第1117話 愛と憎悪の記憶
「あの日、自分はとうとう耐え切れなくなり、この星に復讐するために行動を開始した」
日向が灰色の光に包まれると、誰かの独白が光の向こうから聞こえてきた。日向は、その声が誰のものか聞き覚えがあった。
(狭山さん……?)
「何千万年も、何十億年もかけて、自分たちは怨みの感情を研ぎ澄まし、精神のエネルギーを高めていった。来るべき時、この星を確実に殺すことができるよう、力を蓄えたんだ」
今の声は、間違いなく狭山誠のものだった。
やがて灰色の光が治まり、日向の視界も回復していく。
日向の目の前に広がっていた光景は、どことも分からない広大な平原だった。
地形は隆起に富み、ところどころ草が無いので砂地が剥き出しになっているところがある。そしてあちこちに野生動物たちの姿が見られる、ため息が出るほどの雄大な自然が広がっていた。
そして、その平原の真ん中に一人の男が立っている。狭山だ。
彼の手には、日向もよく見覚えがある一本の剣が握られている。
(『太陽の牙』だ……)
狭山が『太陽の牙』を持ち、日向に背を向けて立っている。
そして日向の方は振り返らず、言葉を発し始めた。
「生物の気配の欠片もない原初の地球を知っている身としては、この光景は感動的だったよ。あの過酷な死の星が、これほどまでの生命溢れる惑星に変貌するなんてね」
(でも……狭山さんは、そんな地球を滅ぼそうとして……)
……と、狭山に言おうとした日向だったが、言葉を発することができなかった。口を開いて声を出そうとしても、その声は無音となって出てきてしまう。
(これもしかして、狭山さんの独白を一方的に聞かされるパターンか)
日向は狭山との会話を諦め、静かにする。
その一方で、狭山は平原の中にいる動物のグループの一つを指さしていた。
狭山が指さしていたのは、毛深いが肌色が多く、二足で歩き、手には石や木などを持っている動物だった。あれは現在の人間たちの原型……原人だ。数人の原人たちが火を焚き、その火を取り囲んでいる。
「それぞれの個性あふれる生命にはもちろん驚かされたけど、一番驚いたのはあの動物だ。自分たちアーリアの民とあまりにもよく似ている。民たちと別れて6000万年以上を独りで生きてきた自分にとって、孤独を埋めてくれる仲間と出会えたような、そんな気分だったよ」
狭山がそう言い終わると、この世界が灰色の光に包まれる。
そして光が治まると、別の世界が日向の目の前に広がっていた。
次に日向の目に映し出された光景は、古代の人間の街だった。日向の印象ではメソポタミア文明あたりの雰囲気を感じる。堅い土で建設された家が立ち並び、人々はエキゾチックで涼しげな服装に身を包んでいる。
「アーリアの民とそっくりだった彼らは、やがてこの星における『人間』となり、文明を築き、町を築き、国を築いた。断っておくけれど、別に自分が神様気取りで彼らに知識を与えて国を作らせたわけじゃないよ。この星の文明は、この星の人間たちの手で育てていかないと。外部の者が干渉し過ぎるのは良くないからね」
そう言って狭山は、町で暮らす人々を見る。
路端で遊ぶ子供たちを見る。
何やら意見の食い違いで口論になっている男たちを見る。
その狭山の視線は常に、慈しみに満ちたものだった。
「実に四十億年以上の時を経て、ここまで育ってくれた人類たち。自分にとっては、皆まとめて我が子のように愛らしい存在だよ。人類だけじゃない。動物も、植物も、空も海も大地も、この星の全てが愛おしい」
(あ、愛がデカい……)
するとここで、再び日向の視界が灰色の光に包まれる。また場面転換のようだ。次に映し出された光景は、白色を基調とした西洋風の荘厳な神殿が立ち並ぶ場所。日向がパッと見た第一印象では、ギリシャ神話あたりに出てきそうな建築物だった。
その神殿の中で、一人の屈強な男が棍棒と盾を持ち、二つの頭を持つ巨大な犬の怪物と戦っていた。
(なんだあの犬の怪物!? ま、マモノ!? いやでも、ギリシャ神話の時代にマモノがいるはずが……。あ、でも神話に語られる怪物は出てくるな。とはいえ、空想の神話の中の話だろ……?)
