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 救えない。

 あなたの脳裏は混乱の中、直感的にそういう結論を弾き出した。

 もともと救いにきたわけではない。救いたいとは思ったけど、そんなのは砂上の楼閣であり、自分の範疇を越える困難であれば、それを超えてまで何とかするほどの使命感はない。だって、繰り返すけどあなたは時間旅行者だ。先輩を抱いたら、この世界から去っていく身である。

 先輩とはご縁がなかったのだ。救いたいとは思ったけど、先輩自体が救われたいと思ってくれないのではどうしようもないじゃないか。

 あなたは荒れた気持ちの中で、そう思った。では、どうするか。

 本来の目的を達成することを考えよう。あなたは憧れだった先輩の方へ振り返る。

 愁いを帯びた目尻が優艶で、ごくりとツバを飲み込んでしまうのは、それでも彼女の魅力が尽きないからに相違ない。

「わかりました。先輩」

 あなたの声は優しいと思う。

「もちろん友達っすよ。昨日言ったみたいに、先輩が部活を引退したって、卒業したって俺は先輩とこれからも関わっていきたいです」

「……」

 先輩は顔を伏せる。昨日の涙を思い出したのかもしれない。

「でも先輩。俺の気持ちも……昨日伝えた通りなんです」

「……」

「俺、このままじゃ先輩を諦めて前には進めない。俺に……一回だけ、夢をくれませんか……?」

「……」

 顔を伏せたまま、熱くなった目頭でちらりと横目にあなたを映す彼女。

 しばらくそのままだったが、一度揺れる横隔膜をなだめるように深呼吸をすると、左手で涙を払い、

「どうすればいいの?」

 と、あなたのほうへ向き直った。あなたは、言った。

「一回だけ……先輩を抱かせてください」

「……」

 波の音と海岸線を走る車の音……音が幾重にも通り過ぎる海沿いの高台で、先輩の拡散していた意識は今、一点、あなたのほうに向けられている。

 何もしゃべらない。あなたをじっと見つめ、何を考えているのか。

「俺もそれで自分にけじめをつけます。以後は友達として、先輩を大事にしていきたいと思うんです」

「……」

 彼女は、なおも動かない。今自分がおかれている立場を反芻しているのかもしれないし、ひょっとしたらあなたにどのような裏側があるのかを、見抜こうとしているのかもしれない。さまざまな葛藤が、動かない先輩の中で、激しく戦っている気はする。

 しかし、あなたにとっても、二番手のままで彼女に想いを遂げようとするのなら、これが最後のチャンスだろう。

 二人の時間はしばらく止まったまま……

 ……やがて、風が揺れた。彼女が吐き出す言葉に押されて……。

「わかった……」

「……」

 その時のあなたの感情は「やったぁ」などというものではなかった。むしろその言葉に一瞬首を絞められたような気持ちがした。彼女の感情を推し量れば、決心しなければ身体を開けない状態なんて、と思う。

 しかし同時に、あなたは鋭い興奮に見舞われた。

 だって今から、この人のすべてが見られるんだ。今まで、十センチ前まで近づいても決して触れることのできなかった肌に、今から溶けていくことができる。彼女の肉の柔らかさを、自分の粘膜で感じることができるという感慨が、すべての内臓に響いて萎縮させた。

 たとえどんなに女性経験が増えても、憧れた人というのは別格だ。少なくとも今、あなたは先輩を目の前にしてそう思った。

「どこに行く?」

「え、えっと……」

 ここまでいくと、肝が据わったのは彼女の方らしい。すっと立ち上がった彼女の腰は軽やかで、あなたの目の前でミニスカート越しに、もたりと女性的でやわらかそうなヒップラインを晒しながら、一つ、大きな伸びをしていた。


