第1106話 最後の忠誠
エヴァが気絶してしまった。倒れた彼女の周囲では、プルガトリウムが地中から侵攻させてきたマグマが次々と噴き出している。このままでは、エヴァにマグマに巻き込まれるのも時間の問題だ。
エヴァが気絶したことで、空を覆っていた黒い雨雲も薄れてきている。その雨雲を一気に押しのけるように、プルガトリウムが背中の突起群を一斉に空に向かって伸ばす。
プルガトリウムが伸ばした背中のマグマ状の突起は、雨雲と同じくらいの高さまで到達すると、透明の天井にでもぶつかったかのように円状に広がった。その際、巻き込まれた雨雲も、広がるマグマによって吹き飛ばされてしまった。
背中の突起が次々と空中で広がり、まるで空が大きなマグマの海のようになった。灼熱のマグマ色に染め上げられた空から、超熱の溶岩がボトボトと滴り落ちてくる。森も、ホログラート基地も、地獄のような業火に包まれる。
「ま、マグマが降ってくるぞー!」
「雨が止んじまったせいで、もうプルガトリウムの破片が弱らねぇ! これじゃ俺たちだけでは止められねぇぞ!」
「降ってくるマグマも、破片として独立して行動しやがる! 駄目だ、このままじゃマグマに囲まれる!」
「も、もう無理だ! ここはもう逃げるしかない!」
プルガトリウムの破片と戦っていた生存者たちは、迫りくるマグマを恐れて逃走。エヴァが倒れていることに気づいた者も何人かいたようだが、すでにエヴァの周囲にも相当な量のマグマが溢れている。とても助けには行けないと判断し、この場を離脱した。
そんな中、ロシア兵のシチェクとイーゴリも、エヴァが倒れていることに気づいた。
「ぬぅ!? 見ろイーゴリ! あの少女が……エヴァ・アンダーソンが倒れている! 助けなければ!」
「わ、本当だ!? でも、あの子を取り囲むマグマもすごい量だよ!? このままじゃ、助けた時にはマグマの海のど真ん中で孤立することになっちゃうんじゃ……」
「後先のことなど知らぬ! 今は救助が優先だ! ぬぅん! 岩纏!!」
「あ、ちょっとシチェク!?」
イーゴリが呼び止めるのも聞かず、シチェクは岩を纏って大きな岩人間となり、そのままエヴァのもとへ。
エヴァのもとに到着したシチェクは、自身が操作する岩人間の両手でエヴァをすくい上げる。
「確保! このシチェク様が来たからにはもう安心だぞ!」
「う……」
エヴァが小さく声を発するが、まだ意識は戻っていないようだ。
シチェクはエヴァを拾うと、さっそくこの場からの離脱を図る。
……だが、すでにシチェクとエヴァの周囲は、マグマの海と化していた。シチェクとエヴァがいる場所はまるで絶海の無人島のように、広大なマグマに取り囲まれてしまっている。
「ぬぅぅ!? しまった、もうこんなにマグマが……!」
「シチェクー! ああもう言わんこっちゃない!」
焦りの表情を見せるシチェク。対岸にいるイーゴリも、シチェクたちが無事に助かるかどうか、気が気でない様子だ。
シチェクたちを取り囲むマグマが、自ら動き始める。まるで周囲から津波が取り囲んでくるかのように、マグマが全方位からシチェクに襲い掛かってきた。
「い、いかん!」
シチェクは岩人間の形態のまま、その場でうずくまる。
岩の腕には今もエヴァを抱いていて、うずくまった岩人間の身体の下に隠した。
それから、マグマの大波がシチェクに降り注いだ。大量の超高熱をぶっかけられて、シチェクの岩人間がみるみるうちに融解させられていく。
やがて岩人間の中にいるシチェクの背中にも、プルガトリウムのマグマが達し始めた。
「ぬぁぁぁぁ!? ぐぅぅぅ……熱いな……! これは流石の俺様もたまらん……!」
シチェクは背中まで侵入してきたマグマによって、背中に大やけどを負ってしまったようだ。しかし彼の決死の守護があって、エヴァは無傷で守り通すことができた。
「よし……! それでは、あとはこのマグマの海を突破するだけだな……! 俺様の岩人間の大きくて強い岩の足ならば、マグマに溶かされる前に向こう岸へ渡り切れるのではなかろうか!」
誰に向かって尋ねるでもなく、一人でそう叫ぶシチェク。
……だが、メインターゲットであるエヴァを、プルガトリウムがみすみす逃がすはずもない。プルガトリウム本体は目の前の大地を右腕で殴りつけた。すると、叩きつけられて崩れた右腕が、火砕流となってホログラート基地に流れ込む。
