第101話 試験結果
数日にわたるテスト期間を終えて。
「はあああああ~………」
この世の終わりを前にしたかのような、絶望感の入り混じったため息が聞こえる。
声の主は北園……ではない。日向だ。
いつぞやの北園と同じように、机に突っ伏して動かない。
そんな日向の元に、シャオランがやって来た。
「ヒューガ、見て! 国語の大問4の漢文が満点だったよ!」
「そりゃそうだろシャオラン、母国語だろ……。レ点とかむしろ邪魔だったんじゃないか?」
「えへへ……」
苦笑いしながらシャオランは頭を掻く。
当のシャオランの成績と言えば、全体的にかなり高い。
聞いたところ、彼の友人にして同居人のリンファから、日々勉強を教えてもらっているらしい。彼女の教え方も相当上手いのだろう。
(美人の同級生に勉強を教えてもらうとか、これがリア充でなければ何なのか。爆ぜてシャオラン)
と、そんな二人の元に北園もやって来た。
花が咲くようなニッコニコの笑顔である。
「見て見て日向くん! 数学が80点だった!」
「ああ、よかったね北園さん……運命を変えたね……」
「……なんか元気ないね? テスト、良くなかった?」
「まぁこれを見てくれ……」
そう言って日向は自身の答案用紙を並べる。
その内容に、二人の笑顔が消し飛んだ。
「うわぁ……。これは、なかなか……」
「中国人のボクより、国語の点数が低い……」
5教科だけ見ても国語60点、数学40点、社会45点、化学45点、英語70点と、あれだけ頑張ったにしては散々たる結果だった。
ちなみに、これで一応、彼の高校生活史上最高の合計点である。
だが当然、日向が期待していた合計点は、こんなものではなかった。
「ヒューガ、結構真面目に勉強してたよね? それでこれかぁ……」
「何というかなぁ、いざ本番となると、今まで覚えてきたことが頭の中から全部消え去ってしまったような感じがして……本番に弱いのかなぁ、俺……」
言いながら頭を抱える日向。
彼はなかなかどうして、勉強というものがどうにも苦手な人間である。
その時、日向の数学の答案を見ていた北園が口を開いた。
「……あ、これって……」
「何? どうしたの北園さん?」
「私、夢に見た40点の答案って、名前の欄までは見てなかったんだよね」
「……それってつまり、北園さんの答案じゃなかったかもってこと?」
「うん。それでね、この日向くんの答案、夢に見た」
「つまり、俺の答案だったのかよぉぉぉぉぉぉ……」
70点いけるかも、とは何だったのか。
日向の性根は燃え尽きた。真っ白にな。
◆ ◆ ◆
学校が終わった後、「日向の成績が見たい」と言う狭山のために、日向は狭山達が住む家、マモノ対策室十字市支部に来ていた。
「はははははは! おっもしれぇ! 北園が40点取る夢を見て? 自分は70点くらい取れるかもと思ってて? いざ終わってみたら自分が40点で? 北園が夢に見た答案はお前の答案って! 笑うわ! ははははは!」
事の顛末を聞いた日影は、日向の目の前で笑い転げていた。
当然、日向は良い気分ではない。日影に向かって抗議の声を上げる。
「ええい笑い過ぎだ! そんなに笑うことないだろ! 笑うなー!」
「笑うに決まってんだろーがこんなの! 腹痛ぇ!」
「そのまま腹痛で死んじまえ!」
「北園の心配なんかしている場合じゃなかったなぁ! オレが替え玉受験してやった方が良かったんじゃねぇかぁ?」
「こんちくしょう……割と良いアイデアに感じるのが余計に腹立つ」
歯を食いしばり、悔しさで肩をプルプルと震わせる日向。
いっそ『太陽の牙』を呼び出して日影を叩き切ってやろうか、とも考えるが、どうせ敵わないだろうし、家の中で暴れるのは迷惑だろうからやめておいた。
「ふーむ…………」
一方、狭山は日向の答案をしげしげと眺めていた。
その様子を見ると、日向は気まずい思いに駆られる。
狭山もマモノ対策室の仕事が忙しい中、多大な時間をこちらにまわして勉強を教えてくれたのだ。それなのにこの体たらく。日向としては彼に合わせる顔が無い。
「……日向くん」
「は、はい」
狭山の静かな呼びかけに、緊張しつつ応える日向。
狭山はきっと怒っているのだろう、と日向は思っていた。
(うわぁ絶対怒られる。よし、開口一番謝るぞ。そうするぞ)
そして、狭山が口を開くと同時に、日向は頭を下げた。
「……お疲れさま!」
「はいスミマセンでした!」
「え?」
「え? ……え? あれ?」
しかし日向の予想に反して、狭山は笑顔で日向を労った。
「あれ……? 狭山さん、怒ってないんですか?」
「え? なんで?」
「……さっきの『お疲れさま』は、戦力外通告とか言い渡す時の挨拶ですか? 『お疲れ様さま、君もう来なくていいよ』みたいな」
「むしろ来てくれないと困るんだけど……。君は『太陽の牙』の使い手なんだから」
戸惑う狭山に、日向は自分が思っていたことを伝える。
狭山に勉強を教えてもらいながら、思うように点が取れなかったこと。
