私の知らない山(改訂版) (UROSHITOK作品集8 私の知らない山より)
(一)
それは、ある企業関係の親睦会での談笑から始まった。
親睦会に集まった者は、全員すでに定年を迎えていた。
年齢が近いものばかりであった。
私の姓は、加茂。
一歳年下の友、門前も出席していた。
彼とは、二十代前半の頃、多くの登山行をした。
彼との会話は、ごく自然に、山の話になっていった。
そんな中で、門前が言った。
「加茂さん、大山が良かったですね」
「うん、大山?」
「そう。山陰の大山ですよ。確か、初夏の頃だったかな、梅雨入り前だったと思いますよ。最高の天気だったですよ」
「えっ、いつの事だい」
私には、全く記憶がないのである。誰か、他の登山仲間と勘違いしているのだろうと思った。
「昭和39年、東京オリンピックのあった年ですよ」
驚いている加茂には、無頓着に、アルコールの入った赤い顔で、門前は話しを続ける。
「大山寺橋からの登山口から、ガレ場を経て、弥山へのコースでした。さすがは、1700mを超える山です。素晴らしかった。また機会があれば、ご一緒しましょう」
「ちょっと待って、私は、何も覚えていないんだ。誰か他の人と、間違えているのじゃないのか?」
「間違いないですよ。確か、写真も残っていると思いますよ」
「どうも、さっぱり記憶がないなあ」
加茂には、さっぱり思い出せない。やはり、門前の記憶違いであろう。
加茂は、そう判断して、その場は終わった。
そんなある日、門前から封書が送られてきた。
手紙と写真であった。
手紙の概要は。
”古い写真をさがしました。未整理の箱の中に、色あせていた物を見つけました。小さな写真ですが、間違いなく、加茂さんだと思います。お確かめください”とあった。
また写真には。
”昭和39年、大山登山行”と裏書されていた。
はてな?、加茂は、その小さな写真を、食い入るように眺めた。
セピア色がかった、白黒写真である。名刺サイズよりは少し大きい、手札サイズである。当時の標準的な、サイズである。
近くに居た登山者に、撮って頂いたのであろうか、二人の全身が写っていた。
一人は、若い頃の門前であった。
もう一人は、加茂自身の若い頃らしい。
然しである、何となく、自分の心に合致しないものがある。
「変だなあ」独り言が出た。
昭和39年と言えば、東海道新幹線が開業し、アジアで初めてのオリンピックが、東京で開催された年である。
その年の梅雨入り前に、自分が何をしていたのか?
今から40年も以前のことであり、然たる記憶もない。
さりとて、大山に登山した記憶は、全くない。
自分はまだ、認知症では無いし、記憶喪失症でも無い。他人からその様に言われたことも無い。
加茂は、自分のアリバイを、捜したくなった。
屋根裏に仕舞っていた旧い日記、登山手帳、写真の束やアルバム等を取り出して、何かしらの手がかりが無いかを調べる事とした。
元より、杜撰と言えるほどでは無いが、几帳面な性格では無かったが、大山登山行の記録は無かった。
梅雨時に、何かをしていた記録も無かった。
前年の9月に、寮生活を止めて、下宿生活に入っていた。
また、体調を崩して、いろいろな病院で、不調の原因などを調べていた。
当時としては、最新式の検査を受けた記憶もある。
例えば、放射性同位元素照射などである。
他にも、医者に指示されて、全身を覆うカプセル内での検査もあった。
だが、結果としては、原因不明のままに終わった。
体調不調は、主に、視神経と繋がる頭痛であった。
門前から送られてきた写真は、どうも、自分の様である。
左肩が下がり、首をやや右に傾けている。これは、私の体形であり、癖でもある。
しかしながら、何か違和感が消えない。
当時の主流であった白黒写真である。
濃い登山シャツを着こみ、少し淡色のズボンと、膝下までの長いソックス、そして皮革の登山靴の姿で立っている。
登山記録帳を見ると、この年、つまり昭和39年5月の連休には、立山にも行っている。
当時のバスは、現在と異なり、弥陀ヶ原より、やや下方のが終点であった。
重いザックと、スキーを担いで、天狗平を越えて、地獄谷を横に見て、雷鳥沢に達した。
この時は、雷鳥沢で、5日間、雪上のテント生活を送った。
ここでの積雪は多く、3階建て雷鳥荘の1階入口は、雪ノ下に埋もれて、3階から出入りしていた。
我々のメンバーは4人であった。
春山スキーを楽しみ、立山三山縦走や、奥大日岳登山等を行った。
