第1135話 ずぶ濡れのバトルリザルト
どうにかガロンヌ河から脱出できた日向たち。
ジ・アビスに襲われない程度に少し離れた場所に移動。
そこでは、先にこの場所に避難していた北園が、意識を失ってしまっているエヴァを看ている。
「エヴァちゃん! しっかりして! どうしよう……目を覚ましてくれない……」
「北園。エヴァの容態はどうだ?」
日向たち四人がこの場所に合流し、本堂が北園に声をかけた。
北園は切羽詰まった様子で本堂の方へ振り向き、返事。
「あ、本堂さん! それが、エヴァちゃん目を覚ましてくれなくて……! 前に狭山さんとかから教えてもらった心臓マッサージも試してるんですけど、効果が無いみたい……」
「肺まで水を飲み込んでしまっている場合、肺に酸素を送り込んで呼吸を促してやる方が、より蘇生率が高まる」
「肺に酸素を……それじゃあ人工呼吸ってことですね! よ、よーし、日向くんとのファーストもまだだけど、ここは私が……!」
「いや、それには及ばない。俺に任せろ。ファーストは日向に取っておけ」
そう言って本堂が、北園からバトンタッチ。
両手に”暴風”の能力で作り出した小さな風の渦を乗せる。
そして、その風の渦を乗せた両手で、エヴァの口元を覆った。
「能力で生み出した風がエヴァの身体の中へ酸素を送り、心肺を動かしてくれるだろう。ちょっとした人工呼吸器というわけだ」
「なんだ、本堂さんがエヴァちゃんと口づけってわけじゃないんですね」
「必要ならば俺はそれでも構わんが、患者の意思もあるからな」
「ぅ……ごほっ!? ごほっ! げほっ……」
「あ、エヴァちゃんが復活した!」
エヴァが咳き込みながらも意識を覚醒させてくれた。すぐに転がってうつ伏せになり、飲みこんでいた水を口から吐き出す。苦しそうにしているエヴァの背中を北園がさする。
「エヴァちゃん、だいじょうぶ!?」
「はぁっ、はぁっ……、うう……ぐす……」
エヴァは北園に返事をしない。ただ、泣き声のような小さい声を漏らしながら、無言で北園の胸に抱き着いてきた。
北園もエヴァを優しく抱きしめ返して、その背中をなでた。
「怖かったね。もうだいじょうぶだよ……」
「ぐす……ふぅぅ……ひぐっ……」
しばらくそのまま、エヴァが落ち着くまで待つ五人。
一分ほどして、エヴァはようやく少し落ち着きを取り戻したようだ。
ひどく申し訳なさそうな表情をして、座ったまま日向たちに頭を下げる。
「私が冷静さを欠いてしまったせいで、皆さんまで危険な目に遭わせてしまいました……本当に申し訳ございません……。自分の水への恐怖心を甘く見過ぎていました……」
「エヴァ、大丈夫だよ。パリでも言ったけど、誰だって苦手の一つや二つはある。そんで約束通り、俺たちでカバーした。それで良いじゃんか。だいたい、そもそも俺が河を凍らせて渡ろうって提案したのが悪いんだ。その作戦がまず間違いだった」
「私も、シャオランくんが心配してたのに、だいじょうぶだって言っちゃったから、私だって悪いよ。ごめんねエヴァちゃん、怖い思いをさせちゃって……。私もジ・アビスを甘く見過ぎてたよ……」
日向と北園がエヴァをなだめる。
そこへ日影もやって来て、同じくエヴァに声をかけた。
「そうだぜエヴァ。全部日向のせいにしとけ。コイツがふざけた提案なんざ出さなければ、こんなことにはならなかったんだ。このドアホ。ボケ。大量殺人未遂犯」
「お前それはちょっと言い過ぎじゃない? そこまで言うならお前だって作戦実行前にあらかじめ反対意見の一つでも言っとけよ。大丈夫だと思ったから黙ってたんだろ。沈黙は罪ぞ?」