それを受けて、狭山は怒っているのではないかと思っていたこと。
「なぁんだ、そんなことか。全然怒ってないよ。結果はどうあれ、日向くんはしっかり真面目に勉強を頑張ってくれていたからね。あれだけ嫌がっていたのに。君は立派に努力してみせたんだ」
「でも数学とか40点ですよ……?」
「それでいいさ」
穏やかな口調で日向を落ち着かせると、狭山は続ける。
「人間は結果や数字を重要視する生き物だ。それ自体は間違いじゃない。むしろ社会で生きていくには必要なことだろう」
「そうですね。悲しいことに」
「……けど自分は、その結果や数字を生み出す過程にこそ、目を向けたいと思っている。その結果や数字を生み出すのに、どんな努力をしてきたか。もしそれが、今後の人生を彩る素晴らしい努力であったなら、どんなに結果や数字がお粗末なものでも『良い仕事をしたね』と言えるような人物でありたい」
「結果より、過程に……?」
「うん。だから、君の数学の40点という数字だって、自分にはそれ以上の価値がある。君は、自分の期待に応えようと思ってこの一週間、大嫌いな数学に真摯に向き合ってくれたのだから」
「…………。」
ポカンと口を開いて硬直する日向。
叱られる覚悟でここに来たのに、逆に褒めちぎられているこの状況に、頭の理解が追い付かない。
「……アンタ聖人か何かかよ」
そんな日向の思いを代弁するかのように、彼の影である日影が口を開いた。
「いやまさか」と、狭山は軽く否定する。
「それに、だ。何だかんだ言って合計点自体は前回より上がっているんだろう?」
「まぁ、一応……」
「特筆すべきは英語だ。前回の点数からなんと40点も上がっている。日頃の英語の勉強が活きた証だろうね。いや素晴らしい。努力が実る瞬間というのは、やはりいつ見ても素晴らしいものだ」
「人間の努力が好きなんですか?」
「うん。大好きだね。自分はね、頑張った者は報われるべきだと思ってる。夢や目標に向かって努力した者がその願いを叶える瞬間。それは、何よりも尊いものだ。基本的にハッピーエンド至上主義者なんだろうね、自分は」
そう語る狭山の表情は、実に恍惚とした、興奮に満ち溢れた様子だった。
彼が、心の底から人の努力が好きなのだということが伝わってくるようだった。
しかし、一体何が彼をここまで『努力』というものに引き寄せるのか。日向は気になり、尋ねることにした。
「なんでそんなに『努力』が好きなんですか? 昔、何かあったとか?」
「んー、そうだね……。強いて言えば『人間が好きだから』かな? 人間は努力する生き物だから、『努力』が好きなのもその延長線上ってことで」
「人間が好きだから……」
「うん。まぁそこは色々あってね。……おっと、好き放題語っていたらすっかり暗くなってしまったね。日向くんも、そろそろ家に帰った方が良いんじゃないかい?」
「あ、そうですね。そろそろ帰らないと。狭山さん、今日はありがとうございました」
「気にしないで。次は一緒にさらなる高得点を目指そうじゃないか!」
「お、お手柔らかに……」
苦笑いしながら、日向は去っていった。
日向が部屋から出ると、日影が狭山に話しかける。
「……よお狭山。さっきアンタ、頑張った者が報われる瞬間が好きって言ってたけどよ、『勝負』についてはどう思う?」
勝負。
それは、互いの努力をぶつけ合う行い。
報われるものと報われないものが同時に生まれる所業。
「……意地が悪い質問だねぇ」
狭山は頭を掻きながらも、答える。
「ハッキリ言って、嫌いだね。勝負事は。……とはいえ、勝者と敗者もまた、人の歴史であり、生物ならば避けては通れぬ摂理だ。それを嘆きこそすれど、否定はしないよ」
「そうかい。……もう一つ良いか?」
「何だい?」
「……オレとアイツ、生き残るべきはどちらだと、アンタは思っているんだ?」
「……またきっつい質問をしてくれるねぇ」
「悪いな。だが、聞いておきたかった」
日向と日影。
日影は元々、日向の影であった。
それが『太陽の牙』の力で分離した存在、それが日影である。
肉体と影、同時に存在するにはタイムリミットがある。
然るべき時、二人は互いの存在をかけて決着を付けなければならない。
それに対して、狭山はどう思っているのか。
「『全てを丸く収める』という点で言えば、生き残るべきは日向くんだろうね」
「……やっぱりか」
「うん。……けど、君だって今ではこの世に生を受けた、一人の立派な人間だ。君にだって努力して生き残る権利はある、君が強くなりたいと言うのであれば、自分はそれを応援しよう。その結果、日向くんが不利になってしまうのだとしても。……だがもちろん、逆もまた然り、だ」
「……そう言ってくれて、少し気が楽になったぜ。んじゃ、日向に負けないよう、ロードワークにでも行ってくるか!」
「もう暗いから気を付けて行くんだよー」
元気よく家を飛び出す日影を、狭山は温かい眼差しで見送った。