第100話 学期末試験
2月も下旬に差し掛かったある日。
狭山達の住む家、マモノ対策室十字市支部に日向と北園が集まっていた。
狭山が二人に話を切り出す。
「ところで二人とも。そろそろ学期末試験とやらがあるんじゃないかな?」
「あー、ありましたね、そういうの……」
気まずそうな表情で日下部日向が答える。
この少年、勉強はからっきし苦手としている。
テストなどというものは、叶うならば一生忘れていたいシロモノである。
「日向くん。率直に聞くけど、自信はあるかい?」
「カケラほどもありません」
「そうかい。正直な感想をありがとう。北園さんは?」
「んー、私の場合、得意なものはとことん得意で、苦手なものはとことん苦手なタイプなんですよね」
「ああ、なるほど。ちなみに、得意な教科と苦手な教科は?」
「文系全般が得意で、理系全般が苦手です」
「あ、ちなみに俺は全部苦手です」
「そうかそうか。ふむふむ……」
狭山はしばし考えこむと、口を開いた。
「……よし! 今日からしばらくは君たちのテスト勉強を手伝うとしようか!」
その言葉を聞いて顔をしかめたのは、勉強嫌いな日向である。
「えー。勉強しなきゃダメですか? マモノ退治もありますし、勉強にばかり集中するワケにもいかないんじゃないですか? 赤点ギリギリ越えられるくらいで頑張りましょうよ」
「ダメ! マモノ退治を勉強ができない言い訳に使うのはナシだよ! 部活をしながら勉強を頑張る学生がいるように、仕事をしながら資格の勉強をする社会人がいるように、マモノ退治と勉学は両立できる!」
「うえー……どうしても?」
「どうしてもだよ。付け加えると、『マモノ退治してるから成績が下がりました』なんて言われたら、室長である自分が責任問題に問われちゃうじゃないか!」
「絶対それが一番の理由ですよね……?」
「狭山さんって、仕事に真面目なのか不真面目なのか分からないときがあるよね」
呆れる日向と北園に向かって、狭山は話を続ける。
「まぁ心配しないで。他人にものを教えるというのは慣れている。普段君たちに教えている英語だけでなく、他の全教科も滞りなく教えられると思うよ」
「アンタ本当に万能ですよね……」
「こればっかりは年季の差だね。……というワケで、二人には全教科70点以上を目指してもらうよ!」
「いきなり目標が高い……。こっちは平均40点あるかないかですよ?」
「高い目標にチャレンジするのも人生の醍醐味だ! 早速数学から始めようか!」
「ぎゃああ何でよりによって俺が一番苦手な教科を最初に」
こうして二人のテスト勉強が始まった。
◆ ◆ ◆
その日の夜。
既に日向たちは今日の勉強を終えて、それぞれの自宅へと帰っている。
「……何だこれ」
マモノ対策室十字市支部にて、日影は疑問符を浮かべる。
家のあちこちに、何やら文字が書かれた紙が貼ってある。
ドアに、壁に、床に、階段に……。
とにかく、あちこちに何かが書かれた紙が貼ってあった。
「……これは数学の公式か? こっちは、英単語……? 何かの勉強か?」
日影の言う通り、それらはどうやら勉強に関係するもののようだ。
この家にいるのは狭山と的井と、あと自分のみ。
狭山と的井のうち、こんな訳の分からないことをやりそうなのは……。
「狭山だろうな」
一切の迷い無く、日影は呟いた。
事の理由を聞くために、日影は狭山を探す。
狭山は意外とあっさり見つかり、リビングの椅子に例の紙を貼っているところだった。
「おい狭山。何だこれは。あちこちに紙が貼ってあるぞ」
「ああ日影くん。これはね、日向くんたちの試験勉強に使うんだよ」
「どうやって使うんだよ。やたらめったら貼りやがって。家中紙だらけだ」
「それで良いんだよ。どこを見ようと数式や英単語、年号や人物名が書かれている。これなら嫌でも内容を覚えてしまうだろ?」
「……ああ、そういうワケか」
つまりこの男、日常生活をも勉強に利用するつもりなのだ。
日向と北園がこの家に来た時、どうあがいてもこの大量に貼られた紙に目が行くだろう。それはきっと、この家にいる間に何度も目にすることになる。そうすれば、わざわざ暗記のために時間を割くことなく頭に刷り込まれる、というワケだ。
