第10話 元凶
二人は近くの木に寄りかかり、身体を休める。
目の前には、既に動かなくなったアイスベアーが横たわっている。
「………。」
「………。」
沈黙が続く。
お互い、疲れているのもあるだろう。何かしら話題を探している途中なのかもしれない。だがこの沈黙の一番の理由は、現状に理解が追い付かないという一点だろう。
氷を操る白熊。
傷が治るようになった日向の身体。
危機は去ったが、それでどこからかこの謎に対するヒントが降ってくるわけでもない。非現実的な出来事の連続に、二人は唖然としているのだ。
「……ねぇ日向くん」
北園が口を開いた。
「うん」
日向も相槌を返して反応する。
「とりあえず、写真、撮ろっか」
「うん。……うん?」
予想の斜め上の言葉に、日向は思わず疑問の相槌を打つ。
「だって、こんな白熊見たことないよ!? きっと新種だよ! もう死んじゃったけど、写真だけでも撮ってしかるべき場所に発表しないと!」
「北園さん落ち着いて。どこに発表するの、こんなの」
堰を切ったように興奮して喋り出す北園。
もはや、さっきまでの沈黙が懐かしい。
「けど、本当に何なんだろうね、この白熊さん? 自分の爪を凍らせて、氷の爪を作るなんて……」
「間違いなく、普通の生き物じゃないよな。考えられる可能性としては、異世界から来た魔物か、どこぞの実験施設で造られた生物兵器か、はたまた古代からこの地球に潜んでいた怪物か……」
「いやー、ちょっとそういうのは有り得ないんじゃないかなぁ?」
「その有り得ない熊が目の前にいるんだから、普通なら有り得ない可能性も十分有り得るんじゃないか?」
「それは、まぁ、そうかも」
日向は自身のゲーム、マンガ、アニメの知識から、この状況に該当しそうな設定を必死に探し出す。しかし現状、これだという正解を導き出すにはあまりに手がかりが足りなかった。
「じゃあ、とりあえず写真撮ろっか」
「え? まだ続いてたの? その話」
「続いてるよ! この熊が何なのか調べるにも、写真があれば便利でしょ?」
「まぁ、それもそうか……」
「そういうこと! じゃあ日向くん、熊の横に立って」
「は? なんで?」
「初勝利の記念撮影的な?」
「なんだその蛮族的な発想は……。そのうち、記念に首を持ち帰ろうとか言い出すんじゃなかろうか……」
「いいからいいから! ささ、早く!」
「はいはい分かりましたよ……」
北園の押しに負け、日向はアイスベアーの死骸の横に立つ。
何やってるんだろう俺、と日向は思わずにはいられなかった。
「じゃあ撮るよー。……ん? んー? あれ? あれぇ?」
何やら北園の様子がおかしい。構えたスマホからパシャパシャと写真を撮る音が何回も聞こえる。その度に「あれー? おかしいなー?」と呟いている。
「あのー、北園さん? もう終わった?」
「ちょっと待って。おかしいの。日向くんが映らないの」
その言葉を受けて、日向はハッとした。
カメラのレンズも「映るもの」なら、まさか。
日向は、自分が鏡に写らないことを思い出し、北園にそのことを話した。
「本当に? 何それ、どうなってるの?」
「俺も知りたいよ……。一応聞くけど、北園さんも心当たりはないよね?」
「もちろんだよ。私の超能力にだってそんな力は無いし、私も初めて見る現象だよ」
「やっぱりか……。今の俺、一体何がどうなってるんだろう……?」
頭を抱える日向。
その時、「……あ。」と北園が短い声を上げた。
「何? どうしたの、北園さん?」
「今気づいたんだけど、日向くん、影が無い」
「は!?」
日向は自分の足元を見てみる。
彼の身体から伸びているはずの影は、確かにどこにも無かった。
「そこの、隣の白熊さんと見比べて気づいたの。白熊さんには影があるのに、日向くんには無かったから……」
「マジか……。全然気づかなかった……」
傷は治るわ、鏡には写らないわ、影は無くなっているわで、もはやアイスベアーなどより日向の方がよっぽど規格外の何かと化していた。
(やはり昨日のアレか? 俺の影が逃げたからか? 昨日のアレは俺の影(仮)じゃなくて、影(確定)なのか? 本当に何がどうなってるの、俺……?)
