第1110話 悲しむ間もなく
オリガが死んだ。
北園は顔を両手で覆って泣き崩れた。
日向は、泣きそうになる己を律するように瞳を固く閉じ、歯を食いしばっていた。
日向と北園の二人から少し離れたところで、日影が座り込んでいる。彼もまたオリガの死を受けて、いたたまれない表情を浮かべていた。
激しかった戦いが終わり、静かになったこのミサイル管制施設で、北園の泣き声だけがしばらく響き続けた。
数十秒ほどして、ようやく三人の悲しみはひと段落。
日向はオリガの身体を支えたまま、この施設の奥にあるミサイル制御用のメインコンピューターに目を向けた。
「……あまり悲しんでばかりだと、きっとオリガさんから文句言われる。ミサイル発射の用意をしておこう。エヴァはうまくプルガトリウムを弱らせることができたかな……」
「ぐす……うん……そう、だね……。でも、戦いが激しかったせいで、コンピューターも派手に壊れちゃってるね……。ちゃんと動くかな……?」
「オリガさんがクーデターを起こしたときは、手持ちのタブレット端末みたいな装置でミサイルを操作してたよな。それなら無事かもしれない。ついでに探してみよう……」
……と、日向と北園がやり取りを交わしていた、その時だった。このミサイル管制施設に、ひどく慌てた様子で駆け込んできた人影が一つ。
やって来たのは、やや気弱なロシア兵のイーゴリだった。このミサイル管制施設に入ってくるや否や、キョロキョロと周囲を見回している。どうやら日向たちのことを探しているようである。
イーゴリは日向たちを見つけると、まっすぐ駆け寄ってきた。
「ああ、見つけた日下部くん! ジナイーダ少将を倒したのか!
……あ、君が抱いている彼女は、まさか……」
イーゴリは、日向が抱いているオリガの姿を見て、固まってしまった。
彼も気づいたようだ。もうオリガは終わってしまっていることに。
「そうか……。彼女はここで死んだのか……」
「……はい」
「僕たちロシア兵たちは、クーデターのこともあるから、彼女のことについては複雑な気持ちだけど……うん、今は素直に、悲しいよ……」
また、日向たちの間に沈黙が流れた。
しかしその沈黙は、イーゴリの声によって数秒で終わる。
「……っと、ゴメン。ゆっくりさせてあげたいけれど、そんな場合じゃないんだ! 大変な状況なんだ! もう僕たちも、ここでみんな死んじゃうかもしれないんだよ……!」
「な、なんですって!?」
そのイーゴリの言葉を聞いて、日向も表情を切り替えた。北園も、離れたところでやり取りを見ていた日影も、イーゴリの声に耳を傾けている。
「エヴァ・アンダーソンはプルガトリウムとの戦いに敗れてしまった。あの子もすごい頑張ってくれたんだけど、運が味方してくれなかったというか……」
「そうですか……。エヴァは無事なんですか?」
「うん。意識は失っているけれど、命までは落としていない。ただ、エヴァが倒れたことでプルガトリウムが一気にこの基地まで侵攻してきたんだ。もう奴は基地のすぐ近くにいる!」
「それじゃあ、急いで核ミサイルの発射を……」
「それも、もうダメなんだ! プルガトリウムがこの基地に近づきすぎている! ここでミサイルを発射してプルガトリウムを爆破できたとしても、ミサイルの爆風はこの基地を大きく抉って、地下に避難する僕たちも巻き込んでしまうんだよ! 基地の地下が核シェルターとして機能しなくなっちゃうんだ!」
「そんな……!?」
「地下の下水道から基地の外へ逃げようにも、プルガトリウムのマグマはすでにここら一帯に広がっている。下水道を抜けた先で、また独立して動くマグマに襲われる可能性が高い。そもそも、あのプルガトリウムの巨体が相手じゃ、人間が走って逃げのびることさえ難しい……」