「けっ。シャオランが意見述べてたから、オレはわざわざ言う必要ねぇかなって思ってたんだよ」
「かーっ、もうこの後出しジャンケンみたいな言い訳、マジ卑怯だわ。”オーバーヒート”で一人で勝手に水中から逃げるしさー。いと薄情者なり」
「いや、あれはだな、ちょっと試してみたら脱出できたっつうか。だからその後、まだ水中に残ってたテメェらを助けるために、何か役に立ちそうな物とか色々探してたんだよ。”オーバーヒート”で猛スピードでよぉ」
「それで持ってきたのがあの浮き輪か? あれじゃ水の中までは沈んでくれないから、河底にいる俺たちを助けられないだろ。まことアンポンタンなりけり」
「結果として、その浮き輪でテメェ助けてやっただろうがオイ! あとさっきから突如として挟まれる古典的言い回しが腹立つんだよテメェ!」
「古典的言い回しに罪はないだろ! そろそろ認めろ、俺だけじゃなくてお前も罪人なんだよ! ほらお前もエヴァに謝れ!」
「ちょっと改めて冷静に考えてみたけど謝るようなことが何一つ思い浮かばねぇんだよ!」
ぎゃあぎゃあと言い合い、そのまま取っ組み合いに発展する二人。
日影が日向の足を払い、抱え投げで背中から叩きつけた。
「死ねおるぁッ!!」
「どぼぉぉっ!?」
受け身も取れずに叩きつけられた日向。陸に打ち上げられた魚のように口をパクパクさせ、地面の上をのたうち回る。日影の勝利である。
以上の寸劇を見て、北園が苦笑いしながらエヴァに声をかけた。
「あははは……。まぁ、ほら、この二人もこんな調子だし、エヴァちゃんのことは全然悪く思ってないんだよ。エヴァちゃんもあまり落ち込まないで! 本堂さんとシャオランくんだってだいじょうぶだよね?」
「無論だ。結果論だが、ジ・アビスの水に沈んだ場合を前もって体験できたのは、恐らく俺達にとってプラスにつながるだろう。貴重な情報だ」
「何かに怖がる気持ち、ボクもよく分かるからね……。自分を棚に上げてエヴァを責めるなんてできないよ」
本堂とシャオランもそう言って、エヴァをフォロー。
しかしエヴァの表情は、まだどんよりと暗かった。
「皆さん、ありがとうございます……。ですが、私が大失態を犯してしまった事実に変わりはありません……重く受け止めます……」
「エヴァちゃん……」
エヴァをあまり励ますことができず、北園も残念そうな表情を浮かべた。
……と、ここで少し間をおいて、北園がこの沈みゆく空気を打ち壊すような、可愛らしいくしゃみをした。
「くしゅんっ。そ、そういえば私たち、河に落ちてそのままだった。服がびしょ濡れで冷えるよー……」
びしょ濡れ。
その単語に日向が反応し、北園の方を見た。
濡れた服が彼女の身体にピッタリと張り付き、胸部から腹部あたりにかけてのラインが浮き彫りになっている。
北園もすぐに日向の視線に気づき、顔を赤くしながら両腕で自身の身体を隠した。
「日向くん……それはさすがに、ちょっと恥ずかしいかなーって」
「あ、はい! ごめんなさい! すぐに近くからタオルとか探しに行ってきます!」
逃げるように走り去る日向。
本堂とシャオランも日向の後をついていく。
「乗り捨てた車の代わりを探さねばな」
「ボクも一緒に行くよ。ヒカゲはキタゾノとエヴァをお願い」
「ああ。任されたぜ」
「日向の目が無い今ならば、濡れた北園をこっそり観察し放題だな」
「ばッ……そんなことしねぇよ!」
「ならエヴァか」
「しねぇっつってんだろ!」
日影は本堂の背中を蹴飛ばし、さっさと車を探しに向かわせた。