第1131話 彼女の意外なる弱点
ジ・アビスは大西洋そのもの。海底深くに潜んでおり、今の大西洋に一度入ったら最後、二度と地上へは戻れなくなる。いったいどうやってジ・アビスのもとまで辿り着けばいいのか、日向たちは頭を悩ませる。
そんな中、エヴァがゆっくりと手を挙げた。
どこか、あまり気が乗らないような様子で。
「一応……海底深くまで行くだけならば、なんとかなるかもしれません……」
「え? それはどういうことだ、エヴァ?」
日向が尋ねる。
エヴァはうなずき、話を続ける。
「今の私の『星の力』なら、私が海の中に潜って、その私の周囲の海水を、私たちにとって都合が良いものに改造できるかもしれません。ジ・アビスからその部分の海水の操作権を取り戻すことで」
「つ、つまり、どういうこと?」
「まず、私たちでも普通に呼吸ができ、海の中でも会話ができるように、私の周囲の海水を『星の力』で改造します」
「そ、そんなことできるのか!?」
「はい。さらに、海の深くまで潜っても、私たちの身体にかかる負荷が少なくなるように海水と重力を操作することで、身体が押し潰されるような水圧にもある程度は耐えられるようになるかと。それでも完全に防ぐことはできないと思うので、ある程度は動きにくくなるのは避けられないでしょうが」
「それってつまり、数千メートルくらいまで潜っても……」
「恐らく、死にはしない程度には耐えられます。あなたたちの国で言うところの『浦島太郎物語』のように、海水は私たちを害さない存在になります」
「最大の問題、突破しちゃったじゃん!?」
「それと、ジ・アビスの水の腕は”怨気”も使用していました。恐らくは大西洋全体にもジ・アビスの”怨気”の能力が及んでいると見るべきですが、そこはシャオランの”空の練気法・天界”と、それを模倣した私の『星の力』のフィールド生成で対抗が可能です」
「か……完璧じゃんか! これなら俺たちが直接、ジ・アビスのところまで潜って、討伐しに行くことができる!」
「はい。ただ……その……少々、問題が……」
……とエヴァは言ったが、そのつぶやきは小さく、興奮気味な日向の耳には届かなかった。そのまま日向は独り言を続ける。
「こうなると残る問題は、今回は間違いなく生身での水中戦がメインになるから、泳ぎが苦手だとマズいってことくらいか。でも俺たち五人は全員しっかり泳げるし、エヴァだって『幻の大地』でたくましく生きてきた野生児なんだから、泳ぎだって楽勝だよな! いける、これはいけるぞ!」
「泳げません……」
「やっぱりかエヴァ! お前ならきっと泳ぎは得意だと思って…………なんて?」
「私は、泳げないのです……」
この場にいる全員が、目を点にしていた。
日向たち五人が目を点にして、エヴァの方を見ていた。
ついでにミシェルも目を点にしていた。
エヴァは、気まずそうに目線を逸らしながら説明を始める。
彼女は幼い頃に海難事故に遭い、海で溺れかけている。それがきっかけで『幻の大地』に流れ着くことになったのだが、この時の事故がトラウマになってしまって、水に沈むのが苦手になってしまった。
彼女の保護者の一人であるゼムリアは、エヴァに優しく接してくれる反面、教育方針はけっこうなスパルタだった。そのためゼムリアは「泳げないことは自然界において間違いなく大きなハンデになる」と考え、エヴァのカナヅチを克服させようとしたが、ついぞ彼女のスパルタ教育でもどうにもならなかった。
「つ、つまり、エヴァは海の中に入れないから、やっぱりジ・アビスはどうにもならない……?」
震える声で、日向はエヴァにそう尋ねた。
しかしエヴァは、どこか無理をしているような様子ながらも、日向の質問に答えた。
「い、いえ。私だって分かっています、ここで頑張らないとこの星が危ないということは。幸い、『星の力』による水の改造が成功すれば、私は泳げなくとも溺れることはなくなります。皆さんと一緒に海の中へ潜ることは可能なはずです」
「そ、そうか。ひとまずは大丈夫そうなんだな」
「はい。ですが、やはり私の機動力の大幅低下など、迷惑をかけてしまうことは避けられないかと……」
「いいさ、誰にだって苦手なものの一つや二つくらいある。それがお前の場合、たまたま水だったってだけだ。俺たちがお前を最大限フォローするから、お前もどうか力を貸してくれ。ジ・アビスを倒すには、お前の力が必要不可欠だ、エヴァ」
「分かっています。勇気を振り絞ろうと思います」
日向の言葉に対して力強くうなずき、エヴァはそう返事をした。
……と、ここでやり取りを見ていたミシェルがエヴァを抱きしめようとしてきた。
「エヴァちゃーん!! あなた泳げないってだけでも可愛いのにそんなに健気に張り切っちゃってもうホント可愛いー!! 娘にしたいー!!」
などと言いながらエヴァに飛び掛かるミシェル。
しかしエヴァは両手でミシェルの顔面を抑えつつ、これを阻止。
「な、何なんですかもう。私の母はゼムリアです。あなたの娘になんかなりません……」
「でもわかりますー。エヴァちゃんってなんだかお世話してあげたくなる可愛さがあるんですよねー」
そう言って、北園が後ろからエヴァを抱きしめた。体勢を崩されたエヴァはミシェルを抑えていられなくなり、彼女を逃がしてしまう。そしてそのまま北園とミシェルに挟み込まれるように抱きしめられた。
「むぎゅう……どうして、どうしてこうなるのですか……。でも諦めません。いつか必ずゼムリアのように格好良い女性になるのです……」
◆ ◆ ◆
その後、日向たちは先を急ぐため、その日のうちにミシェルの家から旅を再開する。
別れ際に、ミシェルは日向たちがポルトガルに向かうための最適なルートを教えてくれた。これなら上手くいけば、ポルトガルへの到着を一日か二日は早めることができるかもしれない。
日向たちもまた、なんだかんだで色々と世話になったミシェルへのお礼と、彼女がこれから先も無事に生き残ることができることを祈り、エヴァの『星の力』を分け与えた。これで彼女も多少はレッドラム相手に自衛できるかもしれない。
「『腐食毒を生成する能力』に目覚めたわ! ……え、なに腐食毒って。私ってそんなイメージなの?」
「腐ってやがる、早すぎたんだ……ってことですかね?」
「早いは正義!」
「今さらだけど、俺たちはだいぶ大変な人を救出してしまったのかもしれない」
「まぁ何はともあれ、この星のことを頼んだわよ若者たち! 私も応援してるから!」
「あ……はい! 頑張ります……!」
それから日向たちは電気ワゴン車に乗り込み、ミシェルの家を後にした。
運転を開始してほとんど間を置かず、運転席の本堂が日向に声をかけてきた。
「それにしても、なかなかにフリーダムな女性だったな」
「あなたがフリーダムって他人に言いますかね……」
「ああいう明るい人間が健在ならば、この星も人類もまだどうにか頑張れる……そう思える気がするな」
「まぁ……それはたしかに、そうかもしれませんね」
「俺のフリーダムもそういう信念のもと、我が身を削って振舞っているのだ」
「嘘乙」