 いかにもっていうラブホテルを、二人は避けた。

 行為に高尚も低俗もないけれど、なんとなく、二人は今日の夜をラブホテルの気持ちで過ごしたくなかった感がある。

 何の色気もないビジネスホテルは、洋室に二つのベッドが置かれていて、乳白色の室内灯がほのかに部屋を照らしている。

「おなかすいてませんか?」

 ムードを重視しなければいけない場面で、ついそんなことを聞いてしまうあなた。でも、そういうさりげない気遣いが、彼女にとってはうれしいらしい。あなたとはいつもの部活で触れ合う二人のままで……そんな願いを、表情に滲ませている。

 でも、だからこそ二人とも少し気恥ずかしい。いつもの二人が、今から限りなく乱れるのだ。男と女の生々しい匂いを、互いの鼻腔で共有する時間……恥ずかしくもなる。

 二人別々にシャワーを浴びて、同じベッドに二人で並んで座って……あなたは簡素な浴衣に身を包む彼女と、もつれてベッドに倒れこむ。

 あなたが上、彼女が下。身体は密着しておらず、仰向けに倒れこんだ彼女をまるで上から押さえつけるように、手を添えていた。

(先輩だ……)

 声を上げれば互いの呼吸が混ざる距離で、互いに、互いが誰かを確認する。ベッドの上で長い髪を散らかして、一点、あなたを見上げているのは本当に先輩だ。

 にこりとはしていない。大きな瞳をやや細め、あなたがしようとしていることを、すべて許そうとしているような……そんな大きな眼差しが、先輩という小さな空間を形成して、見下ろすあなたを包んでいるかのように思う。

 「電気消して」とか「ゴムつけて」とか、そういうのが一切ない。

 あなたも、「ホントにいいんですか」とか、そういうのもない。

 ただひたすらに……目を背けたら負けなのかと思えるほどに、じっ……と、互いを見つめている時間が、長く過ぎた。

 あなたは、胃が震えて飛び出てきそうな錯覚に陥った。それは一種の夢のようで、彼女の頬、下あごのライン、そこから耳の裏にかけて触れてみても、他に触れても、そのすべてを受け入れてくれる。あなたが求めれば、そのつど先輩は求められた部分を開いた。

 そのたびに全身の血液が激しく循環し沸騰していく様を、あなたは彼女の柔らかい部分に没頭しながら感じている。

 現実であなたは、先輩を見失った後、さまざまな夜を迎えた。満ち足りた朝を迎えたこともあったが、これほど衝撃的な日はあったろうか。初めて女を抱いた日よりも強く強く、あなたの身体は燃え滾り、彼女の体温に溶けてゆく。

 やがて、浴衣はただの布となる。なめらかな凹凸を見せる肌があらわになった時、喉の奥で時おり小さな声をあげていた先輩が、少しだけすまなそうに言った。

「ごめん、こんなつもり、なかったから……」

 見れば、下着は上と下でちぐはぐなものだ。しかしその声があまりに愛らしく、あなたは彼女の肩に手を回して、その身体を抱き寄せる。

 そのまま彼女の唇に唇を重ね、手ではない部分で絡み合い、あなたは下着をずらす。

 そして、仰天した。口内を堪能したあなたの舌が彼女の唇を離れた時、触れた頬に、涙があったのだ。

「先輩!?」

「あ、ごめん……なんでもない。続けて……」

「でも……」

「………………」

 あなたの「でも……」を聞いて、先輩の表情が一気に硬く、崩れていく。涙が溢れ、それでも震えた声で言った。

「やっぱり優しいよね、君……」

 そんな表情を見られるのが耐えられないらしい。両手で顔を抑え、激しく震えだす。

 あなたは彼女への束縛を解いた。下着姿の彼女は横向きに丸くなって、しばらく震えたままになる。

「わたし……どこで間違えちゃったんだろう……」

「先輩……」

「君の気持ちに先に気付けばよかったんだよ。それなのに……」

「……」

 あなたは、黙った。血液が量産している衝動と欲望のすべてを停止した。

 ゆっくりと彼女から離れ、ベッドの角に足をぶらんとさせて座りなおし、自分の浴衣を彼女の肌にかけてやる。

 それにうずもれて、先輩はしばらくの間、そのまま泣いていた。

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