あ
いや~~、なんだよ、ニアミスじゃないか。アイツさえ来なければ……。
……正直、今、あなたはベッドまでの道筋を立てていたね?
あの約束を取り付けていれば……。ちょっと狡猾な流れだけど、こっちでニヤニヤしてたよ。いけたと思う。実に残念だ。
さぁしかし、こうなってくるとどのような選択肢を選んでも、あの日あの時、合意の上で彼女と痴情にもつれ込むことはないかもしれない。
「ヤレた”かも”」の「かも」でいいのなら、もう相当「ヤレたかも」って感じだから解決だけど、せっかくなんだ。本当にヤレるかを追ってみようじゃないか。そしてあなたにとっては重要な……あの先輩がどうなってしまうのか……これもついでに。
次の日となった。
あなたはまだ夏休み。部活もない。今日は何もすることがない。
もっとも、あなたの頭は忙しい。何にかといえば、それはもちろん先輩のことだ。
昨日、あの後どうなったんだろう。ひどいことはされていないか。やっぱりあの後、抱かれてしまったんだろうか。
そういうことが、軽い苛立ちにすらなる今のあなたは、昨日、思い知らされたことがある。
あの先輩のことを、あの頃からずっと、愛していたということ。
そして今も……ずっと愛している、こと。
ほのかな想いなどではなかった。タイムリープとはいえ、久しぶりにあなたは先輩を見た。実際、あらためて接すると、ずいぶんと彼女のかわいらしかった部分を忘れていたものだと思う。
あなたと目を合わせた時のあの笑顔。彼女のしぐさはどんなものでも愛らしく、ぱっと気持ちを明るくしてくれていた。
だからこそ、あなたは思う。何とかしてあげたい、と……。
ヤリたい気持ちの裏で、あなたがそれをおぼろげに、でも確実に思っていることはもう知ってる。
この旅の途中、先輩の運命を変えたらどうなるのか。その後の歴史は変わるのか。……その辺はよく分からない。でも、昨日の先輩とのやりとりから先、あなたの中で、運命でも何でも変えてやろうと思う気持ちが大きく膨らんだのは確かだ。
まぁその辺に関しては、ヤレなかったものをヤリにきたあなたである。初めからタイムパラドックスのつじつまあわせなど、考えてもいない。
さて、何とかする。
先輩との別れ際に、あなたは「待つ。男を諦めたら俺と付き合ってくれ」的なことを言った。下心があったとしても、かっこよかった。
しかし、彼女と約束できたわけではない。本当にいいところで、……まるで作り話のようなタイミングで男にドアを叩かれ、あなたは約束を取り付けることはできなかった。
だが実際、約束を取り付けられたとして、一体その約束が果たされるのはいつになるのだろうか。
だいたい、先輩の、彼氏に対する入れ込みようは半端ない。
何度かやり直した歴史の中で、先輩は一度叫んだことがある。
『変わんなくたっていいの!! 絶対ダメなんだよ。あの人に嫌われるのだけは!!』
……根深い。
こういう愛憎劇は、一般的にはいつか分解して終わりが来る。男が家庭を気にしはじめたり、愛人に好きな男ができたり、それ以前に気持ちが冷めていったり……。
サツジンにまで至るのはどっかのミステリーくらいなもので、長い目で見れば、先輩は目を覚まさざるをえなくなるケースがほとんどだ。
だけど、それまで傷つき続けるのは先輩なわけだし、思いつめて自殺(未遂)でもされたら目も当てられない。というか、わざわざ過去に渡ってまで会いにきた先輩が、目の前で自殺する姿など、あなたもさすがに耐えられまい。
行動を起こさなければ……。
しかし実際どうするか。見る限りでは、先輩にとってあなたは二番手だ。ヤるだけなら多分二番手でもヤレる。でも、彼女を救うなら、一番手になるのがやはりベストなんじゃないだろうか。
ならばとにかく、先輩を外に連れ出そう。会わなければ何もならない。
出てくるか心配だったけど、先輩は来た。白いレースのついたノースリーブとジーンズの巻型ミニスカート。いつもよりも若干落ち着いた感じで挨拶した先輩は、今日も輝いている。
「昨日はホントごめんね」
それが挨拶だった。あなたは昨日のことが気になってつい、「あの後平気でした?」と聞いてしまう。
「うん、平気だよ」
そう答えるに決まってる。