火砕流となったプルガトリウムの右腕は、当然ながらシチェクにも襲い掛かる。先ほどマグマの海が独りでに動いた時とは、明らかに波の勢いが違う。これに巻き込まれれば、シチェクは岩人間状態であろうと即座に焼き尽くされるだろう。
「か、回避も防御もできん……! おのれぇぇ、この無敵のシチェク様をこうまで追い込むとはなぁぁ……!」
自分はもう、ここまでなのだろう。
それを悟ったシチェクは、忌々しそうに微笑みながら、プルガトリウムに向かってそう叫んだ。
……だが、その時だった。
シチェクたちがいる場所に向かって、何かが猛スピードで飛んでくる。
そのシルエットは人型のようだが、薄羽を羽ばたかせている。
何者かがシチェクたちの前に着地する。
迫りくるプルガトリウムの火砕流から庇うように。
そして、素早く地面に手を突いた。
すると、その何者かが手を突いた地面から赤い氷が発生。
氷は一瞬のうちに大量に生成され、巨大な氷壁となった。
火砕流が、赤い氷壁と激突する。
プルガトリウムのマグマの温度は3000℃を超える。
氷の壁など、一瞬のうちに崩壊させられてしまうだろう。
しかし、赤い氷壁は持ちこたえている。
大量の水蒸気を上げながら、プルガトリウムの火砕流を食い止めている。
そして、その一方で。
シチェクは、自分たちを助けてくれた何者かを見て、驚愕の表情を浮かべていた。
「お前……。その赤い氷……その姿……は、俺様が最後に見た時とちょっと違うが……赤鎌型のレッドラムか!?」
シチェクの言う通り、彼らを助けてくれたのは赤鎌型のレッドラム……コールドサイスだった。赤い氷の甲冑を脱ぎ捨て、人間の顔を晒した姿で、シチェクたちの前に立っている。
「ええ……。ワタシは、アナタたちが『赤鎌型のレッドラム』と呼ぶ者で間違いないわ」
そう答えて、コールドサイスは再び地面に手を突いた。すると、シチェクたちの後ろに向かって、氷の道ができあがる。氷の道はマグマの海の上にかけられて、容赦なくマグマに焼かれているが、溶けて崩壊する様子は今のところ全くない。
「さぁ、この赤氷の道を渡って行きなさい。ワタシの氷は”怨気”でコーティングされているから、物理的な衝撃にはともかく、熱にはめっぽう強い。あなたたちが逃げ切るまでは保つはずよ」
「そ、それより聞かせろ! なぜ俺様を助ける!? 敵であったはずのお前が!」
「あなたが守ってくれたその子を……エヴァを助けるためです。ワタシはいったい何のために戦うか、誰のために戦っていたか、ようやく思い出せたから」
二人がやり取りを交わしている間にも、プルガトリウムのマグマが襲い掛かってくる。左右から津波のように押し寄せてきたマグマを、コールドサイスが氷壁を増設して食い止めた。
「時間がないわ。プルガトリウムのマグマが強すぎる。ワタシの氷でもあまり長くは耐え切れない。あなたは早く、エヴァを連れてここから逃げなさい!」
「う、うむ! 恩に着る! お前も早く逃げるが良い!」
そう言い残して、シチェクはコールドサイスが作り出した氷の道を渡り、マグマの海を越えた。対岸でシチェクを心配そうに見守っていたイーゴリと共に、基地の建物へと走る。
そしてコールドサイスはというと、その場でジッとしていた。マグマにどんどん砕かれていく氷壁を眺めながら、満足げな笑みを浮かべて。
「逃げろとは言ってくれたものの、ワタシも今度こそ限界ね……。日下部日向から受けたダメージは、すでに致命傷に達している。ここまで動けたのが奇跡だった。これで少しは日下部日向や、ワタシが奪ってしまった命たちに借りを返すことができたら良いのだけど」
氷壁の一部を破壊して、マグマが流れ込んでくる。
流れ込んできたマグマが、コールドサイスの足元を焼く。
それでも、コールドサイスの安らかな表情は変わらない。
「エヴァ。強く生きて。アナタもワタシと同じくマモノ災害という過ちを犯してしまった身かもしれないけれど、アナタならきっとまだやり直せる。だって、アナタは本当はとても優しい子だから。ワタシたち親衛隊はアナタの、自然を思いやってくれる姿に共感して、アナタを守ってきたのだから」
やがて、プルガトリウムのマグマが氷壁を完全に破壊。
コールドサイスは、灼熱の溶岩に呑み込まれた。
プルガトリウムを止める者は、もう誰もいない。
全てを焼き尽くすべく、プルガトリウムはホログラート基地に向かって侵攻する。
「vooooooooooooooooooo...!!!」