ば
おつかれ。悪かった。結果は変わらなかったね。
しかしきついな。これは八方塞か?
あなたはもうちょっと軽い気持ちで「ヤレるかも」と思って過去に戻ってみただろうし、もはや「こんなめんどくさいならいいかな」と思いはじめているかもしれない。でも、あなたの憧れた人は、いつもみせる笑顔の裏で、これほどに深い闇を抱えていたことも間違いない。
それに、もはや確信してきたのだが、あなたは時間旅行を通してその事実を知り、そんな彼女を何とかしてあげたいと思っているのではないだろうか。
「ヤレるかも」という主旨とは離れるけれど、その昔、胸をときめかせたことのある先輩に対して、あなたのお節介ゴコロが要所要所に見えている。それは勘違いだろうか。
まぁ勘違いであれば、この物語はここで終了した方がいいかもしれない。
先輩の闇は思う以上に深い。そんな紆余曲折が面倒であれば、こんな本は閉じて二ページ目からエロシーンの始まる漫画でも読んだほうがいい。
あくまで諦めないあなた。昔、本当にこんな先輩のいたあなた。とにかくここまできたらパンツ脱がさないと気が済まないあなた。
生き残った"あなた"達よ。さらに検証を続けていこうじゃないか。
とりあえずあの時間、彼氏からのスマホが鳴ることは分かった。
じゃあ、ちょっと悪いが、先輩がシャワーを浴びてる間に、こっそりスマホを切ってしまったらどうか。根本的な問題の解決にはならないが、もしもその後の展開が違う場合、先輩は心変わりをする可能性がある。
彼女の気持ちはぐらぐら揺れているのだ。今日、今まで、あなたに流され続けて、自分の家にまで招き入れてしまったように、気分次第で彼女はどのようにも動いてしまう状態にある。何がきっかけで彼女の運命が変わるかわからないところだ。
とりあえずヤってから次を考えてもいいかもしれない。そんなことを考えている"あなた"もいることだろう。確かに今の状態は限りなくそのゴールに近い気がする。
シャワーを浴びたあなたは、身体を拭いたバスタオルを彼女に言われるままに洗濯機に入れ、リビングに戻ってきた。
彼女はもう一度「テレビ見てる?」と言いながらリモコンを渡してくれたが、「先輩来るまでぼーっとしてます」と言えば、「じゃぁ待ってて」と、微笑んだ。
無造作に置かれるスマホ。人のスマホを勝手に操作するのははばかられるけど、あなたはせめて中身は見ないようにしながら電源を落とした。これで少なくとも先輩が不倫彼氏に心を乱されることはない。
シャワーから出てきてスマホをチェックされたら終わるけど、あなたが記憶している限り、リビングに戻ってきて「すっぴん見られるのやだな~」と手櫛を通している間、スマホに注意を向けはしなかったから、大丈夫だろうと思われる。
あなたは、風呂上りの先輩の、あまりの艶かしさにムラムラしている。よく「ヒロインは処女がいい」などという意見を聞くけれども、この時間軸に戻ってきているあなたは知っている。理性の栓がすっ飛んでしまうくらい、悩ましげに濡れた瞳を持っているのは、すでに男を知っている女なのだ。
先輩の初めての人になれないのはもちろん残念だが、今回の旅の主旨は憧れを追いにきたばかりではないから、むしろ先輩のこの色みはあなたにとってはプラス要素である。
とにかく、単なるジャージなのに、はちきれるほどにエロく見える先輩が、プーアル茶片手にくつろいでいる。さっきまで二人はあんなにしゃべっていたのに、今は、例えば「お菓子食べる?」とか、そんな言葉がぽつりぽつりと浮かぶのみだ。
あなたはそんな先輩をチラチラと目に入れながら、とにかく興奮覚めやらない。
正直、よく下半身が頑張っていると思う。おかげで、まだあなたは先輩に下心を見抜かれずに済んでいる。
それでも、さっきも言った微弱電波はあなたを蝕み止まらない。股間を侵していく脈動が、じくじくじくじくあなたを刺激し続けていて、胃の辺りまで突き上げてくる。
こんな状態で、例えば彼女の腰の辺りにあなたの指先が一本でも到達しようものなら、もう、彼女を貪り尽くすまで血液の猛りを押さえることはできないんじゃないだろうか。
「先輩、あのぉ……」
「ん?」
あなたはつい、身を乗り出してしまう。
「先輩は、俺って、ぶっちゃけどうなんですか?」
