第96話 ”大爆発”の気質
「……うん? 雨が降って来たかな?」
ここは狭山たちの住む家、マモノ対策室十字町支部。
狭山が窓の外を見ると、雨が降り始めたようだ。
「自分の記憶が正しければ、今日の天気は一日中晴れだったはず。それが、いきなり雨が降ってきた。ということは……」
「つまり、『星の牙』の仕業だって言いたいのか?」
狭山の後ろから声をかけてきたのは、日下部日向の影、日影だ。
14キロのダンベルを上げ下げしながら狭山に尋ねる。
「どんな些細な可能性であれ、少しでも有り得るのならば疑うべきだ。被害が出てからでは遅いからね。自分はこれから衛星カメラで周囲に『星の牙』がいないか探る。日影くんは戦闘準備をしておいてくれ」
「分かったぜ。とっとと見つけてくれよ?」
「はは。善処しよう」
そう言うと狭山はモニタールームへと向かって行った。
◆ ◆ ◆
「やっぱりこのマモノ、『星の牙』だったよぉ……もうヤダぁ……」
裏山の森に雨が降りしきる。
シャオランは目の前のギンクァンを見据えながら、うんざりした様子で呟いた。
『星の牙』の生命力は、通常のマモノの比ではない。
ゲームで言うと、普通のマモノのHPが100くらいだとしたら、『星の牙』は100万くらいのHPがある。
北園の火球が300ダメージ、シャオランの拳が400ダメージの威力を持っているとして、それは並のマモノなら即死せしめるほどの威力だが、『星の牙』を倒し切るには到底足りない数値だ。
弱点たる部位に、あるいは弱点たる属性で攻撃して、初めて3000くらいのダメージを与えられる、といったところだろうか。
そして、日向や日影が持つ『太陽の牙』ならば、『星の牙』の力の根源たる『星の力』そのものにダメージを与えることができるため、部位に関わらず10万以上のダメージを叩き出せる、といった具合だ。だからこそ、あの二人が持つ『太陽の牙』は異常なのだ。
「ああ……あの時日向を呼べていれば……」
嘆きながらも、シャオランは拳を構える。
「ホッホ。」
一方のギンクァンは、せせら笑うかのような声色で鳴いた。
雨を降らせただけだというのに、たいそうな余裕である。
「……ホァァァァッ!!」
そして、いきなりギンクァンが動き出した。
長い腕を伸ばし、シャオランに向かって拳を振るう。
「ふッ!!」
しかしシャオランは身を屈めてこれを避ける。
そしてギンクァンに接近し……。
「……はぁッ!!!」
強烈な頂肘を叩き込んだ。
しかし、ギンクァンはビクともしない。
「え!? これって……!?」
攻撃を命中させた感触から、シャオランはあることに気付く。
しかしその瞬間、ギンクァンが腕を振り払い、シャオランを殴り飛ばした。
「あうっ!?」
シャオランはガードを固め、ギンクァンの腕を受ける。
幸い、攻撃を受けたシャオランは後ろに飛ばされ、その拍子に殴られた衝撃も後ろへと逃げた。シャオラン自身の頑丈さもあり、比較的軽傷で済んだ。
「でも痛いぃぃぃぃ……」
泣き言を吐きながらも受け身を取り、シャオランは起き上がる。
そのシャオランに向かって、ギンクァンが駆け寄ってくる。
「ホァァァァッ!!」
「わっとぉ!?」
再びギンクァンの猛攻が始まる。
長い腕をめったやたらと振り回し、周囲の木々をへし折っていく。
シャオランは冷静にその攻撃を見切りながら、隙を見てギンクァンに拳を叩き込む。
「せいやッ!!」
「ホァァァァッ!!」
しかしギンクァンはビクともしない。
先ほどまでよく効いていたシャオランの拳が、ギンクァンに通用しなくなった。
シャオランの調子が悪くなったわけではない。
変わったのはギンクァンの方だ。
ギンクァンは、白色のモップのような、太い体毛で覆われている。この体毛が、空から降ってくる雨を吸って、さらに質量を増した。その結果、体毛はあらゆる衝撃を吸収するクッションと化したのだ。
そんな体毛がギンクァンの全身を包んでいる。
それはもはや一種の鎧。
シャオランの拳がギンクァンに通用しなくなったのは、そういうワケだ。
何もパフォーマンス目的でギンクァンは雨を降らせたのではない。彼はシャオランを本気で仕留めるべく力を解放したのだ。
「ホァァァァッ!!!」
ギンクァンが腕を振り回す。
太い体毛に包まれた腕は、雨を吸収し、重量を増した。
その分、一撃の重みも増している。
やがて強烈な右ストレートがシャオランの身体に命中した。
「うわぁっ!?」
シャオランは腕を交差させてそれを受けるものの、耐え切れずに吹っ飛ばされた。ズザザザザ、と濡れた腐葉土を転がっていく。
「ホァァァァッ!!」
すかさずギンクァンがシャオランに駆け寄り、右腕をハンマーのように振り下ろす。
「っととぉ!?」
シャオランはそれを素早く避けて、逆にギンクァンに接近する。
(小手先の攻撃じゃ、ヤツの体毛を突破できない……。だったらもう、ボクの最大の得意技、鉄山靠しかない……!)