これは、いよいよ大変なことになってきた。核ミサイルを使えば人間側にも大勢の犠牲者が出るし、プルガトリウムを振り切って逃げることができる手段もない。倒すことも逃げることもできない。ほぼ完全に詰んでいると言ってもいい。
北園が心配そうに、日向に声をかける。
「ど、どうしよう日向くん? 私がイチかバチかで、プルガトリウムに全力の超能力を撃ち込んでこようか?」
北園の質問に、日向は答えず、目をつぶって何かを考えこんでいる。
あるいは、何か決意を固めているような様子にも見える。
やがて日向は目を開き、北園の質問に答え始めた。
「いや……北園さんは、イーゴリさんと日影の二人と一緒に、この基地に地下に避難しておいて。プルガトリウムは、俺が相手をする」
「ええ!? 日向くん一人で!? で、でも、勝てるの!?」
「分からない……やっぱり勝てないかもしれない……。でも残念だけど、北園さんの超能力じゃ、もっと勝ち目はない。プルガトリウムの熱量は異常だ。ただの異能でプルガトリウムを超える火力を出すことはまず不可能だ。でも、同じ『異常な火力』を持つ『太陽の牙』なら、あるいは……」
「日向くんの”紅炎奔流”はたしかにすごい火力だけど……それでも、あのプルガトリウムを倒し切るには、まだまだ全然足りないと思うよ……?」
心配そうに、そう日向に尋ねる北園。
日向はうなずくが、諦めの色は見せていない。
「確かに北園さんの言う通りだ。俺の今の”紅炎奔流”じゃ、間違いなくプルガトリウムには勝てない。でも俺は、『太陽の牙』にはまだパワーアップできる余地があると思ってるんだ。この土壇場で、そのパワーアップが発動してくれれば……」
「む、無茶だよ!? そんな、するかどうかも分からないパワーアップを当てにするなんて……!」
「できる気がするんだ。俺を……『太陽の牙』を、信じてくれないかな、北園さん」
日向にそう言われると、北園は黙り込んでしまった。
そして唐突に、日向に抱き着いてきた。
「わ……と、北園さん?」
「日向くん、お願い。負けないで。絶対にプルガトリウムを倒して。私がマグマに焼かれて死ぬだけなら良いの。でも、もうこれ以上、大切な人が死んでいくのは嫌なの……!」
「北園さん……。分かった、必ず勝つから」
「約束だよ?」
「うん。約束する。北園さんも、他の人たちも、絶対に死なせはしない」
日向はしばらく北園を抱きしめ、それから離した。
それから、オリガの遺体を北園に任せて、イーゴリや日影にも声をかける。
「今の話の通りです。プルガトリウムは俺が相手をしに行きます。イーゴリさんも北園さんたちと一緒に地下へ避難しててください」
「わ、わかった。僕からも頼むよ。必ず勝ってね、日下部くん……!」
「はい。……日影は、自力で避難できそうか?」
「悪ぃが、もう一歩だって動けねぇ。どうせオレはマグマに巻き込まれても復活できるんだ。オレはここに置いて、テメェらだけで行け」
「ん……分かった。申し訳ないけど、北園さんもイーゴリさんも一刻も早く避難しないといけないだろうし、そうさせてもらうよ」
「おう。負けんじゃねぇぞ、日向」
「ああ、分かってる」
日影に返事をする日向。
それから、日向と北園たちは、それぞれその場から移動を始めた。
日向は基地の外を目指して。北園たちは地下を目指して。
『太陽の牙』を握る手に力を込めながら、日向は思う。
「オリガさんの死が、俺の心を強烈に打ち据えたような感覚がある。何か吹っ切れたような感じだ。もしも『太陽の牙』が、俺の心の成長に応じてパワーアップするというのなら、今の俺は”紅炎奔流”も余裕で超えそうな火力が出せる……そんな気がするんだ」