その時、日向はふと思った。
傷が治る身体、鏡に写らない自分、実体化した自分の影。日向の身の怪奇現象が始まったのは、ここであの剣を拾ってからだ。
原因や目的、何の力によるものかは分からない。
だがこれだけは言える。
「剣が元凶か!!」
日向は剣に向かって叫ぶ。
剣は、うんともすんとも応えない。
まだ確たる証拠があるわけではないが、剣が何かの起点になったのは間違いないだろう。
「コイツを叩き折ってしまえば、俺は元に戻るんじゃ……!」
「だ、ダメだよ! その剣は予知夢に出てたんだから、今は折っちゃダメ!」
「未来を変える努力も大事だと思うの。というワケで折ってやる!」
「ダメ―!!」
結局、北園が必死になって止めてくるので、剣を叩き折るのは諦めた。
「……日向くん。やっぱり元に戻りたいとは思ってる? 一見、どんな傷でも治る身体とか、すごく便利そうだけど」
「今のところは、戻りたいね。分からないことが多すぎて気味が悪いから。あと、確かに傷は治るけど、いちいち傷が焼かれるみたいだからメチャクチャ痛い。かすり傷一つ治すだけでも容赦なく燃やしてきやがる。いっそ死んだ方がマシかもしれない」
「それは……キツそうだね……」
「本当にキツイ。誰かに代わってもらえるならそうしてほしいよ」
「でもその剣、日向くんにしか使えないんじゃなかったっけ。今のところ」
「……そうだった。あぁ、詰んだ……」
これで他の人に剣を押し付ける作戦も潰されてしまった。
もっとも、日向にはそんなことを実行する度量は無いのだが。
「とりあえず、今日は帰ろっか」
「……そうだね。ここで考え続けてもしょうがないか」
北園の言葉に日向も同意する。
今日は色々ありすぎた。
戦闘で、身体も激しく動かした。
つまり、すっかり疲れてしまった。
「また予知夢を見たら連絡するね。それと……ありがとね」
「へ? 何が?」
「私の言うこと、信じてくれて。最初に日向くんと話した時、まさかここまで真剣に付き合ってくれるなんて思ってなかったから」
「う、うん。まぁ、もう信じるって決めちゃったから……」
真正面から礼を言われ、日向は照れ臭くなり頭を掻く。
しかし、彼が北園に付き合う理由はそれだけじゃない。
謎の剣に続いて、謎のモンスターまで現れた。
これはもう、間違いなくこの世界で何かが起こっている。
それを確かめたいと日向は思っていた。
(……なにより、俺自身も元の、影のある人間に戻らなければならなくなった。俺はもう、この件について無関係ではいられない人間なんだろうな……)
決意を新たにすると、日向は北園に声をかけた。
「じゃあ行こうか」
「うん。あ、この白熊さんたちの死骸ってどうする? 片付ける?」
「放っておけば、他の動物が片付けてくれるんじゃないかな。こいつらを土葬するにしても、その穴を掘るだけでも重労働だぞ?」
「そうだね。分かった。そういえば、周りの雪も溶けてきたね」
「確かに、溶けてきてるな。さっきまで曇ってたのに、もうお日様も顔を出してる」
思えば、下の住宅街には雪など全く降っていなかったのに、この山は結構雪が積もっていた。不思議なこともあるものだ、と日向は思った。
「あ、そうだ、日向くん、お母さんに電話しなくていいの?」
「あぁ、そうだった。昼飯、作ってもらえるんだっけ」
「私もご相伴に預かりたいなー、なんて」
「……一応、聞いてみるよ……」
そんな他愛もない話をしながら、二人は山を下りて行った。
先ほど、恐るべき生物たちと戦った後とは思えない、若者らしい会話をしながら。
◆ ◆ ◆
「……彼らは、行ったわね」
山を下りる日向と北園の様子を、木陰から覗く少女が一人。深緑のローブに身を包み、青い右目と緑の左目が特徴的である。手には、その小さな背丈より長い杖を一本握っている。
「そのようだな。……奴ら、何者だ?」
その少女の肩に、鮮やかな赤色の鳥が一羽止まっている。
今、粗雑な男のような口調で喋ったのは、その鳥だ。
「ただの人間が、『星の牙』たる奴を倒すとはな。やはり、あの剣が原因か?」
「多分ね。なぜあんな物が、この星にあるのかは分からないけど」
少女と赤色の鳥がやりとりを交わす。
その少女の背後から、一匹の狼が歩み出る。
その狼は、白銀の体毛を持ち、平屋ほど体躯を持つ巨大な狼だった。周りに倒れている白狼の死骸に近づくと、悲しげな表情を見せる。
「仲間を悼んでいるのね。ゼムリア」
ゼムリアと呼ばれた大狼は、少女の方を振り向き、再びその背後に回る。
「みんな、お疲れ様。どうか、安らかに……」
少女が地面に真っ直ぐ杖をつき、祈るような姿勢を取る。すると、周りの白狼たちとアイスベアーの死骸が、みるみるうちに骨となった。
「ふぅ、終わった。……そういえば、キキはどこに行ったのかしら」
少女が呟くと同時に、どこからか一匹の猿が走り寄ってくる。その体毛は黒く、背丈は小さい。チンパンジーのような容姿の猿である。
その猿は、少女の背後から彼女の背に飛び移る。
「あっ。もう、キキ。驚かせないで」
「キキッ!」
「エテ公、どこに行ってやがった」
「キ?」
「ヘヴン、あまりキキにつっかからないの」
「……ケッ」
キキと呼ばれた黒い猿は地面に下り、少女の隣に並び立つ。
その様子を、ヘヴンと呼ばれた赤い鳥は、冷めた目で見ていた。
「それで? 連中、どうするんだ? このままにしていいのか?」
「既に一匹、あの人たちと戦っても良いって言ってる子がいる」
「あの『嵐』か。あいつはあれで結構他種想いだからな。大方、今後の為にも早めに脅威を取り除こうってつもりだろう」
「きっと大丈夫。あの子は強い。並の人間では、まず勝てない」
「……だが、嫌な予感がする。無事に勝てるといいんだがな……」
「それでも、全体の力で勝っているのは、間違いなくこっち。今さら脅威の一つや二つ増えても、関係ない」
そう言うと少女は、目の前に不可思議な空間を作り出す。それは、傍から見れば、まさに「次元の裂け目」とでもいうべき物だった。
「人類は、繁栄しすぎた。彼らが奪った領域を、私たちが取り戻す。
今度はあの子たちが繁栄する番。星の力が、あなたたちに牙を剥く」
そう言うと、一人と三匹は、次元の裂け目へと消えていった。