すっぽりと雪に覆われた奥大日岳へは、室堂乗越下方の雪斜面をトラバースして到達した。このトラバースは、重い雪面であった。
雪崩の危険をも感じながらであった。
また、立山縦走は、雷鳥沢から別山乗越経由、別山・真砂岳・大汝山・雄山・一の越・雷鳥沢へと周回した。
鮮明に記憶しているのは、雄山頂上付近での登り道で、加茂の前を行くメンバーの一人が、突然、足を滑らし、数メートルを滑落したことであった。
一瞬、ひやりとしたが、ピッケルを雪面に打ち込んで、事なきを得た。
このキャンプは,好天に恵まれ、春山を満喫した。
この時の写真も見てみた。
同じく、白黒写真であった。
同じ仕事場の、写真好き仲間が、自ら現像し、印画したものであったが、手札形よりも大きいサイズばかりである。
4人のメンバー全員が、雪上でおどけている場面もあった。
私、加茂は、細身のスキーズボン姿である。
膝までの長いソックスを、ふくらはぎまで、ずらしていた。
全員が、驚くほどの若さである。
好天に恵まれていた。
夜は、氷点下の寒さであったが、日中は、濃いコバルトブルーの空のもと、薄着でも、汗ばむ程の陽気さであった。
4人ともに、同じ山岳会色の、エンジ色のユニホームシャツ姿である。もちろん、白黒写真であるが、それぞれに、開放的な、おどけたポーズを取っている。
これらに関しては、加茂には十分な記憶がある。
これに比べて、6月と思われる、大山登山の記憶は、全く無いのである。
加茂は、これらの写真を見くらべた。
2か月以内の時期に撮ったと思われる、二つの山行の写真である。
そこには、明白な違いが見て取れた。
服装が違った。
先ずは、登山シャツ。共に、襟付きで前開きボタン式である。
立山での写真には、エポレット(肩章)が付いている。所属山学会公式のユニホームである。
大山の写真には、このエポレットが無い。
次に、ズボンも異なる。
立山の写真は濃い、黒色である。
加茂の記憶でも、彼自身のスキーズボンは黒色であった。
それに比し、大山の写真の色はグレイ色に写り、生地も粗く見える。
然しながら、何よりも決定的な違いがあった。
それは、当時、所持していなかった、膝までのニッカーズボン姿であった。ストッキングに関しても、記憶が無い。
大山写真の違和感の意味が、次第に解かってきた。
大山写真に写っている自分(?)の服装に、記憶が無いのであった。
しかし、謎は深まるばかりであった。
解決に導くかも知れない一つの方法は、大山写真に写っている加茂らしい男は、自分では無いとする、ことであった。
これが加茂にとっては、最も自然で、妥当な結論であった。
謎は残したままではあるが。
(二)
そんな事もあってか、視神経にも負担が増して、持病の頭痛の頻度も増した。
病院にも行くことになった。
病院は、発病の初期に通ったところの、ある大学の付属病院であった。
ラジオアイソトープ検査も受けたのもこの病院であった。
脳神経外科を紹介されて、診察を受ける。その後、待合室で待つ。
約1時間後、ようやく声がかかった。
以前に検査を受けた、郊外にある建物での、再検査をすること、であった。
日時を指定して、後日行くことになった。
郊外、山すその建物は、以前の時とは異なる様相となり、名称も”コスモデベロップメント・HU"に変わっていた。
加茂は、受付窓口で、医者からの紹介状を手渡した。
封書である紹介状の内容は不明である。
ややあって、一人の老年者が現れた。
彼は、少しばかり離れた位置で、しばし、加茂を眺めるように立ち止まり、それから歩みより、言った。
「加茂明永さん?、ですね」
「そうです」
「体調は?いかがですか?」
「最近、不調気味です。ここで、40年前に、検査を受けたことがありますが、その時と同じ症状です。今では、私の持病になっています」
「なるほど」
やや間をおいて、医師らしき、老年の男は言った。
「40年前に、カプセルの中の、あなたを検査したのは、わたしです」
「はっ、そうでしたか」
確か、その時は、若くて気鋭の男性だったとの記憶がある。
今では80歳位だろうか。スリムであり、健康な感じがある。
「今日も、あの時と同様の検査をしていただけるのですか?」
検査機能は、進歩している筈だと思った。
「いいえ、実は・・」
老人は、なぜか口ごもった。そして、何かを思いつつ。
「その前に、お聞きしますが」と、続けて言った。
