第1086話 安らぎは平等に訪れる
――思い出せない。
――なぜ自分は戦っているのか、思い出せない。
――自分の意思とは関係ない破壊と殺戮の衝動が、ワタシを動かしている。
――それがひどく悲しくて、虚しくて、腹立たしかった。
――目の前の彼を……日下部日向を殺すという目標だけは、なんとなく憶えている。
――彼を殺せば、何かが変わるかもしれない。
――すがるような気持ちで、ワタシは彼を殺そうとした。
◆ ◆ ◆
アンドレイとキールがボロボロになりながらも退却する中、日向は赤鎌型のレッドラムに最後の猛攻を仕掛けていた。
「るぁぁぁぁっ!!」
がむしゃらに剣を振るう日向。自分の失態でロシア兵の二人に大怪我を負わせてしまった。二人を傷つけた赤鎌型と、なにより二人を危険に晒してしまった自分の不甲斐なさに対して、猛烈に怒っている。
赤鎌型は引き下がりつつ大鎌を振るって日向を牽制。だがアンドレイとキールから受けたダメージが大きいらしく、これまでのスピードは大きく削がれている。これなら日向であろうと真正面から対抗できる。
日向の攻撃を回避し続けていた赤鎌型だが、徐々に日向の攻撃が当たり出した。”点火”により超熱の刃と化した『太陽の牙』は、かすり傷でも命取りだ。
「GAAAAAAAA……!!」
赤鎌型は渾身の薙ぎ払いを繰り出し、流れを変えようとする。
狙いは日向の首だ。
しかし、日向は『太陽の牙』を下から上へ大きく斬り上げる。
迫ってきていた大鎌の刃を、下から焼き切ってしまった。
武器を失い、丸腰になった赤鎌型。
日向は一気に踏み込み、トドメの一撃を振り下ろした。
「太陽の牙……”紅炎奔流”っ!!」
”紅炎奔流”を使いながらの、大きな袈裟斬り。
炎の刃は赤鎌型の左鎖骨から右わき腹にかけて、斜めに大きく切り裂いた。
「GYAAAAAAAAA……!!」
赤鎌型の絶叫が地下空間に響き渡る。
切り裂かれた傷口から突き抜けるように、炎の奔流が走った。
斬られた赤鎌型はしばらく硬直した後、背中からバタリと倒れた。
まだ生きているが、誰がどう見ても致命傷だ。もう二度と立つことはできないだろう。
倒れた赤鎌型に歩み寄る日向。
アンドレイとキールのために、彼女にトドメを刺す。
近づいてきた日向に対して話しかけているのか、赤鎌型は小さな声でつぶやき始めた。
「ワタシハ……ワタシは……何のために戦っていたの……? 思い出せない……。力を得るため……? アナタという存在が邪魔だから……? 誰かのため……? それとも、ワタシはただ殺すためだけの存在だったの……?」
今の赤鎌型……コールドサイスに、今まで日向に向けてきていた執念のような殺気はない。ただひたすら悲しそうに、言葉を紡いでいる。
そんな彼女を見て、彼女にトドメを刺そうと思っていた日向は、その気が失せてしまった。代わりに彼女の傍までやって来て、声をかける。
「お前が戦っていたのは、エヴァのためだよ。お前はあいつの思想に共感して、あいつの邪魔になりそうな俺を殺そうとしていたんだ」
「エヴァのため……そうだ……なんで、忘れていたのかしら……」
「でも……今はエヴァも俺たちに一定の理解を示してくれて、一緒に共通の敵と戦っている。もうお前は、エヴァのために誰かを殺す必要は無いんだ。そして、レッドラムとして俺たちを狙う必要も無い。もうお前は戦わなくていいんだよ」
「戦わなくていい……。それは、とても当たり前で、でも、ひどいくらいに懐かしいような……」
「お前のせいで犠牲になってしまった人は多い。最期までの間、その人たちに謝っておいてくれ」
そう言って、日向はその場を去った。
放っておけば、コールドサイスはこのまま息絶えるだろう。
「エヴァは、あまり多くを犠牲にしない方針を望んでいた……。ワタシは日下部日向を殺そうとして、関係ない人間もマモノも大勢殺してしまった……。いやそもそも、エヴァのためだとしても、誰かを殺そうとすること自体が誤った考えだったのでしょうね……」
一人残されたコールドサイスは、仰向けに倒れながら天井を見上げ、そう呟いた。しかしその瞳には、どこか力強さが戻っているようだった。
◆ ◆ ◆
コールドサイスのもとを後にした日向は、アンドレイとキールが目指していたドアを開けて地下通路へ。
入ってすぐの壁のところに、アンドレイとキールは寄りかかっていた。キールは日向がやって来ると視線を向けてきたが、アンドレイは意識を失っているらしく、顔を伏せている。
「おぉ、日下部……。どうだ、赤鎌型はやっつけたか?」
「はい。厳密にはまだ生きてますけど、もう助かる見込みは無いかと。それに、途中である程度の自我を取り戻したみたいで、軽く説得してきました。仮に生き延びたとしても、俺たちの敵に回ることはないと思います」
「そうか。あぁ、問答無用で殺し殺されってするよりは、気持ちのいい終わり方かもな」
「それより……すみませんでした……。俺が赤鎌型を足止めできなかったから、お二人は……」
「気にすんなって。これくらいの怪我、俺もアンドレイも覚悟の上だったさ。むしろ俺は……いや、俺たち二人は生き延びたんだ。死んでもおかしくない戦いだったんだから儲けモンだよ」
「そう言ってくれると助かります……。アンドレイさんの容体は?」
「疲れたのか、眠っちまったよ。しばらく起きないだろうな。それより日下部。お前は早く地上に向かえ。他の奴らを手助けしてやれ」
「え? でもお二人を治療する方が先じゃ……」
「プルガトリウムって奴がこっちに来てるんだろ? 早くここを制圧して体勢を整えねぇと、このホログラート基地というデカイ棺桶で皆そろってお陀仏だ。そうなってから後悔しないためにも、できる限り最善の行動を取らなきゃだぜ」
「いや、でも……」
キールの傷も、アンドレイの傷も深い。
とても放っておけるような状態ではない。
日向が彼らにしてやれることは少ないが、それでも何もせずにここに置いていくのは気が引けた。
しかし、そんな日向の気持ちを察してか、キールが再び声をかける。
「気にすんなって。応急処置くらい自分でやれる。『星の力』のおかげで生命力そのものも高くなってるしな。アンドレイは内部のダメージが目立つから、それこそお前にできることは全然ないと思うぞ。こいつは死ぬほど疲れてるから、むしろそっとしてやる方がありがたいはずだ」
「そ、そこまで言うなら分かりました……。地上の方で余裕ができれば、他の人たちをここに向かわせますから! それまで生きててくださいよ!」
「おう、任せとけ。これでも出血には強い体質だからよ!」
「い、今とってつけて考えたような新設定……!」
後ろ髪を引かれるような思いだったが、日向はその場を後にした。
日向の背中を見送ると、キールは壁により深くもたれかかる。
そして、隣にいるアンドレイに声をかけた。
「なぁアンドレイ。俺なんかのために命を投げ出してくれた大馬鹿野郎。お前ならきっとこうしてたよな? 負傷する奴が少しでも減るように、そして日下部の心の負担が減るように、黙ってあいつを送り出したよな……?」
アンドレイは答えない。
彼はキールの隣で、眠るように安らかに、息を引き取っていた。