第92話 アリ退治の後日
『……先日、福岡市営地下鉄にて、アリ型のマモノが出現しました。防衛省マモノ対策室は福岡県警と連携して、出現したマモノを討伐しました。地下鉄駅内はひどい損傷を受けましたが、幸い、死者はいなかったとのことです』
日向たちがクイーン・アントリアを討伐した次の日。
朝のテレビニュースが流れている。
テレビの画面には、ボロボロに破壊された改札口が映し出される。
それを日向たちの仲間の一人、本堂仁が眺めている。
自身のメガネを手拭いで拭きながら、ニュースに耳を傾けている。
「……随分派手にやったな。相当激しい戦闘だったらしい」
地下鉄の改札口の映像を見ながら、本堂は呟いた。
駅の券売機に大穴が開いている。
駅員窓口のガラスが二か所ほど、派手に粉砕されている。
コンクリートの壁に、巨大なクレーターが出来ている。
「よほど凶悪なマモノと戦ったんだろうな」
彼はまだ知らない。
この惨状のほとんどは、操られたシャオランによるものだということを。
「……あともう少し。もう少しで俺もそっちを手伝える」
センター試験を突破し、二次試験を控えている本堂は、現在マモノ討伐から外れて受験勉強に集中している。それが終われば、彼もまた日向たちとともにマモノ討伐に参加するつもりだった。
しかし、彼が目指す東大医学部は、名前の通り東京にある大学だ。ここ、十字市は九州北部にある都市。東大医学部からは遠く離れている。そのため、大学に通いながら日向たちを手伝うというのは、まず不可能だ。
だから、彼には考えがあった。
「……本当にいいの? お兄ちゃん。たとえ合格しても東大には行かないって」
本堂の妹、舞が尋ねる。
「ああ。合格できればそれで満足だ。『あなたの息子は東大に行けるだけの力があったよ』って、母さんの墓前に報告できる」
本堂の考え。
それは『東大医学部に合格しようと、この十字市に残る』というものだった。
すでに十字市市内の医科大学も同時に受験し、そちらは間違いなく受かる見込みがある。東大に受かろうが受かるまいが、受験が終わればそちらに通うつもりなのだ。
彼は自身の将来より、日向たちに恩を返すことを選択した。
「お兄ちゃん、そういうところ本当に律儀だよねー」
「ああ。そうしないと落ち着かないというか、何というか、な」
「知ってる。もう何度も聞いたよ」
「そうか。……東大に行くと言って、お前にも色々と世話をしてもらったのに、済まないな」
「いいのよ。私も北園さんたちに助けられたんだし、あの人たちのためだっていうんなら、文句言えないよ」
「そうか。ありがとう」
「どういたしまして! じゃあ、朝ごはんにしよっか。何作る?」
「サバのぬか炊きを頼む」
「……もう! 昨日もサバぬか、一昨日もサバぬか、一週間前もサバぬか、一か月前からずっとサバぬかじゃない!」
「む。じゃあ、アジのぬか炊きを……」
「ぬか炊きから離れてよぉ!」
◆ ◆ ◆
同日。シャオランとリンファが住む家にて。
庭先でシャオランとリンファが手合わせをしている。
二人の住む家は、日向の家から割と近い。
徒歩で十分もあれば行ける距離だ。
なんでも、数年前にここの家主だった老人が死去し、新しい居住者がつかぬまま残っていたのを、リンファが買い取ったらしい。
あちこちが少々ボロボロだが、なかなかに広い、古風な武家屋敷といった趣である。
この家は庭も素晴らしく広い。
そこで二人は毎朝、学校に行く前に手合わせをするのが日課だ。
手合わせの際は、シャオランは『地の練気法』を使わない。
「……ふッ!!」
シャオランが右の拳を突き出す。
「はっ!!」
リンファはそれを滑らかな動きで避け、シャオランの顔面に掌を叩きつける。
「くっ!」
シャオランは、上体を屈めてそれを躱し、震脚を踏む。
そしてリンファに向かって頂肘を放つが……。
「やぁっ!!」
「うわっ!?」
カウンターで突き出された、リンファの双掌打に突き飛ばされた。
「ま、負けた……。もう今度からリンファがマモノ討伐したらいいんじゃないかな」
立ち上がりながら、シャオランは自分を負かしたリンファを称える。
しかしリンファは不服な表情を浮かべている。
「……シャオシャオ! 全然本気出してないでしょ!?」
「いや、そんなことはないよ……?」
「そんなことあるわよ! 技のキレが今までと全然違うもの! 今までのシャオシャオなら、最後のアタシの双掌打より早く肘を叩き込んでたわよ!」
「うーん、そうかなぁ……」
「……やっぱり、日向を攻撃したのを気にしてるの?」
「……うん」
「自分の拳が人を殺せる威力があるからって、人を攻撃するのが怖くなった?」
「……うん」
昨日、クイーン・アントリアに操られていたとはいえ、シャオランは日向を攻撃してしまった。聞いた話では、相当な回数、彼を殺してしまったらしい。
弱きを助け、悪しきを挫く。そんなヒーローに密かに憧れていたのに、よもや友達を傷つけてしまうなんて。そのことが、シャオランにこれ以上ないショックを与えていた。
シャオランは、ギュッと握りしめた拳を見つめる。