ギンクァンに接近すると、震脚を踏む。
そして身を翻して、その背中を叩きつけた。
「……はぁッ!!!」
シャオランの鉄山靠が炸裂した。
コンクリートの壁にクレーターを作った、大破壊の一撃。
それが情け容赦なく、ギンクァンの胴体に叩きつけられる。
ズドン、という轟音が森の中に響いた。
「……ホホ。」
「なぁっ……!?」
しかし、ギンクァンは鉄山靠を耐え切った。
体毛の防御力だけで受けきったワケではない。
シャオランが鉄山靠を繰り出したのを見たギンクァンは、その瞬間に全身の筋肉に力を入れ、鉄山靠を受け止めたのだ。
攻撃が命中する瞬間、そして筋肉が最も硬化する瞬間。それらは全て一瞬だ。その一瞬に合わせて、ギンクァンはシャオランの攻撃を防御したのだ。
(緩急を付けた攻撃といい、この防御テクニックといい……このマモノ、戦闘経験が半端じゃないよ……!?)
鉄山靠を放ったばかりのシャオランは、ギンクァンの至近距離にいる。
この位置はマズい。慌ててギンクァンから距離を取るシャオラン。
しかしギンクァンはそれを逃がさず、シャオランに飛びかかり……。
「ホァァァァッ!!!」
「うあぁぁぁっ!?」
強烈なドロップキックをお見舞いした。もの凄まじい衝撃を叩きつけられ、シャオランの身体が真っ直ぐ飛んでいく。そして背後の木に背中から激突し、シャオランは地面に倒れた。
ギンクァンの巨体から繰り出されるドロップキックなど、まともに受ければ大型自動車だろうと無事では済まないだろう。それを、シャオランは人の身でモロに喰らったのだ。
「う……ぐ……」
腐葉土の上に倒れるシャオラン。
左腕に激痛が走る。
折れてはいないが、痛めてしまったようだ。
運が悪い。これでは、左腕はしばらく満足に動かせない。
「ホッホッホ。」
ボロボロのシャオランを見て、勝ち誇るように鳴き声を上げるギンクァン。
(ああ……もうヤダぁ……。メチャクチャ痛いじゃないかぁ……。だから戦うのイヤだったのに……)
苦悶の表情を浮かべながら、それでも立ち上がろうとするシャオラン。
なにせ、泣き言を言ったところで、誰も助けに来てはくれない。
状況は好転しない。頼れるのは、鍛えた己の心技体のみなのだから。
と、その時である。
「うわぁー! 大きなおサルさん!」
「……へ?」
突然、この緊迫した戦場にはあまりに不釣り合いな呑気な声が聞こえた。
見ると、シャオランとギンクァンの間に割って入るように、小さな女の子が飛び出してきたのだ。
「……ホッホ!!」
「ふぇ!?」
その女の子を見るや否や、ギンクァンは女の子を左手で掴み上げてしまった。
そして、女の子を追ってきたかのように、彼女の父親らしき男がやって来た。
「ああっ!? このか!? ば、化け物め! このかを放せ!」
女の子の父親が、ギンクァンに怒り声を上げる。
この裏山はさほど深くなく、整備も行き届いており、家族連れがピクニックや山菜取りに利用することも多い。この親子もそういう手合いだろう。
「あわわわわ……た、大変だ……!」
シャオランは、女の子を掴み上げているギンクァンを見やる。
ギンクァンの握力の強さは先ほど証明してみせた通り。
今はまだ女の子は無事だが、このままでは間違いなく危ない。
先ほどは笑顔だった女の子も、今では涙目になってしまっている。
「……ホッホ」
ギンクァンは、女の子を左手で握りしめたまま、空いた右手でシャオランに手招きをしてきた。
「……まさか、その女の子の命と引き換えに、ボクの命を差し出せってことか?」
「ホ。」
シャオランの問いに、ギンクァンが一声鳴いた。恐らく肯定なのだろう。