あなたが呼び出したのは最寄の駅。いつも先輩とあなたが、部活の帰りに同じ歩幅で階段を下りてきていた、地元の駅だ。
先輩は紙袋を持っていた。午前中のうちに洗濯をして、乾燥機で乾かして、アイロンまでかけてくれたあなたの昨日の服……。
気配りはうれしいがなんとなく気まずい。あなたはといえば、先輩の親父さんのジャージを実家でどう洗濯しようか迷った挙句、何もせずに忘れていたのだから。
「いいよ。いつでもいいんだよ。お父さんが使うとしたって来月のことだしね」
「スンマセン……」
先輩は微笑っている。あなたは先手を取られた気分にもなりつつ、ちらりと時計を目に挟んだ。
午後一時。……どこに行こうと決めて呼び出したわけじゃなかった。でも、先輩の顔を見て、あなたは反射的に「水族館行きましょう」と口にする。
先輩はほんの少しだけそっぽを向き……そしてそっぽを向いたまま、小さくうなずいた。
「行く」
「でもわたし、何の準備もしてないよ?」「俺が金は持ってます」……そんなやりとりをしながら電車に乗り込む二人。先輩は「後でお金を返す」とか言っているけど、その辺りはどうでもよかった。
海に近い水族館で、青を基調とした光景は目に涼しく、二人は紙コップに入ったカキ氷をしゃくりながら夏を遊ぶ。
夕日が赤く染まれば砂浜を歩き、サンダルを濡らしながら海の満ち引きを楽しんだ。
「ホントはさ……」
浜辺にはちょっとした高台があり、公園になっている。ベンチから見えるのは紅い空を分ける水平線と、波のたゆたう様。それと、徐々に星が降りてくる時間の流れ……。
「こんなふうに、君と遊んでちゃいけないんだよ?」
「……」
その一言で、一番手になる道がまだまだ遠いことを知るあなた。ちょっと口を尖らせて言葉を返した。
「でも、先輩の彼氏だって、二人と遊んでるわけじゃないすか」
「あは……。いわれればそうだね」
先輩は苦笑いを浮かべながら空を見上げている。
「いくら好きだって言ったって……このままじゃ先輩が悲しすぎます……」
「でも、それでもわたしは彼といなきゃいけないの。でないと、手放したことをずっとずっと後悔する……」
「なに言ってるんすか。言っちゃ悪いですけど、そんな関係、長く続くわけないと思います」
「うん……」
彼女もそれを分かっているらしい。力なくうなずく彼女が挙句に呟く言葉が根深い。
「もうさ、日本も一夫多妻制にすればいいんだよ」
もう、この先輩を何とかしたいなら、あなたは先輩がその男と会う前まで戻った方がいいのではなかろうか。あなたは内心で深いため息をついてしまう。
「昨日は本当にありがとう」
また呟く先輩は、いつの間にかこちらを向いていた。
「君は本当に優しいよね。なんでわたし、気付かなかったんだろ……」
「え?」
「ううん、なんでもない」
「……」
「ねぇ、わたしって欲張りなのかなぁ……」
「どうして?」
「うん……」
コノヒトはどうも、重要な言葉をいつも飲み込んでしまう傾向にある気がする。
「ヘタなんだな……やっぱ、わたし……」
こういう、女子の感情の機微が、男子には伝わりづらい。だからあなたは一歩踏み込んだ。
「言いづらいこともあるかもしれませんけど、何でも言ってみてくださいよ。言うだけで前進することもあるかもしれないし」
「……」
先輩はまた黙って、波が寄せる様を見つめていたが、やがて空に消え入る静かな声が、あなたの耳を刺激した。
「あの人は失えないし……君も、失いたくない……」
「え?」
「わたしたち、友達ではいられないかな。ずっと」
「……」
いきなりフラれた。
これは、昨日の"約束"に関しての返答ってことでいいのか。いいんだろう。そりゃ、確かに言いにくいはずだ。
それでも、今のあなたにはそこまで大滑落じみたショックではないはずだった。だってあなたは時間旅行者。すでに選ばれていないことを知っているのだから。
「……」
なのに実際は、心臓に達する大動脈を思い切り殴られたかのような感覚に襲われた。
声も出ない。想いが届かない。彼女の一番手にはなれない。
……彼女をあの男の呪縛から解き放つことはできないのか?……いや、そういうことじゃなくて……。
いろんな感情が激しく駆け巡って、あなたは少し眠そうな表情を浮かべている。