あの時、日向を殴った感触を思い出す。
(操られていただけ、だったなら、ボクも仕方なかったと割り切っていた。……けど、ボクは……)
シャオランが物思いにふけっているところに、リンファが再び声をかける。
「わざとじゃなくても、ちゃんと謝らないと駄目よ?」
「はぁぁぁぁぁぁ……顔を合わせるだけでも気が重いよぉ……今日の学校、休みたいよぉ……」
「駄目よ。今日休んだら、明日も行きにくくなるわよ。それに、日向とウチは家が近いんだから、今日休んだりなんかしたら、たぶん心配してあっちから来るわよ」
「ば、万事休すだぁ……」
リンファに促され、シャオランは身支度を整えるため家へと上がっていく。
その様子を、リンファは寂しそうに見つめていた。
「……はぁ。あんなに消沈してるシャオシャオなんて初めて見たかも。何度もシャオシャオって言ったのに、一度もツッコまれないし。調子狂うなぁ……」
◆ ◆ ◆
同日。日向たちの通う十字高校にて。
「なぁ! ニュース見た? 福岡市でマモノが出たって!」
「見た見た! ヤバくない!? 駅のホームメチャクチャだったもん!」
「マモノって、やっぱ怖いんだなって」
「今度、保険会社がマモノ用の保険を作るって話だよ」
日向たちのクラスメイトが、昨日のクイーン・アントリアの襲撃について語り合っている。
(……その中心で戦っていたヤツらがここにいるなんて、みんなは思いもしないんだろうなぁ)
と、日向は考えていた。
日向たちがマモノ対策室の一員としてマモノたちと戦っていることは、周りには知られないようにしなければならない。
自分たちが特別な存在だと知られれば、もはや普通の学生として学校生活を送ることは困難になる。
日向たちを調べ、マモノ対策室の中心人物たる狭山がこの町にいることを突き止める人間まで現れるかもしれない。そうなれば、狭山の仕事にも支障をきたしかねない。
ゆえに、機密保持のため、日向たちは自分たちの正体を隠して学校生活を送っていた。
「おはよー、日向くん」
いつものように日向が自分の机で静かに佇んでいると、北園がやって来た。
「ああ、おはよう。北園さん」
マモノと戦い始めてからの学校生活で、一番変わったのがこれだ。いつもは朝から夕方まで一人で過ごしていた日向の所に、毎日のように北園がやって来る。あとはシャオランやリンファも来る。
実際には紆余曲折あって彼らとの繋がりができたのだが、周りからしてみれば、今まで地味だった男子が急にクラスの女子と仲良くなり、この間やって来た留学生二人ともすぐに打ち解けたようにしか見えない。そのため、日向は現在、クラスメイトたちから奇異の目を向けられていた。
(周りの目は気になるけど、北園さんたちを突き放すワケにもいかないしなぁ)
そんなことを日向が思っていると、北園が自分のスマホを取り出し、その画面を日向に見せる。
「ねぇ、これ見た?」
「え、何?」
日向がスマホの画面を覗くと、そこには、
『マモノ討伐チームの構成員が学生さんだった件』
『【驚愕】マモノ討伐チームの正体、女子高生と小学生だった』
『マモノ討伐チームのメンバーが子供ばかりだと話題に! 戦えるの?』
などの文字列が。
先日、クイーン・アントリアを討伐しに来た北園とシャオランの姿が、まとめサイトやSNSに晒されている。
「…………なんだこれ」
「私たちのこと、ネットで話題にされてるみたい。いやー、今の私たち、なんか正体を隠すヒーローっぽくてドキドキするよね、こういうの」
「機密保持はどこ行ったの」
「機密保持……アイツは良い奴だったよ……」
「勝手に機密保持さんを殺すんじゃない」
とはいえ、画像はどれも機動隊のバリケードの向こうから撮られたもので、北園たちの顔はあまり鮮明に写っていない。これなら、この画像を見て北園たちだと分かる者はほとんどいないだろう。
そして、肝心の日向はと言えば、そもそも写真に写っていない。今の日向は、自身の影が日影として分離し、鏡やカメラのレンズに映らなくなっているからだ。各種ネットの書き込みも、北園とシャオランの二人しか指していない。
「俺が身バレしないのは良いんだけれど、これはこれでハブられた感じがして嫌だなぁ……」
そんな具合で日向と北園がやり取りをしていると、そこにシャオランとリンファが教室にやって来た。
「あ、シャオラン……」
「あわわわわわわわわわ!?」
「あ、ちょっ、シャオラン!?」
「あ、こら! シャオシャオ!」
シャオランは、日向の顔を見るなり、逃げ出してしまった。
いきなり逃げられて状況が飲み込めない日向に、リンファが代わりに説明する。
「えーと、ごめんなさいね、日向。シャオシャオったら、日向に攻撃したことを気にしすぎて、顔も合わせにくいみたいなの」
「そ、そうなのか。俺はもう気にしてないんだけどなぁ……」
「でも、一度シャオシャオとはちゃんと話をしておいた方がいいと思うの。アタシからもシャオシャオに言っておくから、よろしくね」
「わ、分かったよ」
日向は、困ったような表情のまま、返事をした。