん、ゲームセンターで車のゲームするの上手かったし! エヴァちゃんだって頑張って泳げるようになったんだから、日向くんだって頑張ればできるはず!」
「戦力は少しでも多い方がいいし、ヒューガが運転に回ることでホンドーが戦えるようになるなら、ボクとしてはそれに越したことはないかなって」
「単純に、日向が働かねぇのが気に入らねぇ」
「あなたと一緒に車に乗ることになる私から言わせてもらえば、正直に言って不安すぎます。しかし戦力的に、この形が最も無駄が出ないのも事実。あとは日向次第ですが、やってみる価値はあるかと」
「あー! 分かった! 分かったよ! 俺が運転するよ! どうなっても知らないからな!?」
こうして、バトルメンバーが決定した。北園、本堂、シャオラン、日影の四人が外に出て、ジ・アビスの水の腕を追い払う役。エヴァが車内に残って遠距離攻撃担当。そして日向が運転手である。
ジ・アビスとの交戦に向けて、少し街中を探索して準備を整える日向たち。これが終われば、いよいよテルセール・ミレニオ橋通過作戦の開始である。