それを聞いたシャオランは……。
「ゆ……許さないぞ……」
「ホ?」
怒りの表情を浮かべていた。
まだ怯えの感情が見え隠れするものの、彼は確かに怒っていた。
「ぼ、ボクはどうしようもない弱虫だけど、それでも許せないモノくらいはある……。そ、それは、お前みたいな卑劣なヤツだ……。何もしてない、何も悪くない、ただ平和に生きようとする人間を傷つけるヤツが、ボクは大嫌いだ……。そんな奴らをぶっ飛ばしたかったから、ボクは修行を頑張ったんだ……っ!!」
シャオランがそう叫んだその瞬間、纏っていた砂色のオーラが、霧散した。そして、ゆっくりとギンクァンに近づいていく。
ギンクァンが手を伸ばせばシャオランを掴める、というところの一歩手前で、シャオランは立ち止った。
「ま、まずは女の子を解放するんだ。さもないと、ボクは今からでも仲間を呼びに行くぞ」
「ホオオオオオオ……!」
人質を取られている状態のシャオランだが、それでも怯まずにギンクァンに食い下がる。
みすみす他の仲間たちを呼ばれるのは、ギンクァンにとっても避けたい事態であった。
あと一歩。
あと一歩大きく踏み込めば、ギンクァンはシャオランに手が届く。
だからギンクァンは、左手の中の女の子を一瞥すると……。
「……ホァァァァッ!!」
「あっ……」
女の子を空高く放り投げ、すぐさまシャオランに掴みかかりに来た。
「お、お前……!!」
シャオランは、ギンクァンの掴みかかり攻撃を真正面から掻い潜る。
その動きは驚くほど速い。
そして、彼の右拳は、彼の怒りを体現するかのような、真っ赤なオーラを纏っていた。
シャオランはあっという間に掴みかかり攻撃を抜け、ギンクァンに肉薄、震脚を踏み、そして……。
「……せいやぁぁぁぁぁッ!!」
「ボッ………!?」
ギンクァンの前頭部に向かって、拳を叩き込んだ。
瞬間、ギンクァンの耳から、
鼻から、
目から、
口から、
血が噴出した。
右拳に纏っていた真っ赤なオーラが、ギンクァンを突き抜けて噴出する。
そしてギンクァンの巨体が倒れ、二度と動かなくなった。
シャオランは何をやったのか。
言葉にするだけなら簡単だ。
最高の一撃を、最高のポイントに、最高のタイミングで叩き込んだだけだ。
最高のポイント。
ギンクァンの前頭部は、あの鎧のような太い体毛に覆われていない箇所だった。ゆえに、シャオランの拳の衝撃はダイレクトにギンクァンの脳に伝わった。
最高のタイミング。
ギンクァンの掴みかかり攻撃は、相手に真っ直ぐ飛びかかる技だ。
相手に向かって、真っ直ぐ。
つまりシャオランからしたら、カウンターを狙うにはこれ以上無い絶好の攻撃だった。
この二つが合わさった瞬間、シャオランは自身の最高の一撃……赤いオーラを纏った拳をギンクァンに叩き込んだ。その結果、シャオランの凶悪なまでの拳の一撃が、ギンクァンの脳を破裂させたのだ。つまり、即死だ。
通常、規格外の生命力を持つ『星の牙』は、脳が多少損傷しようと死ぬことはない。このギンクァンとて、脳に銃弾を受けても十数発なら耐えられただろう。
しかし、シャオランの拳はギンクァンの脳を直接揺さぶり、グチャグチャに破壊した。
さしもの『星の牙』といえど、脳を完全に破壊されればそれまでだ。
100万のHPは、一瞬でゼロになった。
銃火器はもちろん、戦車などを引っ張り出しても強敵とされる『星の牙』を、この少年はとうとう素手で討伐してしまったのだ。
「……とぉっ!!」
ギンクァンを倒したシャオランは、すぐさまその場から跳び上がり、放り投げられた女の子を空中でキャッチし、抱きかかえながら着地した。