「あなたの近辺で、なにか、不審なことや、気がかりなことが起こりませんでしたか?」
”例えば、どんなことですか?”と返事をしかけて、はっと、加茂は気づいた。
「あります!私にとって、不思議なことがありました。いまだに謎のままですが」
加茂は老人に、自分の記憶には無い、門前との、大山登山の話をした。
老人は黙って聞いていた後で、言った。
「案内しましょう」と。
施設は、40年前と様変わりしていた。廊下の横には、いくつもの扉がある。
一つの扉を開けて、中へ入る。さらに奥まった扉の中へ案内される。
かって、加茂の入ったカプセルに似た設備があった。
「これですね?私を検査する機械は?」
「はい、昔あなたが検査を受けた設備と同様のものです。しかし、今日は検査をいたしません」
「はあー」加茂には、まだよくわからない。
「この装置は、三次元構造スキャナーです。きわめて高性能です。物体の内部構造のすべてをスキャンします」
「病院に置かれているCTスキャナーの様なものですか?」
「あれとはかなり異なります。あれは、生体などの断層写真を撮り、内面を検査する装置です。写真として保存し得る装置です」
「物体の内部構造をスキャンすると言うことは、動物の内部構造もスキャンすると言うことですか?つまり、分子・原子レベルまで?」
「そうです」
この瞬間、加茂は、大山登山の謎を解く鍵を見つけたと思った。
「スキャンしたものは、保存もできるのですか?」
と加茂は、重ねて確かめた。
「保存装置もあります」
「コピー装置は?」
加茂は、矢継ぎ早に質問する。
「あります。しかしながら、未だ完璧ではありませんが」
「コピーされ、再生された生物は生きているのですね?」
「そうです」
「これは、凄い装置ですね!40年も以前から可動していたなんて!信じられない」
加茂は、まさに信じられぬ思いで老人を見た。
「それは真実です。信じてもらい難いことは理解できます」
老人は、続けて、加茂に聞いた。
「この建物の表札を見ましたか?」
「コスモ・・、何とかでしたっけ?」
「コスモデベロップメント・HUです。宇宙開発人間部門の意味があります。この建物は医療機関ではありません。人類が宇宙へ進出する場合を想定して造られた研究機関です」
「人間もコピーするのですね?」
「はい、より正確には、物体を遠く離れた場所へ、ファクスのように送ることです。ここでスキャンした物体を、離れた場所で、寸分違わずコピーすることです。これが研究開発の目的なのです」
「でも、それでは、複数の同一物や、同一人物が存在することになる。倫理的にも大問題だ!世論は許さないんじゃないですか?」
「だから、国際的にも、秘密裏に進められています」
「私に喋っても?」
加茂は急に不安になってきた。
(三)
「理由をお聞きください」
と老人は、静かに語る。
「人類が、宇宙を目指すとき、大きな壁に突き当たります。その一つは、物質の輸送を含め、人間や生物達の往来問題です。例えば、月に基地を建設し、人間が住む。さらに生活空間を広げてゆく。優れた設備と、優秀な人材が、長期にわたって必要不可欠となるのです。さらに、ハイテク技術製品を含め、一般的な日常品や食料品にいたるまで、あらゆる物を生産する場が、必ず必要になるのです。
しかしながら、現状を見ると、これらは、遠い未来の夢としか思われません。なぜならば、輸送手段が大きな課題として立ちふさがっているからです」
老人は一息いれた。
「人や物を合成する手段として、コピーを選んだのですね」
加茂は言葉をはさんだ。
「そうです。無線伝送コピーを選んだのです」
「コピー受信機を、再生する場所に造らねばならない。そこには、ファクスのインクに相当する、あらゆる元素が準備されていなければならない」
加茂は、思いつくままに口に出した。
「そのとうりです」と老人。
「それ自体が、気の遠くなることの様に思えます」と加茂。
「しかし、現実に進展しています」と老人は動じることもない。
「お見せしましょう」と老人は歩き出した。
廊下に出て、さらに、戸外に出る。
小型のRV車がある。
若い男が、運転席に座る。
加茂と老人は、後部座席に乗る。
「C-5へ」と老人が若い男に告げる。
男はうなづき、車が発進する。舗装された道路を進み、山中を蛇行して、上部へと上がる。
頂上に、円盤状のアンテナを備えた建物があった。
車は、そこに止まり、三人は建物の中に入った。
山麓の施設と同様に、廊下があり、そこここに、扉がある。
