第1084話 絶望の逃走劇
日向に深手を負わせた赤鎌型のレッドラムは、次はアンドレイとキールを狙う。
アンドレイは、負傷したキールを背負って、この地下格納庫から基地の地下通路へと通じる扉を目指していたところだ。その地下通路への扉まで、残り70メートルほど。
背負われているキールが、アンドレイに声をかける。
「アンドレイ! 後ろから赤鎌型が来てるぞ!」
「何!? 日下部くんは振り切られてしまったか……!」
「このままじゃマジで、二人まとめて後ろからバッサリだぞ! もう俺のことはいいから降ろせ!」
「そんなことは二度と言うなと言ったはずだぞ!」
「じゃあどうすんだ頑固者!」
言い合っている間に、赤鎌型が背中の薄羽を羽ばたかせ始める。超高速移動の準備だ。
「SHIIIIII……!!」
「くそっ! こうなったら少しでも嫌がらせしてやる! アンドレイ、俺のことしっかり掴んどいてくれ!」
そう言ってキールは、アンドレイにしがみついていた右腕を彼から離し、その右腕を自身の背後へと向ける。そして指先を赤鎌型の方へと向けて、不可視の風の弾丸を射出。
風の弾丸は赤鎌型の目には見えないはずだが、赤鎌型は風の弾丸が命中する寸前で左に跳び、回避してしまった。風に巻き込まれた冷気の揺らぎで風の弾丸を感知したのだろうか。
「まだまだ! もっと撃ちまくる!」
キールは赤鎌型に向かって、さらに風の弾丸を連射。
風の弾丸が迫ってくるたびに、赤鎌型は右や左に跳んで弾丸を回避してしまう。
キールが放つ風の弾丸は不可視ではあるが、弾速は本物の銃弾ほど速くはない。赤鎌型ほどの身体能力であれば、乱射されても回避は容易だ。
所詮、無駄な抵抗なのか。
そんな雰囲気だったが、アンドレイとキールはそうは思わなかった。
「あいつ……さっきから風の弾丸を避けてばっかりで、俺たちの方に接近してこないな。あいつのスピードなら、俺の風の弾丸くらい簡単に突破して、近づいてきそうなのに」
「もしかすると、あいつは超高速移動をしている間は、精密な動きができないんじゃないか?」
「と、言うと?」
「攻撃を避けながら突っ込んでくる、という器用な真似ができないということだ。こうやってお前が弾幕を張っておけば、奴は下手をすれば音速のスピードで風の弾丸に自ら激突することになるんじゃないか」
「あ、なるほど。しかもあいつ、氷の装甲が剥がれていて、防御力ガタ落ちだよな。自分から音速で風の弾丸に突っ込んだらタダじゃ済まねぇ」
「つまり、お前がこのまま攻撃を続けてくれれば……」
「少なくとも、ここからの退避はできるかもってことか!」
「地下通路にさえ逃げ込めれば、あそこは通路の幅が狭いから、奴の超高速移動も本来の性能を発揮できなくなるはずだ! そうなれば、そのまま俺たちが逃走できる確率が大きく上がる! 死にたくなければ撃ちまくれ、キール!」
「понял! 来てみやがれ鎌野郎! 蜂の巣にしてやらぁ!」
返事をして、キールは風の弾丸をさらに撃ちまくる。赤鎌型が被弾覚悟で突撃してきても大ダメージを与えることができるよう、風の弾丸の出力もさらに高める。
赤鎌型は、やはり二人の予想通り回避に専念している。
なかなか二人に攻撃を仕掛けられず、忌々しく思っているような様子が伝わってくる。
「GIIIIIII……!!」
「へへ、ざまぁみろ! もうすぐゴールだ! 頼むぜアンドレイ!」
……しかし、キールがアンドレイに向かってそう声をかけた瞬間、突如としてアンドレイがその足を止めてしまった。キールを背負ったまま、その場に立ち尽くしてしまう。
「お、おい? アンドレイ? どうした?」
困惑しながら声をかけるキール。
するとアンドレイは、少しぼんやりした様子でキールに返事をした。
「……ん? キール? 俺はいま、何をしていた……?」
「いきなり立ち止まっちまったんだよ! いきなりどうしちまったんだ! 早く逃げねぇと赤鎌型が来るぞ!」
「そ、そうだったな! すまん、行くぞ!」
まるで、赤鎌型からキールを逃がしていたことを突如として忘れてしまっていたかのようなアンドレイの物言いにキールは首を傾げたが、今は赤鎌型の足止めに集中することにする。
そして実際、アンドレイは今、キールを逃がしていたことを忘れていた。
(一瞬、俺の脳が溶けるような錯覚に襲われた……。いや、錯覚じゃなかったのかもしれない。”怨気”とやらのダメージが、俺の脳まで浸食し始めてきたのだろうか。気が付けば、なぜ自分がここにいるのかさえ思い出せなくなっていた……)
その不気味な感覚が、アンドレイの足を止めてしまっていた。
そして。
そのわずかな足止めが、この二人の運命を分けることになってしまった。
これまでキールの風の弾丸を回避し続けていた赤鎌型のレッドラムだが、その回避の足を止めた。右腕と左腕で頭や心臓など急所をガードしつつ、背中の薄羽を羽ばたかせ始める。
「あいつ、動きを止めた! 今度こそダメージ覚悟で突っ込んでくるつもりか!?」
「いや……そうじゃないらしい……」
キールの言葉に、アンドレイがそう答えた。見れば、赤鎌型がいる方向から、二人のロシア兵がいる方向に向かって、赤い冷気が流れ始めている。
「こいつは……赤い吹雪の方かよ!? 待て待て待て、周りには全然、遮蔽物なんか無いじゃねぇか! このままじゃ二人まとめて巻き込まれる!」
「その前にドアまで辿り着いて、地下通路へ逃げ込めれば……いや、間に合わないか……!」
アンドレイの言う通り、赤い吹雪が来る前に彼が地下通路へのドアまで辿り着くには、わずかに猶予が足りない。先ほどの立ち止まりさえなければ、とアンドレイは己の至らなさを悔やむ。
するとここで、キールがアンドレイに声をかけた。
何かを決意したかのように。
「アンドレイ! 俺を降ろしてお前だけ逃げろ!」
「何だと!?」
「お前だけならギリギリ、ドアまで間に合うだろ!」
「そうじゃない! そんなこと二度と言うなと、これでもう三回は……」
「仕方ねぇだろうが! このまま意地を張ったところで、二人まとめて吹雪にやられるぞ! あの赤い吹雪の威力はもう見ただろ! 森で奴とやり合った時、あの赤い吹雪で何人死んだ!?」
「くっ……!」
食いしばった歯が見えるくらい、悔しそうな表情を見せたアンドレイ。
そして、キールの言葉を受けた彼は……。
「……ああ、分かった! そういう事なら、もうお前は降ろすぞ! じゃあなキール! 今までありがとうよ!」
そう言って、キールをその場に降ろした。
それと同時に、赤鎌型が発生させた赤い猛吹雪が、キールめがけて押し寄せてきた。
「KISHAAAAAAAAA!!!」