「現代よりはるか昔は、この星の『表の世界』にも『星の力』が溢れ、現代で言うところの神秘に満ちていた世界だった。『星の意志』は『神々』という分霊を表の世界に遣わし、神と人間が隣同士で生活しているような時代だった。地上の動物は『星の力』により変質することがあった。特殊な術式で『星の力』を制御する『魔法』という技術も存在した」
(こ、この星の古代って、そんなファンタジー世界だったの……? じゃあ、あの二つの頭の犬も、現代で言うところのマモノなのか……)
「自分はこの星の文明の中に溶け込んでひっそりと生きる傍ら、この星そのものについても研究を重ねていた。この星の生命核……『星の心臓』にたどり着くには、『星の力』を利用して次元跳躍の魔法を確立することが最善の道だと考えた」
しかし、と言って狭山は話を続ける。
「しかし、人間がどんどん技術を身に着け、文明を発達させ、人類という種族が繁栄するごとに、地上に残っていた『星の力』はどこかに隠されるように徐々に消えていき、やがて完全に失われてしまった。『星の力』はこの星にとって魂でもあるから、繁栄を続ける人間たちに浪費される前に、この星が別次元に隠してしまったのだろう。『星の力』を利用して『星の心臓』への道を見つけることはできなくなってしまった」
そしてまた、日向の視界が灰色の光に包まれる。次に映し出されたのは、どこかの西洋国家の下町のような風景だった。
その下町の、一軒の建物の中に入る日向。そこには十人前後の子供たちが集められており、その子供たちの先頭に狭山が立っていた。子供たちは砂版に文字を書いており、どうやら勉強をしているようである。
「やがて『自分もこの星の人間たちの文明に混ざってみたい』と考えるようになった。なるべく彼らの邪魔をせず、彼らの歴史に深入りしない程度に。そこで始めたのが教育だった。学問を受けたくても受けられない人々のところに出向いて、あるいは特定の場所に集めたりして、軽く教鞭を取らせてもらったんだ。自分は充足感を得られるし、人間たちの手助けもできて一石二鳥だよ」
(狭山さんがアフリカに開いていた学校も、その一環なのかな)
「時代が移ろうごとに、あるいは国を移動するごとに、その時代、その国の文明に関する知識を一から仕入れた。自分が誰かに教えることができるように。だからまぁ、それなりに物知りにもなるというものさ」
(それなりに、どころじゃないでしょーが)
また灰色の光が日向を包み、景色が切り替わる。今度は近世のアメリカの都市のようだ。日向と狭山は今、レトロな雰囲気の街の中にいる。
「教育だけでなく、『何か新しいものを生み出したい。世紀的な発明に挑戦したい』と望む人たちに資金や技術的助言を提供したこともあった。この地上から『星の力』が消えてしまった以上、次に利用するべきは科学力だった。『星の心臓』がある次元まで移動することができる次元跳躍装置などを作ることができれば、この星を殺しに行くことができる。そのために、人類の文明レベルを少しでも押し上げておきたかった」
(たしか狭山さんは、ARMOUREDのレイカさんのお父さんにも義体の技術についていくらか助言したって言ってたな。あれも、この星を殺すための行動の一環だったのか……。あれ? いやでも待てよ?)
日向は、今の狭山の言葉に引っかかりを感じた。
今の狭山の口ぶりからすると、この星を滅ぼすためにも、狭山は積極的に人類の文明の進歩を後押ししてきたようだった。時には自ら、発明家たちに助言を与えて。
しかし狭山は、先ほどはこうも言っていたはずだ。「この星の文明は、この星の人間たちの手で育てていかなければならない。外部の者があまり口出しするべきではない」と。人間へ教育を授ける際、あまり人間の歴史に深入りしないよう配慮する姿勢まで見せていた。この食い違いは何なのか。
(途中で『そんな悠長にしてはいられない』って心変わりした? いや、そんな単純な話じゃない気がするな。そもそも狭山さんはさっき、全て滅ぼしたいくらい怨んでいるこの星を『全部ひっくるめて愛してる』とも言ってたよな? なんだこれ、異常だぞ?)
これはどういうことなのだろうか。まるで狭山が二人いるかのようだ。この地球を愛し、我が子の成長を見守るように生きてきた狭山。そして、この地球を憎み、あらゆる手段を講じて一刻も早くこの星を滅ぼそうとした狭山。彼の中に、明確に食い違う二つの思想が内包されている。
再び灰色の光。
今度の時代は現代のようだ。
そしてこの場所は、どこかの街の上空。
(この街は……十字市だ)
そこは、日向が暮らしていた街だった。
そして狭山が、日向が見ている目の前で、『太陽の牙』を地上へと落とした。
「そして現在。自分は、自分が見た予知夢に従って、『太陽の牙』を一人の少年に預けてみることにした。彼ならきっと、自分の悲願を果たしてくれる。彼ならきっと、星を滅ぼしてくれる。そう信じたんだ」
狭山がそう言い終わると同時に、再び灰色の光が日向の視界を塗り潰す。
しかし、今度の光はひときわ強い。
恐らく、この記憶の終了を告げる光だ。