山をくり抜いたのであろうか、外見以上に、大規模な施設である。
扉を一つ開けて、中へ入る。さらに、内部の扉を開ける。
老人が指し示した。
「コピー装置です」と。
様々な機器や計器に取り巻かれた、円形の大きな室内、中央に小型の乗り合いバスほどの、装置がある。
内部が透けて見える。
装置には、いくつものパイプが周囲から繋がっている。
「これ等のパイプの向こうには、あらゆる必要な、分子や原子が準備されています。これから、コピー保存してあるニワトリを、再生します」と老人は加茂に告げた。
「コピースタート」と、運転してきた若い男が言い、装置の数か所をいじる。
装置が、静かに稼働した。
内部で、透明な液体と煙が噴出し、霧が発生する。
短いプラズマが、連続して起こる。
10数分後、徐々に霧が薄れてゆくが、やがて、クリヤに、物体が姿を見せた。
赤い鶏冠を有した、白色の雄鶏であった。
そのニワトリは生きていた。
「取り出して、餌をやってくれたまえ」と老人。
若い男がニワトリを取り出し、ケージに入れる。
「私に、餌をやらせてください」加茂は申し入れた。
加茂は、餌を与え、ニワトリに手で触れた。生命感にあふれていた。
「これは、マジックではないですか?」
加茂の問いに、老人は、やや困った様な顔をした。
「マジックは、魔法ではありません。必ず、タネがあります。このコピーは、マジックを超えたマジックと言えます」
「タネも仕掛けもあるマジックだ。私のコピーも、このコピー装置で造られた。40年前に」
思わず加茂は、興奮し、老人を凝視しながら叫んだ。
老人はうなづいた。
「私のコピーは!、彼は、今どこにいるんですか?」
言いようのない不安と好奇心が入り交じり、加茂は思わずよろめいた。
若い男が、彼を支えた。
「彼は、ここにはいません」
「何処にいるんですか?」
座らされた椅子で、身を乗り出すように、加茂は聞いた。
「ゴビ砂漠で、砂漠緑化の研究に従事しています」
「ゴビ砂漠で、緑化の研究・・?、すでに40年も経過している。彼は、私とは、ずいぶん違っているだろうな?」
加茂は絶句しそうになった。
「40年前の、私のコピーは、もういないんだ」
加茂は、力なく呟いた。
”私は、何故ここにいるんだ。彼らは何故、私をここに導いた?”
茫洋とした思考で、加茂は自問する。
「今でも、若い時のあなたは、保存装置のメモリーの中にいます。コピーはもちろん禁じられていますが」
と老人は言う。
「もう、どうでもいいです。疲れました」
加茂の気持ちの一旦が、言葉になって出てしまった。彼は、出来ることならば、横になって眠りたかった。
「若い頃の、あなたを、お見せしましょう。このヘルメットを付けてください」
老人が、若い男に向かって、頷いた。
椅子にもたれた加茂の頭部に、若い男が、半ば強制的に、コードの付いたヘルメットを装着した。
(四)
持病の頭痛の頻度も増し、かって受診したことのある大学付属病院で、診察を受けた。
新進気鋭らしき、若い医師が、最新の検査機器を用いて、検査をしてくれた。
診察結果は、緊張性の片頭痛であった。
”ゆったりと生活することが、最良の治療法である”と告げられた。
これは、加茂自身の思いとも合致していた。
人生、ゆったりと生活することは、かなり難しい。
そんな日々、門前との交信も遠のき、大山登山の謎も、心の片隅へとと、忘れがちになっていた。
20XX年、平和を取り戻しつつあった時代、世界は広い分野において、協力体制を構築しつつあった。
加茂はすでに70歳をこえていたが、相変わらず、山登りを続けていた。
妻と共に山に登り、ロッジに宿泊する日もあった。
そんな晴れた日の夜には、二人して星空を眺めた。
星空は、加茂達の若い頃とは異なっていたが、やはり美しく、そして彼らの心をとらえる。
若い頃と異なっていた理由は、その時代が、自然に満ちた、きれいな空気の田舎であった、と言うことである。
今は、空気の澄んだ高山の夜空にあっても、明かりをもって、移動する人工衛星が多い。さらには、ライトを点滅させながら飛ぶ飛行機が多いのである。
月も星も、太古から変わらず、少なくとも、人の目には、その様に見えるのだが。
しかし、人類は宇宙へと伸びようとする。
身近な月への思いも、時代と共に変わってくる。
人類が再び、月に立ってから久しい。
小規模だが、月の基地も建設されている。