「え?」
彼女の目が見開かれたまま、あなたを映し出した。あなた自身、その目の奥にあなたが映っていることが分かるほど、恐ろしく澄んだ瞳があなたに吸い付いて離れなくなった。
「すぐに恋愛の対象だって考えてくれなくてもいいんです。そういうの全部除外して、先輩の中で、俺ってありなのかなって……」
「うん……」
あなたは獲物を物色するライオンのような目を。先輩は……、へっちゃりと座ったまま、瞬きもせずにあなたを見ながら、唇を小さく動かした。
「かわいいと……思うよ?」
かわいい。どういう意味なんだろう。女子の言う"かわいい"には、いろんな意味が込められていてわかりづらい。
ただ、こんな場面で真顔で言われたのだ。アリ、ということなのだろう。
「先輩は今日で部活、最後じゃないですか」
「うん」
「いろいろ話しながら一緒に帰って……こうやって顔合わせるのも、もうなかなかないと思うんです」
「そう……かもね」
「でも俺は、先輩とこれからも関わっていきたい」
「わたしも……」
「ほんとは、それで、さっき先輩が言ってたあの男からも引き離してあげたいです」
「えっと、でも……」
「待って」
今の先輩が、自論をこぼし始めたら理屈を超えてしまうことを知っている。しゃべらせることは不毛だ。
「もうちょっと聞いてください。俺、先輩のことを待ちます。先輩の今の気持ちのまま、強く引き離そうとしても、先輩が苦しいだけだと思うんです」
だから……と、あなたはヒートアップする。
「だから今はあの彼氏のことに関して、俺は何もしません。だけど、いつでも俺がいるってことを覚えといてほしいんです。先輩がその恋を諦めた時、必ず、俺のところに帰ってきてくれませんか」
「……」
先輩は、あなたの言葉が走っている途中で、「う……」と呻いて視線を外した。思わず追いかけたあなたの視線の先で、彼女の頬が濡れていく。
「もし、その男と別れるのに男の力が必要なら、俺ができることは何でもします。だから……」
「ありがとう……」
先輩は顔を伏せて、嗚咽交じりに頭を下げた。見下ろす肩幅はとても小さく、まるで少女のようだ。
「だから……先輩も、もしよければ、約束を……くれませんか?」
それからしばらく、鼻をすする音だけが部屋を濡らす。
しかし、その音は、また、さっきとは別の音に遮られた。
ピンポーン
呼び鈴だ。
一体誰がこんなに夜遅く訪ねてくるのか。あなたも先輩も、おくびにも出さないがそう思っていた。
そして対応も同じ。無視。
今、ここに流れている空気を、誰にも壊されたくない。共通した気持ちが二人にはある。
しかし、再び家の中を駆ける呼び鈴の音。それは次第に頻度を増していく。
(あ……)
あなたのほうが先に気付いた。あの男だ。
スマホの電源が切れている。何度かけても通じないことを不審に思った男が、直接家まで押しかけてきた……という思考に行き着くのは、あなたには難しくなかった。
続いて先輩も身を起こす。なにか思うことがあったのかもしれないし、途切れることのないこの呼び鈴の始末を、自分がつけなければならないと考えたのかもしれない。
いずれにせよ、小さく鼻をすすりながらリビングに備え付けられたドアカメラの映像を見にいった彼女。カメラの向こうに映ったものを見た瞬間少しだけ顔をしかめ、すぐに視線を外した。
目と鼻を赤くして、あなたのほうに振り返る。
「彼氏……きちゃった……」
「俺、いましょうか?」
予測のついていたあなたは、つい、そう言った。でも、彼女は首を横に振る。
「ごめん。大丈夫……」
そして指を差す。
「裏に勝手口があるの。時間稼ぐから、あっちから帰ってくれる?」
「……はい」
あなたは、いくつか言いたいことを飲み込んだ。あなたが今、どんな言葉を吐こうが、今の彼女はあの男とサシで会うだろう。時間もないし、今の状態で彼女と揉めることは、彼女にとっても得策ではない。
あなたは音を立てないように玄関に向かい、こっそり靴の踵の部分を指で引っ掛け、台所を越えて裏へと走った。
「ごめん、疲れて寝ちゃってたの。部活で打ち上げしてたから……」という声があなたの背中に聞こえてくる。
あなたはほんの少し、悔しさに唇を噛み締めながら、先輩の家を後にするしかなかった。
おしまい