第93話 シャオラン、逃げる逃げる
四限目の授業が終わり、昼休みになる。
その瞬間、シャオランは席を立ちあがり、スッと教室の外へ出た。
「こらぁーっ! シャオシャオ、待ちなさーい! 逃げるなぁー!」
リンファが声を上げ、シャオランを追いかける。
「うわぁー! 待って待ってまだ心の準備が出来てないんだよぉー!」
シャオランもまた泣き叫びながら、全力疾走でリンファから逃げ出した。
結局、リンファはシャオランに追いつけず、教室まで戻ってきた。
息を切らしながら、日向の元へとやって来る。
「ぜー……ぜー……捕まえられなかった……」
「り、リンファさん。シャオランも嫌がっているみたいだし、無理に謝らせようとしなくても、俺は別に……」
「ダメよ! ここで逃げたら、一生禍根を残すことになるわよ! これから先のマモノ退治だって、シャオシャオと上手く連携が取れなくなるかもしれない……いやそもそも、シャオシャオが参加しにくくなって、もうマモノ退治に来なくなっちゃうかもしれないわよ!」
「ぐ……有り得る……」
「でしょ? お互いが次のステップに進むためにも、謝罪っていうのは必要なのよ。日向はこう言ってくれてるんだから、一言謝れば解決するのに、アイツは怖がり過ぎなのよ」
「ははは……まぁ、人に謝るのってすごく緊張するし、シャオランの気持ちも分かるんだけどね……」
「あーもう、何か良い方法はないかしら。このまま馬鹿正直にシャオシャオを追いかけても、結局逃げられちゃうし……」
「そうだなぁ……シャオランに知らせず、俺が二人の家に行って、リンファさんがあらかじめ逃げ場を無くしたうえで、感動のご対面、とかは……」
「あら、面白そうね、それ! 採用!」
「わぁ判断がはやい」
こうして日向は、シャオランとリンファが暮らす家に遊びに行くことになった。
…………が、そのことを、廊下に潜んでいたシャオランも盗み聞きしていた。
「な、なんてこった……。家に帰ったら、すぐ逃げよう……!」
◆ ◆ ◆
学校が終わり、リンファは自宅へと戻ってきた。
「ただいまー。シャオシャオ、先に帰ってるー?」
リンファは玄関に入ると、シャオランを呼んだ。
普段、二人は一緒に帰っているのだが、この日に限ってはシャオランが先に帰ってしまったのだ。きっと今日の昼、自分から逃げたことを気にしているのだろう、とリンファは考えている。
「ねぇー! シャオシャオー!? いるんでしょー! 怒ってないから出てきなさーい!」
リンファは家に上がり、引き続きシャオランを呼ぶが、返事は無い。
試しにシャオランの部屋を覗いてみると、制服が脱ぎ捨てられている。カバンも床に放り出され、道着に着替えた跡も見受けられる。
「……逃げたわね」
と、リンファは呟いた。
恐らくシャオランは、家にいることに何らかの危険を感じ取り、外へ出かけてしまったのだろう。実際、リンファは日向と共にシャオランを追い詰める計画を立てていたのだから、その直感に間違いはない。
「道着を着ていったってことは、裏山に籠って修行でもするつもりかしら。ああもう、良い勘してるわよホント……」
リンファは、日向に計画失敗を伝えるため、スマホを取り出した。
◆ ◆ ◆
シャオランたちの住む家は、日向の家から近い。
つまり、裏山にも気軽に行ける距離だ。
周りの目を気にせず、一人静かに拳を振るえるため、シャオランはよくこの裏山に出入りしている。今日もシャオランは、八極拳に打ち込むため、この裏山の奥へと来ていた。
……いや、今日に限っては、修行のためというのは後付けで、もともとは日向とリンファの挟み撃ちから逃げるためにやって来たのだが。
「はぁぁぁぁぁ……逃げてきてしまった……いっそ素直に挟み撃ちを受けて、しっかりヒューガに謝った方が良かったっていうのは、頭じゃ分かってるんだけど……だけど…………はぁぁぁぁぁ……」
だが、シャオランは現在、修行どころではないようだ。
大きなため息をつきながら項垂れてしまっている。
シャオランは臆病だが、モノの道理というものは弁えている。
だから、この件については、しっかりと謝るべき、ということも分かっている。
分かっているのだが、どうしても気が乗らなかった。
そこには、ある理由がある。
「ボクは……ボクの意思で、クイーン・アントリアに操られていた、だなんて、口が裂けても言えないよぉ……」
シャオランがクイーン・アントリアのフェロモンガスを受けた、あの時。
シャオランの頭の中に、声が響いた。
『私の兵士になれ。その拳、存分に振るわせてやるぞ』
シャオランは、その言葉に魅力を感じてしまった。
そしてシャオランは、アントリアの忠実な駒となってしまった。
他の操られていた人々と比べて、シャオランの動きが妙に繊細だったのは、そして簡単に洗脳が解けなかったのは、アントリアの洗脳の深度が他者より高かったからだ。
なぜ、シャオランはアントリアの言葉に惹かれてしまったのか。
元々、シャオランはいじめられっ子だった。
だから、もう痛い目に合わないように、力を求めて武功寺の門を叩いた。
武功寺で八極拳に出会い、師匠であるミオンから練気法を習い、身体を鍛え、いじめっ子たちを見返し、今に至る。
幼いころと比べて、シャオランはとても強くなった。
あまりに強くなり過ぎた。
だから、「痛い目に合いたくない」と思う一方で「もっとこの拳を振るいたい」と思った。「力を見せつけたい。自慢したい」と思ってしまった。そして、そこをアントリアにつけこまれてしまったのだ。
アントリアに操られ、日向と対峙していたあの時。
シャオランが抱いていた感情は、「相手との殺し合いを楽しむ」………などという健全なものではない。ただ純粋に「殺すことを楽しんでいた」。
日向に自身の拳を叩き込んだ時、それがどれほどの威力を発揮したか、それを体感するのが楽しくて仕方なかった。
殺すことを愉しんだ。
友人の命を使って、技の冴えを確認するのが、この上なく快感だった。
こんなこと、日向に言えるワケがない。
「ああああああ……もうダメだぁ……ボクは武人としても、ヒューガの友達としても、人間としても失格だぁ……ああもうダメだ人生終わった……来世でまた頑張ろう……」
そう呟きながら、シャオランはトボトボと山のさらに奥へと向かってしまった。
小さいながらもたくましいその背中が、今日は随分と寂しそうだった。
そのシャオランを木陰から見つめる二つの影がある。
その影は人型ではない。マモノだ。
「やはり来たな。アイツが一人でこの山に出入りしていることは調査済みだ」
そう口にしたのは、鮮やかな赤色の鳥。
星の巫女の側近たるマモノ、ヘヴンだ。
その隣には、身長2メートルほどの巨大なサルが立っている。
ダラリと伸びた腕はオランウータンを思わせる。
白い、分厚いモップのような体毛に覆われており、さながら人型の毛玉といった様相である。
全体的なシルエットはビッグフットやイエティといった人型の怪物そのものだ。
このサルは、マモノ対策室では『ギンクァン』の認識名で呼ばれるマモノだ。
ギンクァンは、星の巫女の”次元移動”で世界各地に赴き、厄介な敵対勢力を始末する、マモノ界の殺し屋とも言える存在だ。多くのマモノ討伐チームが、このマモノに煮え湯を飲まされてきた。
「仕事だ。あの人間の少年を殺せ」
「ホ。」
ヘヴンの言葉に、ギンクァンはゆっくりと頷いた。