月や、月の基地に関する情報も、マスコミを通じて流されている。
巨大な人工衛星も、地球の周りを回っている。
その巨大な人工衛星の名は、プテラノと名付けられていた。
前世紀の、翼飛竜に因んだ名称である。
搭乗する飛行士達の名が、写真付きで紹介されていた。
以外に思えるほどの少人数であった。
その中には、日本人も一人いた。名は、邯鄲壮であった。
出身地や経歴は簡単に紹介されていた。
マスコミが彼の正体を求めて動いたが、不明のままである。
加茂も、同じ日本人として、彼に注目した。
妙に惹かれるものを感じたが、それが何であるかは理解できなかった。
ある夏の夜、加茂は、自宅の二階の、ベランダで、床几に寝ころび、星空を眺めていた。
満天の星月夜であった。
こんな夜は、決まって、彼の脳は活性化するのだ。
少年のように、夢が、想いが、遠く宇宙の果てまで広がってゆく。
宇宙の何かが、地球の、日本の、田舎の町の、小さな家の、ベランダに寝そべって、空を見上げている自分に、眼を注いでいる。
彼自身の心も、宇宙に飛んで、彼自身を見ていた。
そんな、幸せな実感にとらわれる。
プテラノは、視界の中を、ゆっくりと移動していた。
プテラノが、寝そべった加茂の頭上を、ゆっくりと通過しかけた。
赤い、プテラノの光を眺めていた加茂は、不意に気が遠くなった。
(五)
邯鄲は、以前、コスモデベロップメントHUにいて、老人と共に、山頂の建造物に、加茂を案内した、あの男であった。
彼のプテラノでの役割は、コピーと電送であった。もちろん、対象は、生体をも含めたものである。
所属する室名CP-5には、コピー対象物に適応すべき多くの元素が準備されていた。
コピー装置や電送装置には小型スーパーコンピュターが付属していた。
これらの装置は、内部での、やり取りにも、正常に機能した。
邯鄲は、自らの嗜好品である日本酒を、一瓶増やした。
ペットとしての、ハムスターも一匹再生した。
更に、数種の実験も、すべて成功した。
だが、より重要なことは、外部からの電波信号をキャッチし、メモリーに保存すると共に、コピー装置で再生することであった。
地球からの発信元は、あのコスモデベロップメントHUの、山の建物C-5からであった。
そこでは、数人の技術者が、作業に従事していた。
指揮をとっているのは、あの老人であった。
加茂が、この施設を訪れてから、およそ10年が経っていた。
しかし、この老人の風貌には、さしたる変化はなかった。
これは、健康な老人に見られる特徴であって、ある程度の年齢に達した後は、風貌の変化は少ないのかも知れない。
彼らは、先ずは、無機物である食器皿を、発信し、成功した。
次に、食料である、パンを発信し、これも成功した。出来立ての温かい、ふっくらとしたパンが、邯鄲の手元で、コピー再生した。
次々と、様々の形態の物が発信され、全てが成功裏の終わったのであった。
実験は、最終段階に進んでいった。
生体の発信とコピー再生へ、である。
草・木・虫・魚・爬虫類・鳥・マウス・家畜類等である。
全てが順調に発信され、プテラノ内に記憶され、コピー再生されていった。
一番最後に残された発信物は、人間の生体であった。
若い技術者の一人、草堤茂内が、発信人間となった。
スキャンされた彼の個体の全データが、プテラノのCP-5に向けて発信された。
草堤の身体は、身に着けた衣類ごと、CP-5の邯鄲の目前に出現した。
この瞬間から、二人の草堤が存在することになったのである。
CP-5に現れた草堤は、邯鄲に挨拶をした。
歴史的な瞬間ではあったが、世間には、未だ極秘であった。
コスモデベロップメントHUでの草堤は、スキャナーを出た。
コピーであるプテラノ内の草堤は、別な履歴を歩むこととなる。
ともあれ、地球と人工衛星間の、無線生体電送コピーは成功した。
コスモデベロップメントHUでは、もう一つの計画も課せられていた。
それは、脳内記憶を操作することであった。
この計画の、主なる目的は、若い健康な身体に、豊富な経験と知識をインプットすることであった。
これが、宇宙開発にとって、大いに有効であると考えられたのであった。
人間には、300億個(大脳に200億個、小脳に100億個)もの、細胞がある、と言われている。
同等の大きさのPCを比較した場合、その多様性と広がりにおいては、人間の脳の敵ではない。
PCの脳とは、CPUとメモリーであろう。
PCのメモリーでは、追加と消去が可能である。