「どこぞの私立小学校でもこういうことをやっているらしいよ。いや、考えたよねぇ」
「これで日向の成績が大して上がらなかったらお笑いだけどな」
ほくそ笑む日影に対して、狭山は告げる。
「きっと大丈夫だよ。何だかんだ言って、今日は日向くんも真面目に頑張っていたしね。努力した者は報われるべきだ。頑張って頑張って、結局何も成し遂げられないなんて、そんなの悲しいだろう? そんな思いは自分がさせない。必ず彼に良い成績を取ってもらうさ」
「……いや全く、おせっかいなヤツだよアンタ」
「はは。よく言われる」
すると日影は、特に頼まれたワケでもなく、狭山の用意していた紙をいくつか手に取り、その辺りに貼り始めた。
それを見た狭山は静かに、優しく微笑み、自身の作業を再開した。
◆ ◆ ◆
それから日向と北園は、狭山の元で必死に勉強した。
狭山の教え方は見事なもので、勉強嫌いな日向でもよく理解できた。
そして彼の宣言通り、全教科を一人で完璧に教え上げて見せた。
その教養の深さたるや、並の高校教師では太刀打ちできないほどである。
日向と北園の二人は、家に帰ってからも自習を欠かさなかった。
……とは言え、日向は合間にゲームで遊んだりもしたのだが。
それでも普段の彼にしてみれば、相当勉強に時間を割いていたと言えるだろう。
(あれだけ教えてもらって、大して点数が良くなかったら、狭山さんにも悪いもんなぁ)
それが今回の試験における日向の原動力だった。
ゲームにのめり込みそうになると、この気持ちを思い出し、嫌々ながらも机に向かって己を律した。
そして迎えた3月。学期末試験初日。
その日の朝、日向が教室に入ってくると、北園が机の上で突っ伏していた。
「はあああああ~………」
大きなため息が聞こえる。
この世の終わりを前にしたような、絶望感の入り混じったため息だ。
「どうしたの北園さん。やけに元気が無いけど」
「あー、日向くん……。今日、嫌な夢見たんだー……」
「夢? もしかして予知夢?」
「うん。私の数学のテストの答案が、40点だった……」
「あー……」
日向は、勉強期間中の北園の様子を思い出す。
彼女は狭山に集中的に数学を教えてもらい、かなり自信が付いていたようだった。「もしかしたら80点くらいいけるかも!」とよく言っていたものだ。
それが、予知夢では40点だという。
日向が知る限り、北園の予知夢は外れた試しがない。死の宣告だ。
「ま、まぁあれだ。北園さんの夢って、頑張れば回避できるんでしょ? 北園さんはちゃんと頑張ってたんだし、夢は夢で終わるかもだよ?」
「無理だよぉ……。どうあがいても40点だよぉ……。仮に何かの拍子で40点以上取れるとしても、私が40点になるように調整しないと……」
「え? 調整? なんで?」
日向は首を傾げる。
40点以上取れるなら、それで良いではないか。
なんでわざわざ自分から、夢と同じ40点に合わせるのか。
「あっ!? あー、えーと………そ、そうだよね! 別に合わせる必要なんかないよねテストなんかで! 何言ってるんだろーねわたし!」
「あ、ああ、そうだね……?」
北園の勢いに気圧されて、日向は思わず同調してしまう。
北園が何かを抱え込んでいる様子なのは明白だが、同調してしまった手前、改めて聞き正すような度胸を、日下部日向は持っていなかった。
「えーと、日向くんはどう? テスト、調子良さそう?」
「あー、うん、まぁ、ぼちぼち?」
そう言う日向であるが、密かに自信はあった。
多少ゲームで遊んだこともあったが、テストの勉強時間については間違いなく過去最長。狭山の教え方も本当に分かりやすかったと感じている。
これは、過去最高の合計点が叩き出せるのでは、と期待していた。
なんなら苦手な数学でも70点とかいけるんじゃないか、とも思っていた。
「そっか! 日向くんも頑張ってたし、きっといい点取れるよ! お互い頑張ろーね!」
「……ああ、頑張ろう!」
どうやら北園の調子も戻ってきたようだ。
互いの健闘を祈り合いながら、二人は期末考査へと挑んだ。