人間の脳には、無数のメモリー残量がある。
記憶をつかさどる部分は、主に大脳皮質にあると、言われている。
大脳皮質を操作して、人間の記憶を、人為的に、追加したり、消去したりすることが、可能であるとの考え方があった。
コスモデベロップメントHUでの試験で、これは成功した。
加茂明永もこの被検者である。
彼は、コスモデベロップメントHU(CHU)での記憶を消されていた。
記憶を追加する場合には、同じ体質の人間の間で行うことが、最も良い結果であった。
つまり、コピー体に対しての結果が、最良であった。
計画では、若いコピー加茂明永に、ゴビ砂漠で、経験を積んだコピー加茂明永の記憶を。追加上乗せしたかったのである。月基地での、有用な人材を意図して。
彼らは、CHUで実験することなく、直接に、プテラノに向かって、その操作を行った。その実験の成功を確信していた。
CHUに保存されていた若い加茂のコピーに、ゴビ砂漠での経験を持つ加茂の脳のコピーが上書きされて、プテラノに向けて発信された。
(六)
我が家のベランダで、床几に寝そべり、人工衛星プテラノの移動する、星空を眺めていた加茂明永は、何故か急に、気が遠くなった。
それは、CHUから、彼自身の変形したコピー情報が、プテラノのCP-5に向けて発信された直後であった。
CP-5の室内では、邯鄲や草堤達が、送られて来る電波に基づいた、加茂明永の再生を待っていた。
カプセルの霧の中から、若い加茂が現れた。
彼は、不思議そうに、辺りを見回した。
「ここは、何処ですか?」そして
「頭の検査は、終わったんですか?」と、言った。
邯鄲達の返事を待っている。
邯鄲と草堤は顔を見合わせた。
しばしの後、邯鄲が答えた。
「大よそは、終わりましたが、もう一つ検査をします。そこへお座り下さい」
上部にヘルメットの置かれた椅子を指示した。
若い加茂は、示された椅子に座った。
「あれ!私の服が変わってる。あなた方と同じ服装だ。何故ですか?知らぬ間に・・」
と、彼は驚き、不思議そうに言った。
「あなたは眠っていましたので、我々が検査の必要上、着替えさせていただきました」と、邯鄲が説明した。
若い加茂の頭部に、ヘルメットが装着された。
スイッチが入れられ、彼の意識が遠のいた。
「失敗だ!」草堤が言った。加茂が頷いた。
(七)
ベランダで仰向き、天空を眺め、極めて活性化していた加茂の思いは、彼の身体から遊離して、宇宙空間を飛んでいた。
プテラノが、その軌道上で、下から見上げる加茂の真上に来た時、彼の思いが、ふっと乱れて、急に意識が遠のいたのだ。
プテラノは軌道上を移動し。加茂から遠のいて行く。
加茂はそのままで、眠ったように動かない。
時刻が流れた。
ベランダで過ごす時間が長すぎる。妻が様子を見にやってきた。
「まあ!、こんなところで寝てるの?」
「風邪引くよっ」
加茂の肩に手をやって、揺り動かす。
「どうしたの? よく寝ていること!」
さらに強く揺する。
加茂は目を開けた。
妻を見つめる彼の表情に、妙な戸惑いがある。
「ここは何処だ?」
「何言ってんの! 寝ぼけて!」
妻がとがめた。”しっかりしなさい”と、肩においた手に力をこめる。
彼は起き上がった。
夢遊病のごとく歩き始めた。
呆気に取られる妻を置いて、屋内に入り、寝室に向かい、寝床に入った。
「どうしたの?」
妻の不安そうな声である。
加茂は僅かに反応するが、無言である。
横で動かない妻。
かなり経ってから、加茂が言った。
「心配するな。遅いから、寝てくれ」
「気分が悪いの?」と妻が聞く。
「少し、でも心配するな、眠ろう」
翌朝になり、妻は眠りから覚めた。夫を見ると、彼は寝不足のようであった。
加茂は、その後も数日を、妻から見ると、これまで以上に、漠然と過ごしていた。しかし、食欲も、ほぼ正常に有り、さして体調が悪いとも思えなかった。
しかしながら、突如として、無口になったり、独り言を言ったりする事もあり、妻は心配であった。
あの時、プテラノに向かって、CHUから発信された、コピー加茂のデータは、自宅のベランダに寝そべり、プテラノの通過する星空を眺め、空間に浮遊していた彼のスピリットと、接触した。
ゴビ砂漠で経験を積んだコピー加茂のデータは、若体の加茂のコピーデータには上書きされず、ベランダで、思いに耽る加茂のスピリットに合体した。
ベランダでの、加茂の意識が遠のいたのは、この瞬間だった。
加茂は、自分に起こった、この現象に戸惑っていた。
動揺し、心の安定に、時間がかかっていた。
20代過ぎてからの人生経験が二重になっていたのである。
20代の、あの日以後の経験が、別々の経験を持つ二人の加茂が、一つの脳の中に存在する。
ボディは、ベランダ加茂のままである。
ゴビ砂漠で経験を積んだコピー加茂のボディ経歴は無い。多くの傷跡も、皺も病歴も無い。
今や、加茂の記憶は二重である。
その中には、門前と共に登った、大山の記憶もあった。
ゴビで、共に過ごし働いた多くの友人、老若男女の、つい最近に至るまでの記憶があった。
しかも、ゴビでの彼は、おそらく、今もゴビで存在し続けていると思われる。
「これは罪だ!」と、加茂の二重のスピリットが叫んだ。
「別離、生き別れ!戻すことの不可能な、悪魔の仕業だ!」
ゴビの経験を持つ、両加茂のスピリットが呻いた。
加茂は、若い頃に読んだ一冊のSFを思い浮かべた。
アルフレッド・べスターの長編小説”虎よ!虎よ!”であった。
遥かなる空間で、廃棄された宇宙船の中に、唯一人で、見捨てられた男が、テレポーテーション能力を得とくし、自分を見捨てた人間達に、復讐する物語である。
主人公は、極限の苦しみのなかで、テレポーテーション(瞬間移動)能力を身に着けた。
自らの身体テレポーテーション能力であった。
しかしながら、今回は、より複雑な、入り交じった記憶の同居を伴うポーテーションである。
科学力による、ポーテーションである。
偶然、関りを持ってしまった加茂の心も、尋常ではないのだ。
(八)
後日、CHUで、あの老人は、加茂明永が来るのを待っていた。
彼等は、加茂に起こった状態を、キャッチしていたのだ。
老人の予想した通りに、加茂はやってきた。
脳が二重経験意識を持つようになってから、ほぼ一か月が経っていた。
「あなた方のやっている事は、あまり良いこととは思えない」
応接室の椅子に座ったあと、加茂が切り出した。
「あなたの苦しみは、直ぐに治してあげます」と、老人は直ちに返事をした。
「あなた方は、身体だけでなく、脳までコントロールしようとしている。それ自体が罪なことですよ」と、加茂は言った。
「あなたの脳に、二重の記憶を生じさせたのは、我々の誤りでした。深くお詫びいたします。ゴビ側に関する記憶は、消去させていただきます」
と、老人は、冷静な表情で語る。
「人類は古来より、身体や脳をコントロールすることに、時間を費やしてきました。罪なのは、身体や脳をコントロールすることではありません。停滞することです」
「停滞が罪?。そうは思えません」加茂は同意しかねた。
「進歩が罪である。とも言えますよ」とっさの、加茂の意見であった。
「滅びの理論です。停滞は人口過剰を呼ぶ。あるいは病気のまん延を呼ぶ。資源の枯渇を呼ぶ。数え上げれば切りがなく、不幸を呼びます」と、老人。
「科学が欲望を満たし、また欲望を助長しています。争いは、欲望のぶつかり合いでしょう?」と、加茂。
「不幸を減らしているのが科学です」と、老人。
加茂は、水かけ論だと感じた。
両者の意見には、人間の持って生まれた本質が含まれている。
進歩であれ、停滞であれ、人間は、その本性に従って行動する。
欲する好奇心を満たすために、行動する。
「罪なのは、何かの目的のために、不幸な人をつくることです」
さらに、加茂は続けた。
「例えば、私のコピーが、月で再生されたとします。彼は、広漠たる未開の地で、困難な目的を背負って生きねばならない。苦しみの内に死をむかえるかも知れない。例えそれが、崇高な目的であったとしても、オリジナルの私が同意していたとしても、コピーの彼は、私では無い。あなたの考えは間違っている」と、加茂は興奮気味に、一気に喋り続けた。
「まあ、まあ、落ち着いてください」
老人は、軽く片手を挙げる仕草をして、言った。
「科学者は、十分な慎重さに基づいて行動します。我々は、誰かを不幸にするのでは無くて、人々を幸福にするために活動しているのですよ」
「お茶か、何か飲みますか?、タンポポ茶は、いかがですか?」と、老人。
タンポポ茶には、鎮静作用があると言われている。
加茂も、タンポポ茶は好きである。
研究者らしき、若い男が、カップを盆に乗せて運んできた。
「砂糖は、いくつですか?」
「ふたつ」と、加茂は答えた。
老人も飲んだ。加茂も飲んだ。
マイルドで、独特の味わいがある。
直後に、加茂は後悔した。睡眠薬が入っていたかも知れぬ、と。
不安の面持ちで、老人の顔を見た。
老人は、うつろな目で、加茂を見ていたが、すぐに目を閉じた。
つづいて、頭を垂れた。
「眠りました」と、飲み物を運んできた若い男が、加茂を見ながら言った。
「睡眠薬が入っていたのですか?」
「はい」
「何故?、こんなことを?」またもや、突然すぎる。理解し難い現象であった。
「これから、説明いたします。少しお手伝いしてください」」
寝かされた老人の頭部には、ヘルメットが着けられている。
ここは、立体構造スキャナーのある部屋である。
かっては、加茂も訪れた部屋であった。
「彼の、脳を、お見せしましょう」液晶画面の前で、若い男は、加茂に説明する。
液晶画面に、一瞬、2114の文字が現れ、直ぐに消えた。因みに、加茂のパソコンでは、WIN2014が現れる。
画面には、多くのフォルダが表示されている。
「彼は、コンピューターですか?」驚きの連続が、翻って、加茂を冷静にした。
「そうか、彼の脳には、コンピューターのデータが入力されているのでしょう」と、加茂は看破するように言った。
「そのとうりです。少し古くなりました。旧いデータを消去して、最新のものに更新する必要があります。これから、それを行います」と、若い男が、事も無げに言う。
加茂は、この若い男の口調が、老人と似ていると思った。
彼も、コンピューターを入力された人間(?)かも知れない。
「あなたに関する、彼の、脳内データを消します」そして、数分が経過した。
「もう、彼の脳裏には、あなたの記憶がありません。ところで、あなたも、ご自分の脳を、画面で見たくありませんか?」
加茂は、とんでもない、と思った。
「あなたの目の前で、あなたの中のコピー側のデータを、消してあげます。あなたのプライバシーデータは、開きません」加茂の内心を知ってか、若い男は言った。
二重の、複雑な想念に、加茂は悩んでいた。コピー側の想念は、自らである記憶消去に抵抗する。
このままでは、加茂は、発狂しそうであった。
彼らは、おそらくは、100年後の、コンピューターとコンタクトしている人間達だろう。
加茂は、頭を抱えた。彼の顔は苦痛で歪んだ。
「もうっ、元に戻してくれ!」と。
「落ち着いてください。ほら、タンポポ茶です」
若い男が、ポットから、飲み物をカップに注いだ。
苦痛から、逃れたい加茂が、それを飲んだ。
(九)
加茂の治療は成功していたらしく、彼は、落ち着きを取り戻していた。
2015年春、加茂は75歳になった。
所属していた、ある企業の山岳会のOB会が開催されて、加茂も出席した。
参加者の中には、門前もいた。
近況や、過去の話に、あちらこちらで、花が咲く。
加茂も話す。
「私は、近郊の山々で、山頂だけでなく、主な稜線を、ほぼ全て歩きました。ささやかではありますが」と。
「ささやかではありませんよ。そう思うのは贅沢ですよ」
そう言ったのは、あの門前であった。
「私なんかは、山登りも、儘にならぬ環境におかれましてね。最近になって、ようやくゆとりが持てる状態になったと思ったら、もうこの歳です。あなたが、羨ましい」と。
「やあ、すまない」
加茂は門前に謝った。
門前の奥さんは、アルツハイマー病に罹り、長く介護したが、最近に他界したのであった。
加茂は門前に同情した。そして
「今度、もう一度、大山に登らないか?」と、言った。
加茂自身に、記憶は無いが、かって門前が、二人で登った、と言った、大山登山を提案したのであった。
「えっつ、もう一度ですって、私は、大山に登ったことなどは、一度もありませんが?」
と、門前は言った。
「おいおい、君が言い出したことだろう。私と登ったんだろう?大山に!」
門前は、ポカンといて聞いている。
「君は、君の言ったことを納得させるために、登頂した際の写真まで送ってきたんだ。君が大山に、一度も登らなかったって?、それは無いよ」
「でも、私には全く記憶が無いんですよ」
と、彼は、大真面目であった。
(十)
これより、一か月ほど前のことである。
CHUで、老人と若い男が話していた。
「人の記憶を操作することには、無理があります」
若い男が言い、老人がうなづく。
「我々の時代に到達した人類は、我々が想像していたような、我々の協力は無かったのかも知れませんね」
「我々は、22世紀に戻ろう」
「可能な限りの痕跡を消して」
2019.10.25 改訂版(完)
旧版 2004.10.31 (完)